勉強が出来なくなる理由は、どこかで基礎をないがしろにしたツケ、というお話

某SNSでの話題を元に、一度だけちょっと深く考察するだけの文章です。

勉強で、ある時突然できなくなることがあり、その原因を探ると、
これまでに基礎が出来ていない状態をほったらかし、そのままずっと誤魔化してきた結果だ。

というような内容のポストがありました。
言い得て妙なことだと思います。

自分の場合、数学がなかなか得意にならず、とくに一次変換と対数がボロボロだったんです。
まぁ、一次変換については変換の基礎であるところのベクトルの演算が、通常の四則演算とはちがい例えば交換法則が成り立たないとかそういうところをぼろっと無視してしまったからだろうな、という把握はあったのですが。
問題は対数でした。
定義はいい。いいわけではないが、たとえば2の5乗イコール32であり、log2底の32が5であることは分かる。
しかしそこからlogの演算、あるいはlogどうしを組み合わせた公式とか、底の違うlogの演算とか、そのへんがもうまったく分からない。
理系なのに理系科目をしくじり、やむなく文転した理由であります。

で。
このお話を最初に目にしたとき、思い至ったのは。たぶん自分、乗数の理解と認識があいまいだったことに原因があるんじゃないのかな、ということに考え至りました。
数学って、まぁ、高校時代までの数学ってのは基本定義に帰る学問でありまして、定義をゆるがせにすると定理の理解はおぼつかず、結果として定理と例題の解き方を丸暗記で乗りきる、しかなくなるものなのです。

乗数って、実は難しいんですよ。少なくとも自分には難しかった。
2の5乗は、2を5回掛ける。定義としてはそういうことです。
2の上にちいさく5を書くと、その答えは2を5回掛けて32になる、それはいいんです。
しかし、それを敷衍して、たとえば2の3乗かける2の2乗が、2の(3+2)乗と、乗数部分は足し算になる、と説明されると、とたんに「え、え?」となる。
また、2の「3分の1乗」は、2の三乗根(√(ルート)の、左に3と小さく書くやつ)であることも、意味は分かるけど理解することができない。

これは多分、自分が「国語的に数学を理解しようとした」→「数学の記号や演算を、国語的に翻訳して理解しないと理解した気にならなかった」というのがどうも、根本原因だったような気がします。

国語的に 2の「3分の1乗」 を説明しようとすると、2の5乗は2を5回掛けたものなのだから、「2を3分の1回掛けたもの」という説明で正しいはず。
しかしこれだと、「2×1/3」ではなぜいけないのか、などと考えてしまうのです。
そう。国語的に解釈しようとするあまり、「2を3分の1回掛けたもの」と、「2が3分の1個ある状態」との区別が出来なくなってしまったのです。

しかし、計算式で書くと、2の「3分の1乗」を3乗した計算は、
2の(1/3乗×3)=2の1乗=2
となり、2の「3分の1乗」はまさしく2を3分の1回掛けたということに等しい、となり、数学的に矛盾はないなぁ、と腑に落ちた気になる。

ここを曖昧にしてしまったために、対数に入って、対数の定義は理解できたけれども、対数の演算の扱いがまったくちんぷんかんぷんになってしまったのだろう、と。

これはまったく、このポストについては反論がありません。
その通りでありました。
今更、自分の理解がおろそかだったことに気づかされました、と、今回はそれだけのお話であります。

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