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『ゴジラ-1.0』は「シン・ゴジラの逆」を行くことで成功した作品だった!

 「名作の次」を任される人は、いつだって辛いものです。
 『あまちゃん』の次の『ごちそうさん』、『真田丸』の次の『おんな城主 直虎』みたいなイメージです。ちなみに、実はどちらの作品も同じ人が脚本を務めているのをご存知でしたか?

 ゴジラが今盛り上がっているのは言うまでもないでしょう。しかしその割には「シン・ゴジラの次」、言い換えれば「東宝が手がける実写ゴジラ映画の新作」がなかなか出ない状況でした。
 なぜ出なかったのか? 少し考えれば大方の予想がつきます。まず、『シン・ゴジラ』があまりにも名作で、興行的にも大きな成功を収めたのが要因の一つでしょう。「シンゴジの次を作りたいので、監督やって下さい」と言われて、やりたいと思いますか? おそらくそんな人はなかなかいないでしょうね。絶対に比べられますし、そもそもそれが務まる人が限られます。ヒットするのは良いことなんですが、それが弊害にもなっていた、というわけです。
 そして、次作を作るとして、どんな内容にすればいいのか? これもなかなかの難題です。ファンならご存知の通り、ゴジラシリーズは大人向けから子ども向けまで幅広い作品が揃っていますが、『シン・ゴジラ』は大人向け、かつ日本人に向けた最上級のエンターテインメント作品に仕上がっていました。今さら子ども向けにする意味は薄いですし、新機軸を目指すのはアニメ映画版が既にやっているし、怪獣同士の殴り合いはハリウッドがやってくれてるし……
 こうして全体を俯瞰すると、「日本が作る実写のゴジラ」の立ち位置がなかなか難しくなっている現状がお分かりいただけると思います。

 そんな状況下で発表されたのが『ゴジラ-1.0』でした。監督は山崎貴さん。これまで実写・アニメ問わず数多くの映画を手がけており、実績は十分。しかし彼の作風は好き嫌いが分かれやすいのもあって、私としてはなんだか不安。公開初日に観に行く勇気はちょっとなかったですね。
 しかし実際に観てみると意外や意外、面白いじゃないですか! 『シン・ゴジラ』とはまた違う魅力を持った、新しいゴジラの名作が誕生していたのです。

 『ゴジラ-1.0』の魅力とは一体何なのか? 一言で表すなら、「シン・ゴジラの逆」を突き詰めた作品だと思います。
 まず、分かりやすいのは時代設定。『シン・ゴジラ』が現代の日本を舞台にしているのに対して、『ゴジラ-1.0』は戦後の日本を舞台としています。それも初代ゴジラより前の時代。
 わざわざこの時代設定にしたのにはちゃんと理由があるんですね。その一つが日本の兵器を出すこと。なんでも山崎監督は高雄(重巡洋艦)をギリギリ出せる年代を狙っていたらしく、それで戦後間もない時代を選んだのだとか。それ以外にも旧帝国軍の兵器がいろいろ出てきますので、何かと軍事オタクに優しい作品です。時代設定が近いということもあってか、初代ゴジラのオマージュ的要素もあり、ゴジラシリーズのファンにも優しい。
 じゃあ一般人には優しくないのかというと、全然そんなことはありません。『シン・ゴジラ』では日本が一丸となってゴジラと戦っていく様子が描かれましたが、『ゴジラ-1.0』は主人公の敷島浩一を中心とした人間ドラマが描かれます。よく、シン・ゴジラの良かったところとして「邦画にありがちなクサい人間ドラマをやらなかったこと」などと言われますが、今作はその真逆を行っているんですね。
 この人間ドラマの出来が悪かったら「シンゴジから何も学んでいないじゃないか!」と文句を言っていたと思いますが、ちゃんとこのドラマが面白いんですよ。特にキャストの演技が良質で、登場人物一人ひとりの個性がしっかりと表現されているので、最後まで飽きることなく楽しめました。ここのクオリティーが高かったのは本当に大きい。
 もちろん、ゴジラの恐ろしさや無慈悲さもちゃんと描かれています。『シン・ゴジラ』に登場するゴジラは何を考えているのか分からない不気味さが印象的でしたが、今作のゴジラは何かしらの意思や感情を感じられるのが特徴です。「あ、今の攻撃で間違いなくキレてる!」みたいな。これはこれで怖さがあるし、相変わらずタフだし内閣総辞職ビームの破壊力が高すぎて「こんなんチートや!」と身震いしちゃいます。

 また、今作とシン・ゴジラには「メタファー」にも違いがあります。
 ゴジラは当時の世相を反映させた何かしらの不安・恐怖が具現化された存在として表現されることも少なくありません。『シン・ゴジラ』のゴジラのメタファーは「震災」であり、最後にゴジラとの共存を選んだのはまさに原発だとか、いろいろ考察されてますよね。
 今作のゴジラは主人公の「内なる敵」、もしくは「戦争」のメタファーとして描かれています。詳細は省きますが、主人公は戦時中に一度ゴジラに遭遇しており、その時のトラウマをずっと引きずっています。戦争が終わった後も、彼の中の戦争は終わっていなかった。トラウマは消えないし、ゴジラは今も生きている。だからこそ主人公はゴジラを倒し、前を向こうとするんですね。
 そして「戦争」について。アメリカはソ連の動向を気にして協力してもらえず、ゴジラから日本を守るには、自分たちでどうにかしなければならない状況に陥ってしまいます。やっとのことで戦争が終わったのに、また危険な戦いに身を投じなければならない。作中の科学者である野田は「海神作戦」を立案するのですが、あんなゴジラと戦うなんて、死にに行くようなものじゃないか……と不安になるのも当然でしょう。
 だからこそ、野田の「今度の戦いは、未来を生きるための戦いなんです!」という台詞には、力強いものがあります。野田が考案した作戦は、「誰も死なないこと」を目標に掲げています。少し前まで「国のために死ぬことが名誉」とされていた時代。主人公も特攻隊の隊員でした。それが「未来を生きるため、死なないことこそが大事」へと変わっていく、まさに戦時から戦後にかけての価値観のパラダイムシフトを見事に描いていると思いました。このシーンを描ききっただけでも、この作品には意味があるのではないかと思うのです。

 長らく語りましたが、『シン・ゴジラ』の次の作品としても、一本の映画としても満足できる作品です。前作が好きな人も、ゴジラシリーズを知らない人も、ぜひ劇場に足を運んで観てみてください!

 にしても、新たな名作が生まれたのは良いことなんですが、さらに次のゴジラが作りにくくなったような。
 もういっそ、ゴジラが正義のヒーローになって宇宙人が連れてきた怪獣と戦う映画を作るしかないのか!? 一体どうなることやら……


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