想咲繰栄斗

特に何者でもないタイプの人間です どうでも良い考えとか自分の内面をアウトプットしていき…

想咲繰栄斗

特に何者でもないタイプの人間です どうでも良い考えとか自分の内面をアウトプットしていきたい /フォローはされればしますが 自分からはしませんシャイなので

最近の記事

5月への備え。

そろそろ4月が終わるわけだが、皆さんは備えをしているだろうか。 五月病への備えを。 私はバッチリである。 4月後半から徐々にやる気を下げて来ている。 この分だと5月に入る頃には、キッチリとやる気をゼロに近い状態に持っていける。 燃え尽き症候群なんかもそうだが、下手に高いモチベーションや意識を持って頑張り過ぎると余計に落差が辛くなる。 特に新年度から働いてる人や進学した方は最初だし頑張らないとって根を詰めるから余計に落差でやられやすい。 その落差にやられない為には

    • 逆張り天邪鬼人間。

      皆さんは何か過ちを犯した時、後悔するタイプだろうか、それとも反省するタイプだろうか。 ちなみに私は後悔するタイプ。 反省出来る人間にならないとなぁと思いつつも、ついつい後悔で終わる。 というのも後悔は誰にでも出来るが、反省は誰にでも出来ないから。 私の様な逆張り天邪鬼人間は是非とも習得しておきたいのだ。 周りが後悔している中で1人だけする反省はさぞ気分が良いだろうからね。 それ反省出来ているのかって?なかなか厳しい所を突きやがる。 早くも反省を身に着けようとした

      • 余裕を作る為の余裕。

        自分の頑張りなんて誰も見てくれていないという人がいる。 今日はそんな人達に朗報です。 自分の頑張りを他人が見てくれる様になる方法を教えましょう。 まず大前提として周りを見る事ができる人は、それなり余裕がある人だ。 自分の事で精一杯な状況で周りの事まで気を回してられるはずもないからね。 じゃあどうやったら周りに見てもらえるかって話だけど、それにはまず他人の手助けをしてあげなきゃいけない。 困ってる人を助けて、周りを見てもらう余裕を作ってもらわなきゃいけないから。

        • 無駄、素晴らしい日々に。

          無駄をどう楽しむか、これは人生に置いて重要な課題である。 何故なら人生は無駄なことに連続だから。 逆にこれは意味がある!と思ってやっていることの方が少なくないだろうか? そこにどう理屈をつけて意味をもたせるかが勝負の鍵だ。 これは効率を重視するロボットや、行動1つが死に直結する野生動物との大きな違いだと私は思う。 昨今は無駄を嫌い効率化を進める流れがある。 仕事なんかはそれでいいだろう、わざわざ手間を増やす必要はないから。 だけど、日常生活は別だ。 無駄だと思

        5月への備え。

          食と生活。

          食事それはとても大切。 生活を支える衣食住、三大欲求の中にも食欲がある。 それぐらい食は重要なのだ。 しかし、食事をするには調理をしなければならないがそれは少し手間がかかる。 かといってボーっとしているだけでは食事は出てこない。 自分で作るか、他人が作ってくれるか、調理という行動を起こして始めて食事という段階に至る。 自分の労力を消費せずに食事を行え、ひいては1つの欲求を満たせる幸福感は高い。 ちょっと料理が出てくるのに時間がかかってるとか、味が自分の好みでない

          食と生活。

          なんとなく。

          本日はお休みなり。 理由はなんとなくなり。 ゆっくり休む日も必要なり。 というわけでおやすみなさい。

          なんとなく。

          1つに限らないという話

          正義が好きな人は多い。 しかし、正義とか正しさっていうのは一定の形を持たない。 時代、人、状況等あらゆるものに左右されてしまうから。 悪いことした奴には殴り返して良いという人もいれば、どんな場面だろうと正義は暴力をふるってはならないって人もいる。 悪い奴でも情けをかけるのが正しいという人もいれば、悪い奴に情けなど無用という人もいる。 統一されてない価値観だからこそ起こるすれ違いだろう。 どちらの考え、気持ちも理解できる。 正義って多分そういうもの。 どちらの正

          1つに限らないという話

          贅沢の形という話

          贅沢ってなんだろう。 ふとそんなことを思った。 今日私は昼間は酒を飲みすっぽんを食べた。 結構良い値のするやつだったから私はこれを贅沢だと思っている。 だけど、お金がかかるから贅沢なのではないはずだ。 例えば、1日何もしなくても良い日があったとしよう。 その1日をただただボーっとしてるのってお金はかからないけど贅沢だと思う。 つまり贅沢とお金はイコールではない。 そう思うんだけど、世の中には贅沢とお金をイコールにする人もいる。 いい車、いい時計、高い料理。

