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北陸本線 滋賀→福井の旧線巡り

北陸本線って一大幹線なのに若干のマイナー間があってロマンがあるなと思って好きなんですが、特に今回は車があるということで前々から気になってた滋賀県~福井県、現余呉駅付近~敦賀~現南今庄駅の旧線ルートを巡ってみました。今回は滋賀県側からスタートしてます。

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敦賀まで 柳ヶ瀬トンネル

北陸本線が米原から敦賀までが開通したのが1884年。その時の最初のルートが今回通る柳ヶ瀬トンネルのルート。トンネル掘削技術が未熟な時代なため、トンネルも少なくなるべく勾配が少ないルートが選ばれたとは言え避けて通れなかった峠越え。1884年開通当初日本一の長さのトンネルで全長1,352m、トンネル名碑は伊藤博文書。一大国家プロジェクトとして日本の土木工事史に刻まれることとなる。船と馬で3か月かけて大阪へ輸送していた新潟の米が3日で届くようになる転換点。

トンネル掘削技術があがると、勾配を緩和できるルート選びができるようになり、1957年に近江塩津から新疋田の間の深坂トンネルが開通、それ以降こちらがメインルートとなる。柳ヶ瀬トンネルルートはローカル線の柳ヶ瀬線として分離、その後10年と持たずに1964年に廃線となった。その線路跡が道路として整備され今に至る。

滋賀県と福井県の県境にあたる。車1台分しか幅がないので、両側に感応式信号がついていて行き違いができるようになったいる。

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その先にあるのが小刀根(ことね)トンネル。1881年に竣工した全長56m、明治期の近代化黎明期の建設技術当初の状態をほぼ残している日本最古のトンネルとして文化財的価値が高い。レンガと自然の岩壁を併用している。現在の道路は迂回しているので、遺跡としてじっくり見れる。長さも短いから怖さもない。

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その後、疋田の町にぶつかる。ここは現在の国道・本線が通るルート。このルート自体は古来から京都から北日本を結ぶ最重要ルート。動力が本格普及するまで、日本の交通のメインは船。琵琶湖が一番海に近づくのがこのあたりということで、運河作れない?という、トンネルとかそれ以前の壮大な土木工事のロマンの塊みたいな話があるわけ。一応、琵琶湖まで繋がらないにせよ、灌漑用の水路が整備されている。

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峠から敦賀市街地へ一気に下るこの辺りにも工夫がある。それが鳩原ループ線と旧信号場。この旧信号場も前述の柳ヶ瀬線ルートとの分岐の起点にもなっていた重要拠点。今では普通の田舎の集落だけど、目の前を高速で通るサンダーバードが見れる。写真が敦賀方面の線路、奥に見える橋の上が米原方面で、米原方面のほうがこれから峠へ登っていくのでループ線になっている。

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詳しくはこのサイトを。このトップ写真の真ん中が旧鳩原信号場。

ちなみに本旨とは若干ズレるけどこちらが今の北陸本線余呉駅付近。1974年に京都から近江塩津を琵琶湖の西側でショートカットする湖西線ルートができて、大阪方面の特急は米原を経由しないルートとなった。こちらの米原ルートは今でも名古屋から金沢への特急しらさぎはこちらを通るけど、本数は湖西線に比べると少ない。こちらも旧ルートと言えば旧ルート。

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人・物・歴史の邂逅 敦賀

敦賀は前述の通り京都から一番近い日本海側の港ということで古くから交通の要衝。鉄道開通後は時代的にも大陸への玄関口として重要な拠点で、シベリア鉄道経由でヨーロッパに向かうためのウラジオストク行きの航路もあった。第二次世界大戦期、在リトアニア領事の杉原千畝氏が発行した通過ビザを手に、ナチス占領下で故郷を追われたユダヤ人が上陸したのもこの敦賀港だったという。

今でも日本海側有数の重要港湾を抱える港湾都市、国際貨物線や、新潟・秋田・苫小牧を結ぶフェリーもある。渋沢栄一も設立に携わった東洋紡の国内最重要事業拠点もあり、繊維製品から電子部品に使われる最先端プラスチック製品が生産されていたり、北陸電力の火力発電所に関西電力の原発もある工業都市。

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敦賀駅は関西地区なら新快速の終点にもなってるので名前は聞くと思うし、今でも大阪・名古屋からくる北陸方面の特急のほとんどが停まる。2024年開通予定の新幹線金沢~敦賀延伸のため新幹線駅が急ピッチで建設されている。敦賀駅の南側には車両基地もできる。

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駅から少し離れた港エリアでは、旧倉庫のレンガ館、旧敦賀港駅駅舎が移設再現されている。敦賀港駅とは、敦賀駅から分岐して港まで伸びていた貨物輸送と船への旅客輸送のための駅。旅客輸送は早々に廃止になったあとも、貨物と隣接する敦賀セメント工場からのセメント輸送のため敦賀港線として残っていた。2009年に廃線になった後も線路は残っていて、信号設備の跡などが残っている。

