見出し画像

後付けという話

我々人が生きていく中で、大半のことに意味などないと私は考えている。

意味があるように見えているものは大概後付で考えられているだけだからだ。

風習だとか、マナーだとかね。

生きていく中でそっちの方が都合が良いから、さも初めから意味があるように見せかけているのだ。

最近よく聞く、生きる意味なんてのも同じ。

生きてる意味なんて本当は誰も知らないし、本来そんなものはない。

生きてる中でたまたまそれっぽいものを見つけた人が後から生きる理由って聞こえの良い言葉にまとめてるだけ。

生きてる意味がないとか分からないって状態が普通なのだ。

それなのに意味を見つけることができた人が正しくて生きてる意味が分からない人が駄目かの様に、騒ぎ立ててる奴がいるから話がややこしくなる。

だから、自分はなんのために生きてるんだろうなんて人は悩むだけ損かもしれない。

どうしても生きてる意味が欲しい人は、後からいくらでも付け足せるから適当になんか考えりゃいい。

親より先に死ねないからとか、好きなあの娘に想い伝えたいからとかさ。

まあ、これも生きる意味なんて大層なもんが思いつかないけど生きてる自分を納得させる為の後付けなのかもしれないけどね。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?