          贅沢の形という話

          年齢確認と言う話

          世の中には年齢確認というものがある。 主に年齢確認を見る機会があるのが、コンビニやお店でのお酒やタバコを買う時。 そういうちょっとした時の態度対応に人間性っていうのを垣間見る場合がある。 例えば、俺が未成年に見えるのか!と怒る奴。 年齢確認なんて長くても1分もかからない形式的なものに、何を腹を立てることがあるのか。 そんなことでキレる様な奴にはそりゃ年齢確認もしたくなる。 見た目は大人でも内面は幼いこどもと変わらない訳だからね。 時間がない時にそういうことされた

          年齢確認と言う話

          歳をとったサインという話

          皆さんは自分が歳をとったなぁと思うことはありますか? 私はダジャレみたいなのを思いついちゃう時に、歳をとったなぁと思います。 自分の親世代とかが酔っ払うとつまらないダジャレを言って自分達だけ笑うなんて体験が何度もあって、自分はそうはなりたくないと思って生きていた。 しかし、私にもそのDNAが受け継がれているのだろう。 せめて面白いダジャレを思いついていればいいのだが、残念ながら面白くない。 せめてダジャレ面白い大人として歳を重ねたいものだが、現実は厳しい。

          歳をとったサインという話

          凄さの理解という話

          私はピカソの絵の凄さが良くわからない。 なんならゴッホとかフェルメールとか有名な画家の名前は知っていてもどういうところが凄いのかと言われたら説明できない。 でも、好きな人からすれば良さは分かって当たり前なんだろうし、この良さが分からないなんてアナタは残念な人だってことなんだろう。 かと言って分からないものを分かったふりをするのはなかなか滑稽だ。 凄さを知っているという人の話もいくつか聞いた事があるが、それでも本質的な理解には至っていない。 そもそも、絵描きですらない

          凄さの理解という話

          相応という話

          大人という生き物は年相応の行動と言動を求められる。 私も年齢的には大人の区分に入るので意識はしている。 しかし、1つ悩ましい問題がある。 私はたまごボーロが好きなのだ。 たまごボーロというのは一般的は赤子が食べているイメージの強いお菓子。 それを大人の区分に属する私が楽しんでいるのは年相応の行動とは言えないのではないか?そういう疑念がある。 たまごボーロは別に年齢制限のあるお菓子ではない、赤子からお年寄りまで食べて問題ないお菓子だ。 とはいえ、大人がランドセルを

          相応という話

          コンプレックスは埋まらないという話

          人には多かれ少なかれコンプレックスってのがあると思う。 それを補う長所、武器を持ってる人もいる。 だからなのか、アナタにはこれがあるから良いじゃないと言う人がいる。 しかし、話はそう簡単ではない。 仮に自分のコンプレックスを補えるだけの何かがあろうが、そのコンプレックスは消えるわけじゃないからね。 その空白が満たされることは絶対にないのだ。 コンプレックスとの付き合いは一生続く。 とはいえ、コンプレックスに悲観し続ける必要もないけどね。 自分のコンプレックスを

          コンプレックスは埋まらないという話

          吐き出すという話。

          悪口なんて言わないに越したことはない。 言ってる自分のストレスは増えるし、周りから白い目で見られる場合もある。 それに一度悪口に手を出してしまうと、悪口に依存してしまう。 悪口なんて百害あって一利なしの代物だと考える人もいるだろう。 しかし、生きてれば悪口の1つや2つ言いたくなることもある。 それに全く悪口を言わないなんてなんか嘘くさい。 不満のない人間なんて居ないわけだから。 あえて言う必要もないこともあるが、それを積み重ねた挙げ句に爆発することがある。 過

          吐き出すという話。

          絶妙なラインという話

          口笛を夜に吹くと蛇が出るって話がある。 私もこどもの頃は本当に蛇が来るのかとドキドキしながら口笛を吹いたものだ。 でも、あれは迷信で単純に夜に口笛を吹くと近所迷惑になるから辞めようっていうマナーの話な訳だがここで1つ疑問がある。 蛇ってこどもにとって抑止力のある生き物なのか?ということ。 純粋に熊とかの方が怖さが分かって良いんじゃないかと思う。 こどもって怖いもの知らずというか、無鉄砲だからそう簡単に怖がらない。 特に蛇って絶妙に立ち向かいやすいというか、蛇が来る

          絶妙なラインという話

          アナタはどっち派という話

          全てをなげうってもキミを幸せにみたいなセリフがある。 私はあのセリフには違和感を覚えている。 何故なら、全てをなげうってその後どうするんだよと思ってしまうから。 もちろん比喩表現というか、本気で全てをなげうつ気なんか無いのは分かりきっているが、なんか釈然としない。 それならキミを幸せにする為にこの世の全てを手に入れて見せる!って言うほうが清々しい。 どうせどちらも実際には成し得ない訳だから、大きい野望を抱いた奴についていきたいしね。

          アナタはどっち派という話