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ダイバーシティ(LQBTQ+)とアンコンシャス・バイアス

昨今、「ダイバーシティ」という言葉が頻繁に取り沙汰されるが、実際のところダイバーシティがなぜ今注目されているのだろうか。そもそもダイバーシティって何なのだろうか。ダイバーシティについて「知ったつもり」の人ににこそ読んでもらいたい。

ダイバーシティは今なぜ注目されているのか。

ダイバーシティとは、日本語で「多様性」と訳される言葉で、大きく分けて2種類がある。

1つ目は、「デモグラフィー型のダイバーシティ」である。これは、ダイバーシティという言葉から直感的に想像される方だと思うのだが、国籍、年齢、肌の色といった外面上の多様性だ。

2つ目は、「タスク型のダイバーシティ」である。これはその人の能力や知識、過去の経験や価値観など、目に見えない内面の多様性のことだ。

企業の成長やイノベーションを生み出すために必要なものという切り口からいくと、後者のダイバーシティが想定されているのだろう。「タスク型のダイバーシティ」は、組織のパフォーマンスにポジティブに作用する。というのも、VUCA時代と言われる変化が激しい社会において、必要な変化に対する柔軟な対応力は同質性のみからなる組織では醸成されないからだ。昨今ダイバーシティという言葉が頻繁に叫ばれる理由はここに尽きるだろう。

【コラム:本筋とズレますが思ったことを書きます。】
前近代的な絶対的に頼るべき価値観が存在していない現代社会において、多様性は頼るべき新たな絶対的価値観なのかもしれない。多様性という言葉は『「絶対」の不存在』を含蓄していそうに感じるにも拘らず、逆説的な形で多様性に対して絶対性を押し付けているのが現代の流行りに感じてならない。
多様性ってそもそも何者なのだろうか。改めて考える必要がありそうだ。本当に多様性を重んじるのなら、『多様性を無下にする価値観』も尊重せねばならないような気がする。
(ただし、果たして本当にそうなのか。個人的には『多様性を無下にする価値観の尊重』は直感的に受け入れがたい。)

LGBTQ+とSOGIについて

前章で『ダイバーシティとは。』について述べてきたので、ダイバーシティについて知る上で避けられない多様な性について考えていきたい。

ではまず、LGBTQ+とはなにか簡単に振り返っておく。レズ・ゲイ・バイセクシャル・トランスジェンダー・クエスチョニングクィアを指す。その他、Xジェンダーアジェンダーアポジェンダー)と呼ばれる自分には性別がないと認識している人もいて、とにかく様々な性のあり方が存在している。男女という性別二元論が機能を失いつつある。

※細かい言葉自体の意味はご自身で調べてください。

【コラム】
時々LGBTQIAというまとめられ方をすることもある。この場合のAはアジェンダー及びアポジェンダーであり、Iはインターセックスのことで、『身体的性が一般的に定められた男性・女性の中間もしくはどちらとも一致しない状態』をいう。これは身体的な特徴を指すため、同列に並べるのは適切ではないとされることが多い。

具体的な性の認識を指すLQBTQ+を含み、すべての人の性を包括的に論じる概念が、SOGIである。Sexual Orientation and Gender Identityの頭文字のことで、性的指向性自認のことをいう。LGBTがレズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーという「誰」を指すのに対して、SOGIは「どんな性別を好きになるのか」、「自分自身をどういう性だと認識しているのか」という「状態」を指すので、私たち全員が含まれる。

※SOGIについても、Gender Expression(性表現)のEを含めたSOGIEという言い方に変わってきている。


何が言いたいかと言うと、ここではLQBTQ+と一括にしているが、例えば同じレズの人の中でも色々な多様性があるはずだし、何もかも人それぞれで、この言葉の意味を知っているからと言ってそれはセクシャルマイノリティのことを理解して多様性を受け入れる心ができたことを意味するわけではないということである。


最後に、SOGIハラ(SOGIにまつわるハラスメント)やアウティング(機微な個人情報:SOGIに関わることなど を他人にバラす行為)が、このように言葉として定着して、批判的に認知され始めている現状にも触れてこの章を閉じようと思う。


私たちが考えねばならないアンコンシャス・バイアス

今までの総まとめ的に、我々は自らが持つアンコンシャス・バイアスについて認識する必要があるのではないかという提言をしたい。

アンコンシャス・バイアス。文字通り、『無意識下で持ってしまっている偏見・先入観』のこと言うが、我々は数え切れぬアンコンシャス・バイアスを抱えて日々生活しているということを理解していただきたい。

例えば、美白という言葉。肌は白いほうが美しいという固定的な価値観に基づいてはないだろうか。他にも細身の方が美しい。など、このような考え方はルッキズムと呼ばれたりするが、確かに先入観から来る無意識下の認知であるはずだ。

アンコンシャス・バイアスは枚挙にいとまがないほどに根深く根強く確かに存在している。前章で述べたLQBTQ+に関しても、言葉の意味を理解し、それこそ身近にLQBTQ+の人がいたりすれば全部わかった気になってしまわないだろうか。そこにダイバーシティの落とし穴があると僕は感じている。

ダイバーシティに則った考え方とは、色々なマイノリティの存在について知ることによってのみ成立するものではなく、本当に大事なのは、『相手のことを知ったつもりにならない』こと。そして、避けられないアンコンシャス・バイアスについて向き合い続けることに他ならないだろう。

アナタは、ダイバーシティを受け入れるマインドセットを本当の意味で持ち合わせているだろうか。再考の余地があると思っていただけると幸いだ。

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