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親の死に目に会えても、会えなくても。

子どもの頃、霊柩車を見たら絶対に親指を隠した。
そうしないと親が早死にするとか、死に目に会えないとか、そんな言い伝えを信じていたからだ。なんだかこわくて、霊柩車が見えなくなるまでいつも両手の親指をギュッと握っていた。今もあるのかな?そんな迷信。

そのおかげではないと思うけど、父の死に目に会うことができた。

親の死に目に会いたいですか?


大切な人とのお別れのしかたは、学校では教わっていない。
友だちとも話したことないし、深く考えたこともなかった。
なんとなくドラマや映画の中の世界ではみたことあるけれど、現実はドラマとは違う。
わたしは、「死」がどういうものなのかもよく知らず、どうしたらいいかわからなくて戸惑った。

父は緩和ケア施設にいて「延命処置はしない」と事前に決めていたから、呼吸器、点滴、モニターなどは一切なく、何にも繋がれず、自然に寝ているだけだった。

看護師さんが時々様子を見に来てくれて、いつも通りに父に話しかけていた。もう少しで死ぬ父と、いつも通りの看護師さん。その2人の温度差に、なんだか不思議の世界に迷い込んだような気持ちになった。
「死」ってもっと怖くて必死で大騒ぎするものだと思っていたけど、そうじゃなかった。無理に生かそうとしなければ、こんなにも自然の流れに任せることなんだ。

「耳は最後まで聞こえているから話しかけてあげてね〜」と看護師さんに言われたけれど、まだ生きている父にお別れの言葉を言うことに抵抗があった。「お父さん、今までありがとう」なんて言ったら、「もうあの世に行ってもいいよ」になりそうな気がしてなかなか言えなかった。

母は、父の呼吸が止まりかけるたび「お父さん!また一緒に淡路島に行くって約束したやん」と大きな声で呼び止めていた。その声が届いていたのだろうか?呼吸を再開する父を見て、「たたき起こされてかわいそうだな」とぼんやり思った。

私は、お別れや感謝をうまく言葉にできず、手を握って心の中で伝えるしかなかった。手を握ってハッとした。いつぶりだろうか。病気になってからも、優しく手を握りながら話しかけることをしなかったな…。
まだ生きている父の手を握ったのに、ガラスみたいに無機質な冷たさで、真っ白で、私の手よりも細く小さくなっていた。
もうわたしの知っているお父さんの手じゃない。胸がぎゅうっとなった。

最後の呼吸の時は、魂が抜けるのが見えた気がした。
だから父がずっと心配していた母のこと、「お母さんのことは任せて!」とだけ大きな声で伝えることができた。
もう体は空になって、父が自由になったように感じた。ただそう思いたいだけかもしれないけど。

横浜から飛んできた妹は、間に合わなかった。夏の夜、外はすっかり暗くなっていた。ここまで一人ぼっちでどんな気持ちで駆けつけたのだろう。
せめてベッドの上で眠っているような状態の父と会えたら良かったのに、家に連れて帰るために車まで運ぶ途中に出くわしてしまった。
運ぶ時は白い布で体を包み込むから、そんな状態の父と対面してしまった妹はつらかったはずだ。
そしてきっと、「死に目に会えなかった」ということも。

わたしは父の死に目に会えたけれど、あたたかい時間には全然できなかったように思う。
不安で戸惑いながらも、ずっと目を逸らさずに見ていたから、父の姿は鮮明に脳裏に焼き付いた。目を閉じると浮かんでくる父の姿が、最後の姿になってしまった。以前の姿が思い出せないくらいに。焦った。

でもね、人間の脳ってよくできているな、と感心する。
葬儀では遺影があって、その写真の父をずーっと見ていると、だんだん、少しずつ修正されていった。最後の姿から、元気だった頃の父の姿に。

遺影の力はとても大きい!優しく笑っている「父らしい」その遺影に本気で救われた。介護をギブアップした母も、死に目に会えなかった妹も、きっと同じだと思う。
だから、生きているうちに大切な人たちとたくさん楽しいことをして、いっぱい笑って、できれば写真にも残しておきたい。

親の死に目に会えても会えなくても、どっちでもいい。

今思うのは、親が死ぬ時にそばにいてあげられるかどうかよりも、生きている日々にどれだけいい時間を過ごせるかの方がずっと大事だ、ということ。

最後がどうであれ、私も母も妹も、生きてる父といい時間を過ごしてきた。それで十分なのだ。

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