人間性は文章にはできないのか。
とある有名作家と話をする機会があった。
学校の教科書にも載るような文豪。
伊藤進(仮名)とでもしておこう。
行きつけのバーでの話だ。
人間性は文章にはできない。
伊藤氏がこう語る。
文章っていうのは、自分が書きたいことを自由に書くものと、売れるために書くもの、この二つがある。
理想は、どう考えても前者だよね。
ウイスキー片手に、無表情で続ける。
わたしは生涯文章に捧げてきたが、「書く」ということが楽しいと思ったことはほぼない。
まー、文章を書くの好きじゃないからね。今は。
物書きを目指したとき、売れない作家だった時が一番楽しかったのかもしれない。
売れ始めて、編集者から指摘されたり、原稿の締め切りに追われたり。
奴隷のような日々だったよ。
面白い人間だとか、表現豊かだとか、売れる文章を書いてると人間性を指摘されるけど、実際はそうじゃない。
偏屈者で、面白味なんか全くない。
人見知りで、今でいうコミュ障ってやつだよ。
どこか寂しそうな表情で、ウイスキーを飲み干す。
文豪って言われてる人なんて、みんなそーなんじゃないかな。
伊藤さんは小説家として十分才能があるじゃないですか。
文章って、やっぱり才能が必要ですか?
栗栖が質問する。
何言ってるんだい。
わたしに才能なんて、これっぽちもない。
小学生の方が、わたしなんかよりいい文章書くんじゃないかな。
文章は自己表現。
自分が思うことをそのまま書くのがいい文章。
思ってもない事を、売れるためだけに書く文章なんて、いい文章だと思うかい?
そこにわたしの気持ちなんて、全くないんだよ。
書かされてるだけだからね。
でも、それで多くの人を幸せにしてるという事実もありますよ。
そう考えれば、やっぱり才能だと思いますよ。
わたしも伊藤さんの文章好きですからね。
君もまだまだね。
あんな文章が好きだなんて。
文章を書いて生計を立てたいって人いるよね。
悪いことは言わない。
辞めた方がいい。
文章書くの嫌いになるから。
好きなものを失うって、人間一番の苦悩だからね。
わたしのような人間は、わたし一人で十分だよ。
有名人なんかになるもんじゃない。
無名のまま好きな文章を書いて、チップでも貰ってる方が幸せだよ。
今日は、何だか私の愚痴を聞いてもらう結果になっちゃったね。
ここは、わたしが支払うよ。
歳をとると愚痴っぽくなって嫌だね。
君のように黙って話を聞いてくれる人、わたしの周りにはいないからね。
今日はありがとう。
天才と言われた文豪にも悩みが尽きない。
人間性は文章にすることはできないのだろうか。
前の話はこれ。
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