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平松依里子さんのペンスケッチ水彩画における豊かな中景表現〜倉敷の新しい魅力の発掘〜

人間は、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚の五感によって外界を認識していますが、通常、他の感覚より視覚に頼っています。人間の視覚は他の霊長類と同じように、森林環境で進化したので、立体視と色彩に優れています。すなわち、樹上生活において生き残るためには、転落することなく樹間を移動するのに、枝に手が届くか否かの方向・距離の認識や、食料となる果実の成熟度合いを判断する色彩感覚が不可欠になってくるからです。

視覚の特徴として、見ることは、客観的であり、他の感覚を通じて認識される世界よりも抽象的です。見ている世界のリアリティは、同時に感じる他の感覚に依っています*。

視覚の現実感を支える他の感覚による裏打ちは、子供の頃の遊びの中で培われ、意味付けられます。
立体視された空間は、身体の体性感覚(触・圧覚といった皮膚感覚や運動を認識する筋感覚・関節感覚)によって、近景、中景、遠景に区分され、意味付けられます。それは、人間の生物学的な認識システムをベースにしながら、時代や文化によって異なった発達を遂げますが、現代人は概ね以下の通りです。

近景は、霊長類にとって手を伸ばして届く距離です。地上に降りた人間では、それに加えて、軸足を残して一歩踏み出して手を伸ばして到達できる距離て意味付けられます。

中景は、霊長類にとっては森林の中で見通して、一気に移動できる距離です。地上を移動する人間だと、歩くことを意識せずに、改まった構えなく歩いて移動する距離です。1.5mから数十メートルほどでしょうか。

遠景はそれよりも先や奥の世界です。

画家の平松依里子さんは、ペンスケッチという技法で、瞬間的に感じ入った風景を下書きなしで即興的に描き、水彩画作品にされています。倉敷出身で、地元に密着して活躍されていて、日々、芸術文化都市・倉敷の新たな魅力を発掘し、発表されています。

画家、平松依里子さんの似顔絵(筆者による。本人の了承を得ています)

平松さんの絵は、空間の似顔絵と言うべき芸術作品で、近景、中景、遠景の意味づけが、解りやすく、強調されて描かれています。

それでは、実際の作品を見てみましょう。まずは、以前紹介したことがある、倉敷美観地区の路地を描いた「夕暮れてまた明日」です。

平松依里子・作「夕暮れてまた明日」2021年 筆者・蔵

手前の近景は描かれていませんが、足下が見えるかのように、路地の前に立つ平松さんの存在が、はっきりと感じられます。
立った位置から、路地を抜けて大通り(本町通り)までが、中景になっています。中景には、物語のクライマックス場面のように、狭い路地が、影が深くなって一足先に夜の雰囲気に移ってゆくのが、詳細に描かれています。
路地を抜けた先の、まだ明るい大通りと、大通り沿いの商家と背景の鶴形山が遠景になっています。
普段目立たない路地裏を主役にして、空間の層構造を情緒豊かに描き上げてあります。

続いては、「下津井街角美術館より」です。

平松依里子・作「下津井街角美術館より」2021年 筆者・蔵

下津井街角美術館は、港町として栄えた倉敷市下津井地区の、昭和の民家をそのまま美術館に転用した施設で、住人が住んでいた当時の間取りや家財道具がそのまま活用されています。棚に置かれていた新聞は、昭和40年代の日付のものでした。作品は、そんなノスタルジックな建物の2階の窓から見た風景が描かれています。筆者も現場に行ってみましたが、構図は、標準レンズのカメラで切り取ったように、見えたそのままでした。

平松さんが窓辺に立っていて、美術館の瓦屋根が近景になっています。
そこから軒を連ねる蔵が中景になっています。染みが付いたり、漆喰が剥がれたりした蔵の壁の経年変化が繊細に描かれ、いくつもの物語を抱えて過ぎた年月が回顧されます。
遠景は、こっそり見える瀬戸大橋です。
近景と遠景とが、ノスタルジー豊かな中景を、やさしく挟み込んでいます。

