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モノに込められた想いって、どうやって知ることが出来るのだろう

仕事を終え、保育園に娘を迎えに行き、バタバタと食事を済ませ、お風呂に入れて。子供を寝かせた後に食器を洗っていたら、茶碗が割れた。

あー、新しいもの買わなきゃな、と思いながらふと、自分と【モノ】との関係について考えた。わたしの『子育て(2歳児)×仕事』という日常の中では、どうしても『壊れにくい』『汚れても気にならない』など、【大切にしなくても平気】という事が優先になっているかも知れない。なので、この茶碗が割れても『あー、新しいもの買わなきゃな』くらいの感じなのだ。

【モノ】は必ず誰かの手によって作られているわけだけれども、社会の中である程度経験を積んで来ると、製品の多くは『事業として利益を得る為に作られている』という事がよくわかる。そう考えると『何でこんなに安いの!?』というものも、沢山。

商品は山ほどあり、どんな選択でもできる世の中で、くらしの中で継続的に使う【モノ】について何を選ぶかは個人差がとても大きいのだろうけれど。

私にとっての基準はすっかり前述のとおりになっていた。

例えば子供の食器。割れないものを選んでいるのは、割れたときの危険や割れるという不可抗力に対して子供を怒るようなことを避けたいから。

でも、割れたら嫌だから、という次の選択肢が『プラスチックの安い食器』だった事にはそんなに意味が無かった。ではたとえば、木のぬくもりが感じられるようなものだったら、どうだったんだろうか。

…いや、木だから良いという訳ではない。子供用の木の器などはきっと、沢山あって目にしてきたけれど、私は選んでこなかったのだと思う。

でももしそれが、【この人が、こんな想いを持ってデザインし、このような試行錯誤を経て、こういう工程で生み出された食器】という事がわかったら。

その想いに共感できたとき、わたしはこのモノが多少高くても購入し、娘に使わせたいと思う。そして、娘にその『モノ』に込められた想いを伝えながら、大切に使うようにと言うだろう。

それは私がその『モノ』を選んだ理由に乗せて、『あなたの事を愛しているから、❞作り手さんがこんなに愛を込めて生み出してくれたモノ❞を選んだのよ』という気持ちを伝えたいのかも知れない。

そうか。『モノ』って、想いがこもった時点で『愛情の代弁者』になるんだな。

例えば大切な人からのプレゼント。その選んでくれた人の想いが伝わるからこそ、その【モノ】が特別になって、使う度に幸せな気持ちにしてくれるように。

【作り手の想いを知り、共感したものを選び、使うたびにその想いを感じながら暮らす】ということは、『作り手がモノに込めた愛』や、『それを選んだ自分への愛』を、日々の中で感じながら暮らすということ。それってなんだか、あたたかい。

『くらしずく』というクラフトイベントの価値を上手く言語化できずにいたけれど、たとえば。

『くらしずく』で出逢えるモノは、全て【暮らしによりそう作品】で、その作品を作った人に【どんな想いを込めたかを聴く】ことが出来て。【その想いに共感してその作品を購入する】という流れを経て【くらしの中で使う】。そうすることで、【作品に込められた想い】や【これを選んだ自分のくらしを愛する気持ち】を日々感じられる日常をつくりたい。それが、『くらしずく』という場の存在意義。

【自分の作品がどんなしあわせを生み出しているか】を作家さんも知る事が出来たらもっといいな。作り手も使い手もしあわせになれるこの循環が当たり前になったら、もっと【モノに込められた想い】を知りやすい世界になるかも知れない。

さて、割れてしまったわたしの茶碗。それまで何で代用するかは悩むけど、もう少し時間をかけて【想いが込められたもの】を探してみようかな。(ゆうこ)      

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