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一流の精神との出会いは、穴場でした

倉敷美観地区の倉敷市公民館3階の音楽図書室には、若き日の大原總一郎(おおはら・そういちろう)が愛用した蓄音機とレコード・コレクションが寄贈されています。一台は、100年余り前に製造されたイギリス製の蓄音機チニー2Pで、もう一台は、1926年製造のアメリカ製、ビクトローラ・8-60です。どちらも整備が行き届き現役で作動しています。

picture_pc_0f8b41457c65c0fcf86cf3dbf7ce0c20のコピー

大原家から倉敷市に寄贈された蓄音機  ビクトローラ8-60  チニー2P 

SP(standard play)レコードの溝に刻まれた振動が、鋼鉄の針を介して振動板に伝えられて、ホーンで拡がった音を聴く仕組みで、まったく電気を介さずに直接、物理的振動が伝えられます。SPレコード演奏時間が片面5分未満で、しかも針とレコード盤の消耗が激しく気軽に何度も繰り返して聴くことはできませんでしたので、当時から、希少な体験だったはずです。録音も技術的な制約多かったので、選りすぐりの演奏のみSPレコード化されていたはずです。若き日の大原總一郎は、浴びるように上質な音楽を聴いて精神を養ったことでしょう。

音楽図書室を訪問すると、一人一回、SPレコードを片面聴くことが出来ます。訪問したのは休日だったのですが、一人だったので、贅沢に一人で大原總一郎のSPレコード・コレクションの中から、ベートーベンのピアノ・ソナタ「悲愴」を聴ことができました。私は初めてSPレコードの演奏を聴きましたが、実に生々しい実在感のある音色でした。つかの間でしたが、若き日の大原總一郎と同じ体験ができたのでした。

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 演奏中の蓄音機(ビクトローラ・8-60)

同じく美観地区の、語らい座大原本邸(旧・大原家邸宅)では、2019年7月30日から8月18日まで特別展「大原總一郎展」が開かれています。会場では、壮年期の大原總一郎が使っていたモノラル・レコード・プレーヤーが修復され、LP(Long Play)レコードの演奏を聴くことができます。

このレコード・プレーヤーは、總一郎が、LPレコードの収集家として有名であった、当時の矢掛本陣当主・石井遵一朗(いしい・じゅんいちろう)が所有していたレコード・プレーヤーの音に惚れ込み、オーディオ評論家・音楽評論家の高城重躬(たかじょう・しげみ)を紹介されて、同様のプレーヤーの製作を依頼して完成した物です。つまり、大原總一郎(1909〜1968)、石井遵一朗(1896〜1979)、高城重躬(1912〜1999)という、今は亡き三巨頭の交わりによって生まれた物なのです。

高城重躬は、当時開発されたばかりのビーム管を採用して、20ワットの真空管アンプを製作しました。ターン・テーブルは、糸ドライブ式です。なお、カートリッジはオリジナルではなく、代替のものに交換されています。

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糸ドライブ式のターン・テーブル

スピーカーは英国製の3ウェイです。總一郎の好みにより、スピーカー・ユニットの一つを日本製に交換してあるとのことです。外観は家具調の美しい仕上がりになっています。1950年代前半(昭和20年代後半)のことでした。

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モノラル・レコード・プレーヤーの演奏会場(語らい座大原本邸ブックカフェ)

ちなみに、LPレコードは1948年頃からアメリカで発売されました。片面20〜30分の演奏ができ、レコード・プレーヤーのカートリッジの針圧が軽いので、レコードや針の摩耗をあまり気にすることなく、長時間演奏を聴くことができるようなりました。三巨頭は、LPレコードが販売されて間もない頃に、既に親しんでいたことになります。LPレコードは音楽の媒体として今でも生産され、CDよりも音質がよいことから、最近は再び愛好家が増えて、復活してきています。

演奏されていたレコードは、1960年代に録音されたものでした。装置はモノラルなので、リスニング・ポジションを選びません。肝心の音はどうかというと、日に日に良くなり、4回目に会場を訪れて聴いたときは、一昔前の装置と比べて遜色のない透明感のあるものになっていました。会場は、終始、観客はわたし一人で、贅沢に観賞できました。観光に来た人達は、会場につかの間滞在しますが、皆通り過ぎて行きました。

大原總一郎は、大原邸の日本間に装置を置き、庭を眺めながら、会社や日本の将来について思いをめぐらせていたとのことです。そんなことを想像しながら、この装置を通じて、故人の壮年期の精神性に迫ることが出来ました。

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装置とスピーカーが置かれていた大原邸の日本間(語らい座大原本邸)

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大原總一郎がレコード演奏を聴きながら眺めた庭園

故人の遺した物を通じて私たちは、偉大だった故人の精神に近づくことができます。東京のフェルメール展では、あまりに観客が多く、観賞を諦めましたが、一流の精神との出会いは、このように案外、穴場であり、非常に贅沢に経験できるのでした。

(2019年8月12日)

追伸

前述したように、倉敷美観地区の語らい座大原本邸(旧・大原家邸宅)では、特別展「大原總一郎展」が開催され、期間中、大原總一郎が愛用したモノラル・レコード・プレーヤーが修復され、LPレコードの実演を体験することができます。装置の概要は、先に述べた通りです。

残念ながら、音の入り口で、再生音に最も影響を与えるフォノ・カートリッジは、オリジナルのものではありません。總一郎の使用していたフォノ・カートリッジが高価で貴重すぎて、破損や消耗をしても交換が利かないので、温存されたとのことです。それでも、1970年代製造の周波数特性がよいものに代替されているようで、主催者側の誠意を感じました。

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使用されていたフォノ・カートリッジ

レコード・コンサートの曲目は、1960年代に録音された、ストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」、ラヴェルの「ボレロ」、シュトラウスの「ドン・キホーテ」でした。コンサートには、特別展期間中5回通いましたが、5回とも違った体験をしました。それは、再生装置がこなれてくるためと、私の聴く構えが変化するためです。

最初の4回は、音質や音場の変化でした。1回目は、ざらついた音が直接、胸に入ってくるような身体感覚を覚えました。胸が擦られるようで、ほっとできるような音ではありませんでした。2回目は、重さやざらつきがなくなったすっきりした音になり、音が身体に入ってくるのではなくて、部屋全体に拡がるのを感じました。3回目は眼前に小ホールがイメージされました。4回目は、さらに音が軽く感じら、重しが取れたようで、リラックスして聴くことができました。

特別展が最終日に近づいた5回目になり、ようやく楽曲に没入することができました。その旋律は、心地よいだけでなく、總一郎の苦悩が入り込んでくるようでした。しかし、闇の向こうにはかすかな光が見えます。光に向かって闇を通り抜けると、再び苦悩がやって来ます。だが、その苦悩には、以前より成長して立ち向かうことが出来ます。傷ついて、脚を引きずりながら歩み続けるけれども、その心は軽いのです。「へこたれない理想主義者」と形容された大原總一郎の精神性が再現されていたのでした。

(2019年8月17日)











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