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年を越すときに思うこと。

年の瀬を感じる瞬間はたくさんあるけど、例えば紅白歌合戦、お正月準備に賑わう百貨店、年越しそば、仕事納めに良いお年を、と言い合うこと、忘年会、その中でも一番今の若者が今年がどんな年だったかな、と思い返すのは、インスタのストーリーでみんなが今年一年の締めくくりをあげているのを見ることだと思う。それぞれ、思い思い一年を振り返っているけれど、ストーリーに載せられる人はきっと、一年を明るい気持ちで締めくくれる人だけだと思う。いい一年だった、楽しい一年だった、新しいことに挑戦した一年だった、色々な人に支えられた一年だった。色んな一年を見たけれど、どれも眩しく感じた。私は、一年をうまく振り返れなかった。あまりにも自分にとって、失恋したこと、元彼の存在が大きすぎて、思い出そうとしても、そのことで頭がいっぱいになってしまって、悶々としたまま年を越しました。新しい一年が始まろうとしているのに、まだ私の心は去年を引きずっている。当たり前っちゃ当たり前だよね。年を越したからって、忘年会をしたからって、去年のことを精算できるわけじゃない。ただ、いつもと同じように日を越しただけだ。

新年早々、元彼のことを思い出して少し泣いてしまった。いまだに、あの時ああしていたら違ったのかな、などと考えてしまう。そして、そんなことを考えている自分が虚しくて、涙が出てしまうのだ。なんで、過去の自分を簡単には許せないんだろうか。私は、高校の時の自分のことも許すまでに2年近くかかった。高校の時、部活動に励んでいたけれど、頑張りきれなかった自分がずっと許せなかった。でも、今はあの時できる精一杯はやっていたな、と認めることができる。確かに、誰よりも熱量を注げたとは言えない。ずっとどこかでスイッチが入り切らない自分もいた。やらなきゃ、しなきゃ、っていう義務感に追われていて、自分の意思じゃないものに突き動かされている感じがあった。だけど、それでもちゃんとやり切ったんだから偉いと思う。もちろん、もっと視野を広く持っていれば、もっと伸びただろうけど、あの時はそんなことを考えられなかった。でも、今そのことに気がついて、大きく飛躍することができたし、伸び伸びと活動できているから、もう過去の自分を許せないことはないし、あの時の自分がいたから今があると思える。
今こうして、高校時代の自分を思い出して、どのように許すことができたのか言語化して振り返ってみたけれど、あの時より今が成長できてると思えること、が許せるようになる一つのポイントなのかもしれない。誰しも、過去の自分を乗り越えるときには、今の私みたいな胸の痛みが必要なのかもしれない。たまに思い出しては、自分の過去の行動が許せなくなる。あの時、もっとああしていたら、彼の関心を失うことはなかったのかも、もっと愛されていたのかも、って思っちゃう。でも、そうやって過去の自分を許せない自分に今日気がついたから、そんな今の自分を受け入れて、そんな自分でもいつか許せるようになる時がくるって信じて、前を見つめるしかない。前に進む時はいつでも、今の自分の姿に気がつく時だし、過去の自分を気がついたら許せるようになっている時だと思う。人間は止まることなく生きているから、気が付かない限り、ずっとそこにいるままなのだ。でも、気がついたその時から、変わることができる。特に行動を起こさなくたって、今の自分を受け入れて、前に進もうと思うだけで、もう立派な変化だと思う。そういう意味で、2024年は、前に進む年でありたい。

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