『ドライブ・マイ・カー』感想

見ました。

世間では日本初のアカデミー賞作品賞ノミネートの話題で持ち切り。そういう作品に限って公開当時は話題にならないのは、なんだか納得してしまうところがある。

で、私も例に漏れず海外で賞をとって初めて知った一人。気になるなあと思っていたら、たまたま最寄りの映画館で再上映をしていた。あとは見に行くだけだけど踏ん切りがつかないと思っていたら、ちょうどアカデミー賞の作品賞にノミネートされた。

1日1回の上映だし、これから座席を取りにくくなりそうなので、ちょうどいいタイミングだし行くことに。

私が普段見る映画は、ディズニー映画やアニメ映画がほとんど。それらはバリバリ動くし、音楽も壮大。目まぐるしくストーリーが動いていく。

ドライブ・マイ・カーは、それらとは全く違う映画。音楽は本当に少しだけ。登場人物の台詞は最小限で、全く無音のシーンもある。ストーリーはじっくり、ゆっくりと進んでいき、3時間たっぷり使って、主人公の人生の一部を丁寧に切り取る。

主人公は劇の演出家。妻は小説を書いていて、いつもその内容を語るのはセックスの時。主人公は後でそれをまとめる役を担う。

ある日、妻が病で急に亡くなる。その数年後、劇の仕事で広島に向かった主人公は、若い女性ドライバーと出会う。仕事を通してドライバーと少しずつ距離を縮めていく中で、主人公は妻の秘密を知ろうとする。

原作は村上春樹さんの短編小説だという。私は村上春樹さんの本を読んだことがないのだけど、「性行為の間に小説を語る」なんて発想は多分100回転生しても思いつかない。非常に読んでみたくなった。まあ、今作で重要なのはそこじゃない。

この映画は台詞が少ない。映画の大半は、主人公、または女性ドライバーが愛車のクラシックカーを走らせるシーンになっている。普通だったら眠くなる構成だ。でも、一瞬たりとも眠くならなかった。役者の演技にしろ、時折挟まれる音楽にしろ、演出にしろ、全体的なクオリティが高いのは言わずもがなだが、映画全体を覆い尽くす「何か」にのめり込む感覚があった。

台詞が少ないと言ったが、それがむしろ気に入っている。少ない言葉の中に、登場人物たちの生き方・考え方・人生が詰まっているのが分かる。間の取り方も上手い。「ドライブ・マイ・カー」のタイトル通り、主人公の愛車も今作の主役だ。ただ走っているだけで、運転する人、乗せている人の思いを代弁するかのように、多くを語る。

よく、映像作品へのダメ出しとして「説明的な台詞が多すぎる」というのがある。それはある意味、観客を信用していないのだ。「これくらい言わせないと分からないでしょ?」と、作り手の声が聞こえてくる。この作品は、観客を信頼している。登場人物に多くを語らせずとも、何かを感じとってくれると信じている。それが好きだ。

個人的な感覚として、言葉や会話というのは、非論理的で、偶発的で、不安定なものだと思う。言うことを予め決めていたとしても、自分の口から出るまで形にならないあの感じ。自身の言葉に対して、相手が次に何を紡ぐのか分からず、ハラハラするあの感じ。ばらばらに紡がれた言葉によって、思いもよらぬ方向へ話が誘われていくあの感じ。それが言葉、そして会話の魅力であり、恐ろしさだと思う。秀でた作品は、それを上手く表現できている。

主人公は、妻というパズルのピースを埋めきれないまま、そのパズル自身を失った。ぽっかりと空いてしまった穴をどう埋めればいいのか。欠けていたピースは、まだ見つかるのか。誰しも完璧には生きられない。特に亡くなった人に対して、ああすればよかった、こうすればよかったと、後から悔いても何も変わらない。苦しみながら生きなければならない。そんな普遍的な苦しみを、淡々と描き、観る人の心に染み込んでいく。そんな作品だったと思う。



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