見出し画像

私小説作家 近松秋江を読む

 日本文学史では不当に低い評価を与えられている、らしい私小説だが、最近、このジャンルを読み始めて、無茶苦茶面白いな、と。

 きっかけは争奪戦となった個人誌『怪奇探偵小説家 西村賢太』からである。読書の大半を探偵小説で過ごした私は、乱歩の傑作初期短編から読書の楽しみを覚え、もしかしたら理知的文学が好きだから読み続けているのかな、という漠然とした考えしか持たずにここまで来たのだが、それは違っていた。

 先の個人誌が気が付かせてくれたのだ。ジャンルで言えば破滅型の私小説。私は人間の『アカンがな』の精神に惹かれていたのだということを。

 大きな椅子の中に忍び込んで女性の身体に密着する『人間椅子』。アパートの屋根裏を徘徊し、生活をのぞき見した挙句、天井の節穴から毒を垂らして殺人を犯してしまう『屋根裏の散歩者』

 どれも『アカンがな』の精神に貫かれている。

 そして、その子供が発想するような、大人が聞けば恥ずかしい妄想の数々、倫理的に外れた振り切った言動。それらは長き風雪に耐える作品としての力を持つ。

 最近の私は、集中的に私小説を読み続けている。西村賢太、近松秋江、川崎長太郎などが最近のお気に入りだ。

 極論を承知で言えば、優れたオチ、見事な伏線回収、緻密な構成、大どんでん返し、そんな作り事の世界よりも、ありのままあったことを書く私小説に、本物の芸術を感じている。

 嘘だらけの世の中に、令和の今、古典私小説は輝きを持って迎えられるのではないか、とさえ思っている。

 そして破滅型の情痴私小説の傑作、近松秋江の『黒髪』を、とうとう読んでしまった。

 私は学が無いので、上手く作品の良さを伝えられるかどうかだが、読んだ感想を書き留めておこう。

 大したあらすじは無い。男が京都の芸者に呼び出され、その芸者のことを男は心底愛しているのだが、それも物凄い執着心を持ちつつ。そして相当な金銭を貢いでいるようなのだが、女の気持ちがはっきりしない、というもの。

 恋愛経験が豊富でなくとも、この男の姿は 情けなく苛立たしいものに映るだろう。

 男はただ、自分が女のことを好き、という気持ちの一点突破である。普通の感覚で言えば、貢いだ分の還元、これだけ支払ったのに、オマエの気持ちはどうなのだ?

 と怒っても良いのだが、この男はお人好しなのか、純朴なのか、女を厳しく問い詰めたりしない。一緒に居て(すぐ帰ってしまうのだが(笑))食事や会話をするから、男もその状態が楽しくて白黒をはっきりさせない。ただ女の真心を信じているのである。

 だが、どう見たって、恐らく女に気はないだろう。今でいう結婚詐欺女の振る舞いだ。

 それでも決定的な一言『貴方とは無理です』みたいな言葉がないから、終われないのだ。

 女性という生き物は、男性からの暴力を本能的に恐れて、気持ちをはっきりさせない、明言を避ける、という学術的な話を聞いたことがある。

 文学仲間も、近松秋江の無謀な芸者への貢ぎに、呆れたという。

 思うに、私小説というものは

・情けない経験をしたな。このことを書いたら、他人は喜んでくれるのではないだろうか。

・このような経験をしたから書いてみた(情けない、という客観性が欠けた状態のもの)

・情けないのは分かっている。他人に喜んでもらうつもりなど毛頭ない。この状態が苦しいから書くより他にないのだ、という鬼気迫る気持ちから。

 近松秋江は三番目の気持ちで取り組んだのではないだろうか。そしてその形こそが、作品として力を持ち得る形のものではないのか、と考える。

 そしてこれは探偵小説好きからも、純文学好きからも、両方から怒られそうだが、私の中で、常に興味を引っ張られたのは、WHY、何故? であった。

 犯人は? トリックは? と並ぶように、女の気持ちは? という興味で読み終えるまで引っ張られた。それは私にとって同列のものである。情痴小説を探偵小説的興味で読み進めていったのだ。

 男は終盤、ようやく母親と暮らしている芸者の家に転がり込んで、一ヶ月ほど共に過ごすのだが、それでもまだ気持ちも身の振り方もはっきりせず宙ぶらりんである。

 ここで読みながら『もしこの状態で、ここまで貢いで、肉体関係が無いのだとしたら、相当悲惨だな』と思ってしまった。そういう描写が無いので、行為が無い可能性だってある。

 お預けを食らったまま一ヶ月を過ごすのだ。女は生活費を得られるので有難くは思っているのだろう。

 それでも仏壇に隠してあった二人の男の写真が見つかり、男から詰問される。気持ちは他にあるかもしれないことが分かる。

「そんなもの見るもんやおまへん」

 ここで物語は終わるのだ。謎のままこの作品は終わる。理知的に解決されない。

 本物の恋も、失恋も、実際に如何ともし難い、何故俺じゃ駄目なのだ、という説明しきれないものではないか。

 青空文庫で近松秋江は無料で読める。お勧めしておこう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?