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『アリスとテレスのまぼろし工場』で描かれた「閉塞感」と「女の性」

 『アリスとテレスのまぼろし工場』を見てきました。普通にネタバレしながら話したいと思います。

 もともと見る予定はなかった作品でした。岡田麿里作品は今まで通ったことがなかったですし、世間的にそれほど注目されている作品でもないですからね。
 それでも見ようと思ったのは口コミの影響でした。ネットの民が言うには、「女性が描く女性の生々しさ」……もとい、奥底に潜む気持ち悪さのようなものが描かれていると。
 時々見る映画紹介系YouTuberが紹介していたのもあり、じゃあ見てみるかと思ったわけです。

 実際に観てどうだったか。結論から言うと、私は観賞中も観賞後も、今までにないぞわぞわする感覚を味わっていました。なんていうか、前評判で言われていた「気持ち悪さ」だけではなく、もっと複雑でネガティブな感情が背筋を伝い、雪のように降り積もっていく感覚を味わいました。で、この独特な感覚を生み出しているのは、主に二つの要素が起因していると思いました。

 一つは、作品全体に漂っている「閉塞感」です。
 主人公たちが暮らしているのは、製鉄所の事故で時が止まり、外にも出られなくなった街。例えるなら、ドラえもんのもしもボックスで生まれたパラレルワールドに近いかも。ただし、現実世界からは切り離され、時が止まったまま存在する世界です。彼らはいつか外に出られる日が来ると信じて毎日を過ごしているものの、実際には手立てがなく、糸口が掴めないまま日々を過ごしています。冬の薄暗い空気感も相まって、作品全体にどんよりと覆いかぶさるような閉塞感がのしかかっているのです。季節が変わらないので食事の内容も大して変わらないし、ラジオを聞けば毎日同じ内容が流れる日々。未来を奪われてしまった若者たちは、何か刺激を求めて、痛みを伴う少し危険な行為に走っている。これが観ていて胸が痛くなるんですよ。閉ざされた世界で刺激を求めるとなると、危険なことや性的なことを話題にするしかない。半強制的な興奮を伴う行為によって、少しでも自身の実在性を確かめようとするんですね。それがね、思春期の不安定な自我を無理やり保とうとしているかのようで、なかなかしんどいわけです。
 ストーリーは確実に進んでいるはずなのに、何もかも停滞しているように感じるのは、この作品が閉じた世界の鬱屈とした雰囲気を表現することに成功しているからだと思います。なんていうか、明日を迎えることに対する希望がない。ただただ毎日を惰性で消化していて、いつか自分たちが幻となって消えていくのを待ち続けるような感じがずっと続いている。これが観ていて精神的負荷をじわじわ与えてくるのです。

 そしてもう一つが、冒頭でも話した「女の性」の描写。
 この作品の主人公・正宗は中学生男子で、彼に恋をする二人の少女が登場します。睦実は正宗と同じ世界に閉じ込められた少女。一方の五実は、外の世界からやってきた異端の少女。この三人の関係性が今作では描かれています。
 睦実は正宗が好きで、正宗が睦実を好きなのも(とある理由から明確に)知っている。それを利用して近づき、利用したり、からかったりしています。まさに魔性の女! そしてものすっごい色気ムンムンです。予告とかで使われてるカットを見れば分かるんですが、もうこんな女の子に挑発されたら男子中学生はイチコロだよ、と思わずにはいられません。CVの上田麗奈さんもぴったりハマってます。
 一方の五実は外の世界の住人で、幼児の時にこの世界に迷い込んできてしまった存在です。スパイファミリーのアーニャよろしく、幼児らしい言葉遣いをするのですが、アーニャと違うのはそれが不快に感じられること。もともと睦実が世話を任されていたのですが、なるべく干渉しないようにした結果、育て方が一般的な家庭と比べてかなり雑になってしまったんですね。つまり、人間社会での生活や、言葉についてまともに学習する機会がないまま、体だけが成長していってるわけです。この世界に迷い込んできた時は普通の幼児だったのが、獣のように走り回って飯を食べている光景は、観ていてなかなかグロい描写だと思いました
 そんな彼女も、正宗との出会いから精神的な変化が訪れ、ある日正宗に対する恋心に気づいてしまいます。それがトリガーとなって世界の秩序が乱れ、物語が大きく動いていくわけです。
 CVは久野美咲さん。幼児語だけで五実の感情をしっかり読み取ることができるのは、久野さんの演技力あってのものと言って間違いないでしょう。

 五実の存在によって、正宗と睦実の自己、ひいては関係性が変化していくので、彼女の存在は非常に重要です。睦実は正宗と両想いであることを知っているからこそ、閉じた世界でも精神的優位性を保ってきた存在。しかし、五実の正宗に対する好意に気づくことで、自然と焦りを募らせ、取り乱していく様子が丁寧に描かれています。五実の正体は作中後半で明かされ、現実世界における正宗と睦実の子どもであることが判明します。ただ、彼女にとって、「自分自身」と「現実の睦実」はもはや違う人間なので、そんな簡単に五実を受け入れることはできない。その辺の複雑な感情を描くのが今作はとても上手いのです。後で調べて知りましたが、岡田麿里さんはこういう感情の機微を描くのに定評があるんだとか。そりゃ納得ですわ。

 そんな二人の関係性を象徴するシーンが、作中の最後にあります。正宗たちが協力して五実をもとの世界に帰す時に、睦実は五実に対してかなり意地悪なことを言います。五実には夢も未来もある。だから私が一つくらい、あなたから奪ってもいいよね――そう言って、睦実は五実の初恋を奪ってしまうのです。それも嫌に丁寧で、隙のない言葉で滅多刺しにして奪い去ります。五実はまだ幼児語しか喋れない子どもなので、反論なんて当然できるわけがない。
 これ、何がエグいって、五実のことを想っているなら、わざわざこんなこと言う必要全くないんですよ。しかも、現実世界に帰る直前で、五実がもう正宗に対して何もしてやれない段階になった上で言ってるんです。つまり、睦実の言葉は五実に対する勝利宣言であり、呪いなんですね。五実は未来を手に入れる代わりに、一生忘れることのできない初恋を奪われる。もっと言えば、あの街が本当に幻になったとしても、正宗と睦実、そして自身の初恋は、あの場所に置いてけぼりになるわけです。
 どうです? マジでおっそろしくないですか? 背筋が凍りますよこんなの。まあ、「私たちのことを忘れないでね」という、睦実からのメッセージも含まれてると思いますけどね。というかそう思いたい。
 何はともあれ、どろりとした「女の性」の発露が、この作品にビターな深みを与えているのは間違いないでしょう。

 とにかく、この作品は青少年たちの複雑な感情の機微を中心に描いていて、一つとして単純明快な感情表現はありません。それらを深く感じ取ることができないと、あまり楽しめないかもしれません。
 とはいえ、終わり方は後味を良くしようという意思を感じましたし、中島みゆきさんの主題歌の壮大さ・荘厳さは、観ていて溜まっていく鬱屈とした感情を、全部トイレに流してくれるかのようでした。「見方一つで世界は変わる」というメッセージも希望を感じますし、観た後の感触は実はそんなに悪くなかったりします。どう考えても万人受けするような内容ではないので、誰にでもおすすめ! とまでは言いませんが、アニメ好きであれば一見する価値のある作品です。

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