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倉敷川河畔の露天商

倉敷はかつて水運で栄えた町です。美観地区を流れる倉敷川は、海とつながる水路でした。「旧・大原家住宅」の前が水路の終着点になっています。ここにかつて海路より、大量の物資が搬入・搬出されていたことでしょう。言わば、水運共同体の本社といったところです。

大正15年以降、この一帯は象徴的権力と結びついた芸術と文化の中心地へと変貌します。

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「今橋」欄干 「菊の紋」と「五爪の龍」の浮き彫り

大正15年(1926年)、昭和天皇が皇太子の時、倉敷行啓の際、現在の大原美術館と旧・大原家住宅を繋ぐ場所に、「今橋」が架けられました。今橋は、車で渡れるようにと鉄筋コンクリート製ですが、外観は石造りです。橋の欄干の石には、皇室を象徴する「菊の紋」と「五爪の龍」が浮き彫りにされています。
行啓:太皇太后・皇太后・皇后。皇太子・皇太子妃の外出を言う尊敬語)

昭和3年(1928年)には、大原家住宅から道を挟んで、倉敷行幸時の迎賓館として「有隣荘」が建設されました。そして昭和5年(1930年)には「大原美術館」が竣工しています。今、このエリアは、倉敷観光の中心的なスポットになっています。
行幸:天皇の外出を言う尊敬語)

さて、水路(倉敷川)沿いには、昔から、手作りのアンティークな風合いのアクセサリーを売る露天商が集まっています。彼ら・彼女らは、毎朝、手荷物で“商売道具”を運んできて、倉敷川河畔に布をひいてワーク・エリアを確保して、商売をしています。そして夕方になると撤収します。

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倉敷川の「今橋」界隈
奥が「旧・大原家住宅」、隣の緑〜橙色の瓦屋根の建物が「有隣荘」。
倉敷川に架かる橋が「今橋」。今橋を渡った対岸に「大原美術館」がある。
手前は、アクセサリーを販売する露天商のワーク・エリア。

以前紹介したベニシアさんも、イギリスからやってきて、ここで露店を開いていたということでした。彼ら・彼女らは、世界中から集まった漂泊の民と言えます。伝統と格式のある重厚な芸術文化拠点に、身軽な自由人である漂白の民が同居するのは、よく考えてみれば、不思議な光景です。倉敷の町も彼らを排除せず、共存しているようです。観光客目当てで集まっているのでしょうが、他のメジャーな観光地では見られない集積度です。なぜこの地に漂白の民が集まるのか、古代まで遡って考察してみました。

人類学者の中沢新一は、概ね以下のようなことを述べています。かつて日本人は、丸木舟で海を渡って日本列島に定着しました。都市は、大きい川が海に流れ出たところの砂州の上に作られました。博多や大阪や江戸などです(水の都)。砂州には縦横無尽に水路が掘られ、都市を発展させました。内陸の都市(奈良、京都など)も川を遡ったところにあり、海と関わりのある人達が定住しました。だから日本人には、舟で自由に移動する、漂白の心性があると言われています。五七五七七の基本リズムは、オールを漕ぐリズムだとする説もあります。

都市に定着すると、そこに文明と権力が生まれます。権力は周辺を軍事的・経済的に制圧しますが、そのあと芸術と文化によって平定します。
古代の天皇は儀式と言葉の芸術である和歌の頂点に立つ存在でした。それ故に、権力の中枢部は、軍事拠点や商工業の拠点から、やがて、芸術文化センターに変貌します。

そんな人類学的な仮説を紐解いて、倉敷川の光景をみると合点がいきます。海から水路を遡った先に、今橋界隈の芸術文化センターがあり、天皇家と結びついている(ちなみに、大原孫三郎の妻、寿恵子さんは歌人でした)。そんな芸術文化センターは、水路を通じて海に開けていて、外から来る漂白の民を寛容に受け入れている。だから、露天商が集積する光景が生まれたのだ!

・・そんな想像の世界がつながって、安堵に満たされて、大原美術館横の老舗喫茶エル・グレコでゆったりとアイスコーヒーをいただきました。エル・グレコの店内では、アクセサリーが販売されていて、露天商との深い関わりを伺わせました。

報道によれば、美観地区の露店は、市道の不法占拠の状態であるとのことでした。数十年前から続いていたが、倉敷市は今まで黙認してきたとのことです。
石井によれば、公共空間を平滑化する、つまりモノや空間の意味を一元化するのは世界的な流れです。歩道は歩くところ、植栽は美観をつくるもの、石垣はただの擁壁であり、曖昧なモノや予想外の使い方を許さないようになります。最近、京都大学の名物だった、百万遍の交差点に面した北門の立て看板が撤去されました。
立て看板も露店も、公共空間の隙間に様々な様相・意味をもたらす居場所だったわけですが、やがて消え去って行くのでしょうか。

(2019年8月24日撮影)
参考文献のあとに追伸の記事があります。

参考文献
中沢新一・小澤 實:俳句の海に潜る. 角川書店. 2016, P9-52.
石井美保:めぐりながれるものの人類学. 青土社. 2019, P81-85.

追伸
倉敷川沿いに、ずらっと並んでいた露店商のワークエリアは、無くなっています。いまどうやって生活しているのか気にかかるところです。

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(2021年5月)

 




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