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インターネット前夜

 会社でアップルのマックを触ったのが、1996年頃だったと思う。当時最高峰のマシン、クアドラ950だった。

 そのマシンは上司の専用カスタムマシンで、メモリもハードディスクも限界まで増設されたズルいマシンであった。シャア専用である。

 私にはクアドラ650があてがわれた。中堅機で価格も当時結構したものだったが、内心は不満だった。タワー型に憧れていた。

 そのマックの部署に志願したら、あっさり承認された。上司はこう言った。
「見といてみぃ、これからは絶対にコイツの時代になるぞ」

 私もその通りだ、と確信した。そこからは毎晩深夜まで残業兼修行に明け暮れる日々であった。

 漢字トーク7、ウインドウズは95が出た直後くらいであった。上司はウインドウズを『あんなもんマックのパクリで、内容は足下にも及ばない』と切り捨てていた。

 まずはキーパンチを覚え、テキストのローマ字打ちを覚えた。これは当時、まだ珍しいスキルで、この技術は一生の財産となった。

 そしてイラストレーター、フォトショップ、クォーク、マクロメディアディレクターなどを覚えた。

 これも後のホームページ制作で、大いに役に立った。

 この頃はまだ、携帯電話も普及しておらず、私は料金の安いPHSを使っていた。

 当時の生活といえば、仕事を終え、家に帰り(深夜)、マイマシンLC630を起動し、マック雑誌の付録CDーROMの内容を漁るか、マック雑誌でテクニックや技術を習得するのが日課だった。

 アウトプットの形といっても、馬鹿でかいスキャナーから取り込んで、画素の荒いプリンターで出力するしか、表現方法がなかった。

 ある時、本屋で〜インターネット到来〜と題されたパソコン雑誌の特集が目に入った。立ち読みすると、どうやら電話回線を使って、パソコンが世界に繋がる、というものだった。パソコンで通信する、という概念は、ニフティなどの知識はあったが、掲示板テイストのやりとりで、その特集では文字の他に画像、音声、いずれは動画までやり取りできる、と書かれていた。そして海外では、個人で発信するホームページなるものが既にメジャーな存在であるらしい。

 私は確信した。絶対にこの時代が来る、と。翌日私は上司に鼻息も荒く進言した。インターネットの時代が来る、と。しかしその時の上司の反応は否定的であった。

 まず転送スピードが遅い、大きな画像(綺麗な高画質な画像)を一枚でも貼れば、表示に時間がかかる。そして画像同士の重ね合わせも出来なければ、ページ内で画像と文字の回り込みも出来ない。広告としては誠に非力だ、という至って真っ当な印刷屋としての意見だった(後年、オマエが正しかったな、と謝罪されるのだが)。

 しかし私には見えた。ホームページは個人が世界中に発信できる同人誌のようなものだ、と。そして会社で覚えたスキルが、全部ここで活かせるはずだ、と思った。この頃の私は冴えていた。

 文章入力はコーナーの一つ『雑文の匣』で。音声合成は一人多重録音ハーモニーである『バカペラの世界』で。画像処理フォトショップの技術は『8bitnow』で。

 その他にもポーザーで3D人体モデルを出力してネタを作ったり『パーパーパパ』と題して、マクロメディアディレクターの後継であるフラッシュを使い、三つのボタンにそれぞれ象やライオンなどの動物名が記されており、そのボタンを押すと、画面中央のパーパーパパがメタモルフォーゼを開始し、毎回記載された動物にならず、ぐちゃぐちゃな生物になる、というマルチメディアど真ん中なネタを深夜まで制作し、一人爆笑していた。

 スマホなど当然無い時代だったので、外界との通信はマックのメーラーソフトに入ってくる電子メールだけであった。

 今は四六時中通知が入り、手元で確認できるが、当時は家に帰り、マックを起動して初めて用件を知ったのだ。それでも郵便に比べれば劇的な進化であった。

 その膨大なメールを読むのが立ち上げてまず始める動作だった。変なメールも多かったが、熱い感想メールも多かった。

 その感想メールを読みながら、次にホームページで発信するネタを考える。

 私の出自は、連載できて紙の単著も出せたから物書きのカテゴリーかと思われるだろうが、基本はマックでやれることをお笑いに転換する、技術をネタにする『ウェブ芸人』の括りだと自分では思っている。

 そうして毎晩、感想と向き合い、創造することによって、私は世間が、世界が私を導いてくれたように今では思う。

 自然と求められていることが分かり、人気のある部分を伸ばしていった。アクセス数もそれに併せて伸びていった。

 ファミコン収集の旅で、嫁さんが激怒するシーンに膨大な食いつきがあり、私はそれを単独のコーナーに移した。

 後発のコーナー『我が妻との闘争』である。そこからマック雑誌の編集者さんからお声掛け頂いたのは早かった。

 あの一連の流れは、トランス状態で、世間様に連れて行ってもらった感が凄くある。

 実りある人生を歩めた。みなさんのおかげである。

〜続く?〜

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