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Gift 04 〜 ぼやかされた「微かな怒り」によって愛が使える自分を失う

現在の職場に初めて出社した日や、一緒に暮らすパートナーと初めてデートした日、いまでも続けている趣味の集まりやボランティア活動に初めて参加した日など、初の体験を思い出すと、そこにはたいてい「愛が使える自分」がいます。

そのあなたは、慣れない状況に少し緊張しながらも、前章で書いた「形のないもの」を惜しみなく発揮して目の前のロールをひとつずつていねいに完了させていたはずです。

そこから現在に戻ってみると、自分の心が大きく変わったことに気づけます。いまでは、どの仕事も「最良の形に仕上げたい!」とは思えなくなっています。パートナーに何かを頼まれても、あのころのように「喜んで!」と言って引き受けたくありません。「私でよければ!」と快く貢献できていたコミュニティーに、いつからか貴重な時間を奪われていると感じるようになりました。

いったい、何が起こったのでしょうか?

おそらく、私たちはこの変化をしっかりと自覚しています。けれども、何がそうさせたのかの問いにはあえて立ち入らずに、

「長く続けていれば熱が冷めたり飽きたりするさ。それが人情じゃないの?」
「最初はテンションが高かっただけ。慣れれば落ち着くってことでしょ」

といった、あきらめに近い説明で納得しているようにも見えるのです。

こういう冷めた態度でやり過ごそうとするとき、私たちはきまって向き合いたくない感情を心の奥底に隠しています。では、愛が使えなくなる原因でありながら、直視したくないものとは何でしょう。

その正体を探るためにも、

「初日の自分と現在の自分を比べて、明らかに異なっている点は何か?」

をもっと綿密に見ていきましょう。

まずは、私の経験を元にパートナーとの関係をたどります。意中の人とようやく食事の約束を交わし、待ちにまった初デートの日を迎えたとき、私は「形のないもの」を使う意欲に燃えてレストランに向いました。

もちろん、若いころは下心も大いに抱いています。それでも、そういうよこしまな目的とは別に、前章で挙げた「優しさ」や「思いやり」や「もてなす気持ち」を、まばたきや呼吸をするくらい自然に発揮できていたと思います。

しばらくして、彼女と一緒に暮らすようになると、たしかに「コイツだけには愛を使いたくない!」と感じる瞬間が増えていきます。もちろん、先の「あきらめに近い説明」に出てきた飽きや慣れも少しは関係していたでしょう。けれども、ここまで自分が豹変する動機としては弱すぎる気がします。

おそらく、もっと大きな契機があったに違いありません。詳細に振り返ってみると、その分岐点には例外なく、

「パートナーの言動に怒りを抱く出来事」

が見つかりました。

2002年から2019年まで、私は企業の顧問やコンサルタントの仕事に携わっていました。約17年の経験の中で、新卒か中途かに関わらず、入社の初日から怒っている人を見たことがありません。みな一様に笑顔を携え、大小の違いはあってもそれぞれに夢をもち、新天地の仲間といい関係を築こうとしていました。

私の役割のひとつだったワンオンワンの面談でも、入社したてのころは「やりがいを感じています!」「できれば新しい企画を手がけたい!」「部署の人たちともいい関係を築けています!」といった前向きな話に終始します。

ところが、半年から1年ほど経つと「やる気が失われてきた」「いまの仕事に向いていないと思う」「相性がわるくて苦手な人がいる」などの悩みを打ち明ける人が増えてきます。経緯を詳しく聞いてみると、そこにはいつも上司や経営者や組織に対する怒りがありました。

これが、先の問い「初日の自分と現在の自分を比べて、明らかに異なっている点は何か?」の答えではないでしょうか。つまり、

「私たちは、怒りによって愛が使える自分を失う!」

ということです。

そしておそらく、この怒りは自分でも気づかないくらい微かなものであるはずです。そもそも、私が若いころの昭和の時代とは違って、いまは職場でも家庭でもそう簡単にブチ切れることはできません。

正直に感情を表現していると、自制の効かない人や、チームの和を乱すわがままな人と思われるのではないかという不安もあります。また、怒りにはかならず相手を攻撃したい衝動が伴います。これを自分の中に感じたり、他の人に見たりするのが苦手な人もいます。

そこで私たちは、怒りを抱いた瞬間に、それを「悲しみ」や「孤独」「失望」「不満」といった別の想いに変換する習慣を身につけました。

ちなみに私は、身勝手なヤツと思われずにモヤモヤした気持ちを主張できるよう、巧みに理論を展開させて怒りを「正義」に仕立てる技をよく使っていました。

もしかしたら、先の「あきらめに近い説明」に並んでいた「冷める」や「テンションが下がる」や「慣れる」も、じつは同じ置き換えのバリエーションなのかもしれません。

こうして、うまくぼやかされた「微かな怒り」は、折り重なるように私たちの心に溜まっていきます。しかも、さまざまな形に加工することで、その原因とは認識されないまま「愛が使える自分」を封印し続けているのです。

(次章に続く……)

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