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日銀総裁に庶民感覚は不要である。

日銀総裁候補の植田和男氏の所信聴取について、この記事では「庶民的な一面ものぞかせた」とある。野党議員の「日常生活で物価高騰を感じるか」との質問への答弁だが、こういうの、必要だろうか。

日銀総裁と言えば、マクロ経済の司令塔である。日本全体の、マクロでの経済を考えなければならない。個別の価格であったり、庶民生活とは、本来レイヤーの違う思考が求められるはずだ。

日銀総裁にしろ、首相や大臣にしろ、いつの頃からか「庶民感覚」を問われるようになった。麻生元首相がカップラーメンの値段を聞かれ「400円くらいか」と答えたのが話題になったりもした。

しかし、こういう国のトップにいて、日本全体のことを、そして中長期的なことを考えなければならない立場の人が、日々の庶民感覚で物事を考えていいはずはない。

例えば今、消費者物価は上がっており、直近2023年1月の総合で4.3%、コアコアでも3.2%と、それなりの上昇率である。生活が苦しい人も増えているに違いない。

しかし、だからと言って目の前の物価上昇だけみて利上げなどしてはいけない。この所信聴取の中で植田氏も言及しているように、この物価上昇が持続的なものとは思えない。そう判断したなら、例え短期的には庶民の不利益になる政策であっても、断固として金融緩和を続けるべきなのだ。

つまり、庶民感覚など不要なのである。

政治全体の中で庶民感覚が不要かと言えば決してそうではない。が、それは役所でもそういう組織なり、地方自治体なり、庶民に近い部局が担当すべきであって、トップレベルに我々と同じ感覚を求めるのは間違っている。政策をそのものを誤りかねない。

90年代に政治のニュースをワイドショーで取り上げるようになってから、やたらと庶民感覚が言われるようになった。それと当時に、政治家も庶民に近いことをアピールしだし、急速に小粒になっていったと思う。政治も政治家も「しょうもない」ことになった。

トップはトップらしく、その本分を自覚してもらいたい。

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