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言い争い

 街中で、滅多に使わないがバスや電車の待合で、言い争いに出くわすと、つい聞き耳を立ててしまう。

 基本、人と人とが言い争って、こじれて、話がややこしくなっていく過程に面白みを感じる性分のようだ。

 あまりにシリアスなものは御免だが、しょうもないこと、答えがどっちに転んでもどうでもいいことに対して白熱した言い争いになってくると、私は隣で笑いを堪えるのに必死になる。

「どっちでもええやん!」

 と半笑いで突っ込みたくなる衝動を、必死になって堪えているのだ。

 珍しく早起きをして、某大手肉パン挟みチェーン店で、モーニングコーヒーを飲んでいた時のことだ。

「なんだ、その口の利き方は!」

 カウンターで中年男性が高校生バイトに大声を出している。見れば男は五十代、恐らく同年代だろう、全く嘆かわしい。

 席がカウンターに近かったので、私もなんとなく高校生の応対は耳に入っていたが、声が小さかったくらいで、それほどひどい接客をしたようには思えなかった。

 どうして中年男はここまで恫喝をするのだろう。見れば頭も薄くなってシャツもヨレヨレの貧相な男である。日頃からの鬱憤が溜まっているのだろうか。常に会社で怒られ、家庭でも蔑まれ、怒る相手が高校生バイトくらいしかいないのだろう。

 今はスポーツジムを退会したが、私の方が良い体格をしている。そんな貧弱な身体で、よく高校生を恫喝するな、と思った。やり返される心配がない相手を選んで喧嘩を売っているのかもしれない。

 高校生の男の子は、顔を真っ赤にして口を横一文字に結び、ワナワナと身体を震わせている。

「なんだ、その口の利き方は、と言っているんだ!」

 中年男はまた大声を上げた。私は周りの客をぐるりと眺めていた。皆一様に関わり合いにならないよう、知らぬふりをして聞こえぬふりで通していた。これもちょっと情けない。

「普通にお渡ししました」

 高校生は、泣きそうな目でなんとか言い返した。

「なんだと?」

 またも中年男は大声を出した。私はたまらなくなって、ついその男よりも大きな声を出してしまった。

「普通の接客に聞こえたけどね!」

 中年男は、まさか横槍が入るとは思わなかったようで、客が高校生の援護射撃をするとは考えてもみなかったようだ。鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をして目を見開いている。

 男は少し躊躇した後、私に向かって言い返してきた。

「お、オマエに関係ないやろが!」

 私は私の一言で、その男が自分の行き過ぎた言動を認め、一旦クールダウンして恫喝をやめるものとばかり思っていたのに、まさかのこちらに言い返しである。それも貴様には関係のない話だろ、ときたもんだ。その返事に私は更にカッとなってしまった。こうなると私も頭に血がのぼって止まらない。

「俺は日曜の朝、金を払って静かにここでコーヒーを飲むための権利を買っているんだ。せっかくの爽やかな日曜の朝、オマエのせいで台無しや! こんな安い店でサービスに文句あんなら、もっとええ店行け!」

 相手が『なんだと』と言いそうになった瞬間、店長らしき男が後ろから恫喝男を抱き抱え耳打ちした。代金をサービスする、とか申し訳ございません、他のお客様にご迷惑が、とかなんとか言われたのかもしれない。結構力ずくで恫喝男は店の外に一旦押し出されていった。

 高校生は力が抜けて泣きそうになるのを、スタッフのおばちゃんが背中をさすりに来ていた。

 私は気分が悪くなり、まだ一口分のアイスコーヒーが残ってはいたが、飲み残し口に吸い込ませて、店を出た。少し冷静になって店内を見渡してみた。

 井川遥似のキャリアウーマン美魔女が、うっとりした目で私をみているような気がした。別にヒーローを気取ったわけでもなく、聞くのは好きな言い争いに、いざ自分が巻き込まれたら、自制できなかっただけのことなのであるが、泣きそうな高校生を間接的に助けた、という形にはなっていたろう。この世知辛い世の中では、珍しい光景を見せた結果にはなった。

 この一連の話を、家に帰って嫁さんに報告した。井川遥似の一件だけは伏せて。

「アホや、アンタは」

「え? なんだって?」

 私は難聴になったのかと思い、今一度嫁さんに聞き返した。

「アンタな、いくらアンタより弱そうでも、今の世、相手が何持ってるか分からへん。顔覚えられて、バス待ちの時後ろからナイフでブスリ、なんてことになるで。アンタみたいな感じで、しょっちゅういざこざに首突っ込んでたら」

 私は言いかえす言葉が見つからず、暫くリビングに沈黙が漂った。

 ううむ。まぁそうかもな。後ろからナイフで刺されるのは嫌だな。

 まだ死にたくないので、卑怯者かもしれないが、いざこざはその場の責任者に任せておいた方が良さそうである。

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