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「いない」わけでは、決してない。「おとなしい」人でもいいじゃないか。

このnoteを書いている「NPO法人くらしアトリエ」、noteのフォロワー数はおよそ2000人。
ですが、日々の発信につく「スキ」の数はいつもひとケタです。

見ている人が少ないのか?と思いきや、コンスタントに数百名の方のビューがあるので、継続して読んでくださっている方は一定数いらっしゃるんですよね。ありがとうございます!

「読んだけどスキに値しないから押さない」ということなのかもしれませんが(もしそうだったら申し訳ない…)、私たちはこれを、「シャイな方が大勢読んでくださっている…のかも?ここには自分たちみたいな圧倒的な【静かな人】のマジョリティがある!」と、ポジティブにとらえています。そして、「いいね」を押さなくても全然OK!と思っています。(自分達も実際よっぽどじゃないといいねを押さない。)

私たちは「いいね」の数を競うというところから一歩退いて、「継続して」「真面目に」「伝えたいことを真摯に」書く、ということを心がけ始めてから、数字があまり気にならなくなりました。(とはいえ、スキやいいね!をたくさんいただくとやっぱり嬉しいのですが。)

イベントなどで直接お客さまと対峙する時に、よく「いつもnote読んでます」「インスタも、いつも見てます」と声をかけていただきます。それが本当に嬉しい。
スキやいいね!を押してもらわなくても、確かに届いている、と実感する瞬間です。
そして、そういう場で勇気をもってこっそりと「見てます…!」と言ってくださる方の存在が、自分たちの存在意義でもあるのです。

たびたびコラムやnoteの記事でも話題にしていますが、くらしアトリエは地域づくりのNPOとしては珍しく「シャイな人たちで構成されているNPO」です。これはおそらくかなりの異端。地域づくりをやろう、と志す人はたいてい、「地域を変えたい!」というパッションに溢れた人たちで、そういう方々は往々にして元気で周りを引き込む力がある、と思うのです。

でも、くらしアトリエのスタッフはほとんどが「私はいいので、どうぞ…」というタイプの人たち。普段は生活の場面において声を発することも少なく、いわゆる「いるかいないか分からない人」ばかりです。でも、「いるかいないか分からない人」は実は、大勢いるんじゃないか、というのが私たちの持論。

大勢いるのに見えないのは、むろんその人たちが出す声が小さいからなのですが、声が小さいからと言って、主張しないからと言って「いない」わけではない。

だから、くらしアトリエはそちら側の人たちとともに歩むという役割を自分たちに課し、「普通に、ごく当たり前に生活をしていく中でも、自分が住まう土地について考えることはできるんですよ」「地域づくりは特別なものじゃなくて、暮らしの中のささやかなことからでもできること…というか、皆さんがもうすでにやってることなんですよ」というのを伝え続けています。

この作業、「本当に見えているのかな、伝わっているのかな…」と、手探りなところもあるのです。見えないけれど、いると信じて伝え続ける、という、地道な作業。

なので、イベントなどで「見てます」とひそやかに声をかけてくださる方に出会うと、「あ、見えなかったけど、やっぱりいたんだ!」「ちゃんと届いてたんだ!」と思い、感動するわけです。

こういう、普段見えてこない人たちは、ひとことで言うと「静かな人たち」。このコラムの記念すべき1回目は、そんな人たちへの思いを綴ったものでした。

対して、皆の先頭に立って引っ張っていく人、それに「ついて行きます!」と表明する人…こういう人たちは「声を出せる人」でしょうか。
これは「内向的な人」「外交的な人」というカテゴリにも言い換えられるかもしれません。

もちろん、0か100かで分かれるわけではなく、グラデーションが無限にあると思いますが、私たちは「静かな人」の側であり、また、そういう人たちの代弁者・伴走者でありたい、と考え続けてきました。

そして、これもたびたび言い続けていることではありますが、「声を発することが上で、静かなことが下」「声が大きい方が正解」という、何となく流れるムードみたいなのが、とても苦手です。
大勢で集まると「静かだね、楽しんでないの?」と言われたり、一人でいると「寂しいね」と決めつけられたり…そういうのって、どこから来てるんでしょう。

私自身は、小学校の時の「発言する人が偉くて、発言しない人はダメ」という先生からのプレッシャーが大いに影響しています。
何度も何度も「なんで発表しないんだ」と叱られ、「みんなの前で意見を言うことこそ正解」という概念を植え付けられて、「私は発言できないからダメな人間なんだ」と考えるようになった気がします。それが、いまのネガティブな性格の素地になっていると思うのです。
でも……小学校時代、本当に人の前で自分の意見を言うことができず、発表すると涙が止まらなくなってしまうくらいだったのですが、そんな私が30代でNPOを立ち上げ、いま、いろいろな場所で講師として大勢の前で話をしている。この事実こそが、「別に静かでいても良くないですか?」という問題提起につながっています。

自分の娘も小・中学校で面談のたびに必ず「もう少し積極性があるといいんですが」と釘を刺されましたが、心のなかで「そんなことなくない?」と思っていました。
積極的な子が良くて、消極的な子は悪いのか?という話をよくスタッフとするのですが、多様性を重んじると言いながら、一方で「積極的な人こそベスト」とする考えはナンセンスでは?と思っていたのです(言いませんでしたが…)。

いまの時代は、もう少し消極的な人も生きやすい教育現場になっているのでしょうか。そうだといいなあ、と願わずにいられません。

多様性の時代、とよく言うけれど、静かな人の尊厳もきちんと認めてもらえる世の中であってほしい。

外でわいわいにぎやかに集えなくても、その人が必ずしも「寂しい」ということではないのです。家の中で読書をしているその時に、頭の中では大冒険をしているかもしれない。
友達が少なくても「かわいそう」とは限らないのです。心を通える大切な人が少しいれば、それで充分満たされている、という人もいるのだから。

ひそやかに日々を過ごす方たちが、いま、住んでいるその土地を楽しめるように、情報を発信し、考え方を共有していく。くらしアトリエを日頃見てくださっている方に、そんな考えが少しでも広まればいいなあ、と思いながら活動をしています。

…という、ちょっと異端なNPOではありますが、地域についてこういう視点を持つNPOがいるというのも、多様性の時代には必要なのでは、と思っています。
シャイな方、ひそやかな方、大歓迎。
そしてもちろん、わいわい賑やかなことが好きな方、ぐいぐいと周りを引っ張ってくださる方も、大歓迎。(自分にはできないことなので、本当に尊敬しています。)

それぞれが役割を持ち、お互いを尊重し合って、地域での暮らしを楽しめるような世の中であってほしいですね。


サポートありがとうございます。とてもとても励みになります。 島根を中心としたNPO活動に活用させていただきます。島根での暮らしが、楽しく豊かなものになりますように。