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これが敦賀新港とセメント工場に火力発電所。

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この敦賀港付近は、金ヶ崎と呼ばれていて、室町時代には南北朝間での合戦の地、戦国時代には織田信長と朝倉義景の戦いで金ヶ崎を攻略した織田軍が、今度は浅井長政の裏切りで京まで敗走するといった有名な合戦の舞台ともなっている。金ヶ崎城址からは敦賀市内が一望できて、金崎宮という神社もある。

日本史は詳しくないけど、この琵琶湖から敦賀にかけての辺りは戦国時代の中心地が近江と京であっただけに、小谷城、刀根坂、賤ヶ岳と戦国時代好きには垂涎のスポットだらけだと思われる。

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敦賀~今庄 旧北陸線トンネル群

福井県を南北の嶺南・嶺北を分けるこの山越え、北陸本線の難所として建設された区間。敦賀までの開通から12年後の1896年に福井まで開業、ここも旧線のルートが道路として整備されており、11基(通れないトンネル含めると12)のトンネルが残っていて有形文化財に指定されている。

このルートも先の柳ヶ瀬トンネルルートと同じように、カーブと勾配とスイッチバックを繰り返すため輸送力・スピード向上のボトルネックとなっていた。先述の深坂トンネルと同時期に新ルートの建設が始まり、1962年に、全長13,870m、当時日本最長のトンネルとして北陸トンネルが開通した。2021年9月現在でも新幹線を除く日本の在来線最長のトンネルとなっている(青函トンネルは特殊として)。サンダーバードの車内案内でもトンネルの紹介があるくらい象徴的なトンネル。開通と同時に旧線は廃線、新保駅、杉津駅、大桐駅も廃駅ということになった。

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北陸トンネルは開通10年の1972年、トンネル走行中の列車の電気暖房器具のショートによる火災で30人が亡くなる事故があった。この事故の慰霊碑がトンネルすぐ横にあるので、柵の中に入れるようになっている。こういった事故を風化させず、技術と思考を進化させ、安全な鉄道が追求されると思っています。見通しの悪いトンネル出口で、大した防護設備もないので面白半分で入らないように。この写真も線路から十分離れた通路上で撮ってます。

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少し行くとトンネル群最初の樫曲トンネル。そしてすぐ横に新保駅跡の石碑。

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横道にそれたところにトンネル掘削時の葉原立坑(トンネルの上からも穴を掘って土砂の運び出しや人員の通路などに使用)もあったけど、草生い茂って囲われてるしこれ以上近づけない。

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この先のトンネル群はすべて車1台分しか通れないので、見通しが悪い3トンネルには信号があるけど、そのほかは目視のみで対向車とすれ違いが必要。

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敦賀側から進むと最初のハイライトが曽路地谷トンネルから旧杉津駅付近。視界が開けていて敦賀湾が見えるところで、隣は北陸自動車道が並走している。北陸自動車道のこの区間はだいぶ後の1977年開業。

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旧杉津駅を越えてからは大小6基のトンネルが連続する区間。

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この6基の中で6基目にあたる山中トンネルは峠を越えている旧線ルートメインのトンネル。このルート最長の全長1,170mもありながら直線なので信号がない。今庄側には並行してスイッチバック用のトンネル(行き止まりになっている)があり、レンガ造りの基礎部分が露出していてトンネル群の中でも人気のハイライト。

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そのあとは日本最古のスノーシェッド(雪被り防止のシェルター)、大同駅跡と続く。

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そして現在の北陸本線の敦賀駅の次の駅にあたる南今庄駅に合流する。南今庄駅は北陸トンネル開通後に廃線区間の代替駅として新しく作られた駅。

この辺りは越前そばの本場ということで、私が日本蕎麦界で一番好きな越前そばをいただきました。太目の田舎蕎麦だけど、大根おろしと鰹節が美味。ワサビより好きなので。

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北陸新幹線はというと、やはりこの区間はトンネルになり新・北陸トンネルとよばれすでに開通済み。後述もするけど、北陸新幹線開通後は、旧線にあたる現北陸本線は第三セクター化して、貨物とローカル輸送のみになる。北陸トンネルを通るサンダーバードに乗れるのもあと3年を切ってる。これが新北陸トンネル入り口。

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福井方面もほとんど線路はできてる。

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北陸本線の今後

北陸新幹線が敦賀まで延伸されると、敦賀~福井~金沢もJRから追放され、いよいよ北陸本線というJR線は米原~敦賀間だけとなる。北陸本線が北陸へ行かなくて無くなったからと言って北陸が無くなるわけではないけど、何となく腑に落ちないというか、時代の流れは止められないんだろうなと。

北陸新幹線の金沢~敦賀の開通を控え、過去と未来が交差する今の北陸が見れる場所、逆に今しか見れない景色がある。奇しくも米原~敦賀の開通が1884年、北陸新幹線の敦賀延伸が2024年予定、140年目の節目になるのか。さらには東海道新幹線開通から60年。どんな時代になってるんでしょうか。








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