なお、残念なことですが、間もなく下津井街角美術館は閉館になるので、近々この風景は見納めになってしまいます。

3作品目は、「海が見える景色」です。

平松依里子・作「海が見える景色」2022年 筆者・蔵

倉敷市下津井地区の漁港近くで、民家の間から見える海が描かれています。最初に紹介した倉敷美観地区の路地と同様に、近景は描かれていませんが、作者の立ち位置が、はっきりと感じられます。
細道の先が明るくなって、そこから先が海へと続く遠景になっています。
遠景の海は狭く描かれ、主役は、中景になっている民家の間の空間です。普段、注目されることがない民家の裏口の風景が、叙情的に描かれ、モチーフとして芸術へと昇華されています。

近景、中景、遠景は、画家の想像力によって、スケールが変化します。

4作品目は、「瀬戸大橋あずま屋からの風景」です。

平松依里子・作「瀬戸大橋あずま屋からの朝」2021年 筆者・蔵

平松さんは、倉敷市児島地区にある瀬戸大橋のビュースポット・あずま屋に、日の出前から登頂し、5:30から朝の光を待ちました。
1988年の竣工から35年が経過し、見慣れた瀬戸大橋の風景も、光が少ない時間帯に描かれることで、遠近感が強調されます。
近景は、作者が立つあずま屋のある山肌です。
そこから中景として、本州・倉敷側の最初の橋梁が、画面の主役として優美に伸びているのが描かれています。
橋梁の2番目の主塔から先に、いくつもの橋を連ねて四国へ続き、次第に霞んで行く風景が遠景になっています。
遠近感が圧縮され、日中よりも中景が手前に引き寄せられて描かれることにより、写生スポットに立つ画家の足下の感覚が強く感じられます。それによって、絵を観る者に、風景から迫り来る、建造物の巨大さを強く感じさせる作品になっています。

最後の作品は、「名曲喫茶・時の回廊 レコード室」です。

平松依里子・作「名曲喫茶・時の回廊 レコード室」2022年 筆者・蔵

画家は、喫茶スペースから距離を置いて情景を眺めているのではなくて、ソファーに座って、ゆったりと過ごして居るのでしょう。絵の中で近景は描かれていないのですが、座面・背面に感受される作者の体性感覚が、見えない近景としてリアルに感じられます。
シュガーポットと花瓶が置かれたテーブルの端と、レコード室の窓と、レコードの棚が、外から差し込む白光と室内の暖光とに照らされて、重厚で魅惑的な中景の層を形成しています。
レコード棚の向こうにスタッフ・スペースの存在が感じられ、遠景になっています。
空間が前後に圧縮され、画面では中景しか見えませんが、近景と遠景が体性感覚としてはっきりと感じられる、臨場感のある表現に仕上がっています。

紹介したこれらの作品から解ってくるのは、平松さんが空間のなかで、中景を強く意味づけし、主役にする、「中景の画家」だということです。それは平松さんが、子供の頃から自然の中を駆け巡って、身体を移動することで、中景の世界を豊かに経験されたからだと推察します。

メタファーで喩えるなら、平松さんは、ロースカツ・サンドイッチです。

倉敷には、おいしいロースカツ・サンドイッチがあります。美観地区南端の道路沿いにテイク・アウト専門のお店がある、倉敷サンドキッチンさんの「ピーチポークロースカツサンドイッチ」です。

倉敷サンドキッチン「ピーチポークロースカツサンドイッチ」

平松さんの作品が、中景に厚みがあるように、倉敷サンドキッチンさんのピーチポークロースサンドイッチは、食パンの層が薄くて、間のロースカツの層が厚くなっています。

食すと、平松さんの作品が叙情に溢れているのと同じように、ピーチポークロースカツの滋味深い味が溢れ出す逸品です。

前作は、こちら


*文献
イーフ・トゥアン・著(小野有五・阿部一 共訳):トポフィリア 人間と環境. せりか書房, 1995年, P21-33


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