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2.生活LOVE

昨日、さんまを食べました。
もっと早く書きかったのですが、だめでした。
秋になってしまいました。
なんとか、夏の内に、と思っていたのですが。

前回の終わり、「家の外に人がいるって気づいたからです」って書きました。2015年の秋、APAF(アジア舞台芸術祭)F/T(フェスティバルトーキョー)の期間に合わせて開催された「APAFアートキャンプ」に参加しました。東アジアを拠点に活動する、若手の演出家、脚本家、振付家、ドラマトゥルク、批評家を対象にした、プログラムです。

具体的には参加者が一緒に、APAFとF/Tの作品を見て、ディスカッション、
世界で活躍する舞台人の話を聞いて、ディスカッション、
シンポジウムを観覧して、ディスカッション
という、10日間でした。

とにかく、見る、聞く、話すの繰り返し。
はじめての言葉、考え方とたくさん出会いました。
なかでも、私を捉えて離さないのが、

「アーティストは人々のためにある」

フィリピンから参加していた、Sarah Salazarの言葉です。
それまでわたしは、日本の関東の横浜の、駅を降りて、川を越えたところにあるおじいちゃん家の中にだけいたものですから、そんなこと考えていなくって、とにかく目の前で生活をしているくロひげの人たちの姿を見るのに必死で、それが家の外にいる人々のために、どうとかなんて、想像もしていなかったものですから、この言葉は衝撃的で、目の前が真っ白になって、ああ、ほんとうに目の前って真っ白になるんだなあ、と、バカなことを考えました。

もともと、わたしは、生活する身体をどうやって稽古場に持ち込むか、ということをしていました。
その問いかけは、おじいちゃん家にみんなで住むようになって、ほとんど無意味になり、(だって、朝を起きて目を開けたら、もうそれは目の前にあるんです)作品をつくることに自分が関わる意味がわからなくなりました。
でも、悲しいとか、悔しいとかいうよりも、「生活」をこんなに間近に見れてわーいという気持ちの方が大きくて、わりかし幸せでした。ただ、生活を見る、ことに執着し、とにかく自分が見ることだけを考えていたのです。

そんなわけで、Sarahの言葉を聞いたとき、まあびっくりしたのです。
びっくりして、一気に視界が開けて、世界は広いなあ、自由だなあと思いました。
そして、たじろぎました。
生活は、どんな人でもする当たり前のことです。
誰でも、毎日、見ることができます。
わざわざ、作品にされる意味があるのでしょうか。

一言でいえば、あります。(と信じています)
それまでだって、わたしは生活していたはずです。
なぜ、くロひげと生活するようになって、執着しだしたのでしょうか。

「三月の庭先」という作品があります。
わたしたちにとって、特別な作品です。
おじいちゃん家でつくり、上演した、ただ一つの作品です。
この作品の観客はみんな、夕方前にこの家にやってきて、上演に立ち会い、夕ご飯を食べてから、暗くなった道をそれぞれの家に帰りました。

わたしたちは、ずっと民家での公演に憧れていました。その頃はまだ、家が取り壊されるだろうことは、知らなかったと記憶しています。ただ、この生活が長くは続かないだろうということは、なんとなくみんなわかっていました。
つくる前から、おじいちゃん家にあるものから作品を立ち上げることが、暗黙了解としてありました。
生活へ強い意識が向けられるようになったのは、この頃です。

この頃は、なにをするにも常に演劇のフィルターがかかっている状態で、生活の中で心動く瞬間や、些細だけど忘れがたい時間を見つけては付箋に書いて、貼っていくということを公演ぎりぎりまで続けていました。今なら、自分たちの生活LOVEすぎだろ、と思いますが、当時は本当に真剣にやっていたのです。

演劇は「見る」ことです。
目の前のものを対象化して見るための運動です。

くロひげの人たちが眠ったり、料理をしたりしている姿を見ると、時々、寿命の違う生きものを見ているような、幽霊になって自分が死んだあとの世界を見ているような気持ちになります。
その時、くロひげの生活はわたしの手を離れ、自分とは関わりのないもののようになっている/対象化されています。

生活が対象化されると、自分の生活と、誰かの生活は、見ている本人から同じ遠さになります。逆に言えば、同じ近さになります。
それって、知らない町の誰かの生活が、わたしとあなたの生活として、新しく姿を現わす可能性を孕んでるんじゃないでしょうか。
それは、例えば、アマゾンの、北京の、ロンドンの、ウランバートルの、秋田の、谷中の、あるいは、ブロック塀を一枚隔てた隣の家の、生活が、自分と無関係な、あることを知っているだけの存在から、この文章を読んだり、書いたりしているこの瞬間も、確かに、わたしの生活と一緒になって営まれているんだなあと実感できるものとして、現れる可能性です。

今年の春、Sarahからメッセージが来ました。
KARNABAL
という舞台芸術祭をやるから、おいでよ、と書いてありました。
知っている方もいるかもしれません。KARNABALは、彼女がディレクターの一人を務める、フィリピンの社会改革を目的としたプロジェクトです。
日本からは、石神夏希さん、武田力さん、藤原ちからさんがアーティストとして参加しています。

藤原ちからさんは、APAFアートキャンプでキャプテンをしていました。
(チームのリーダーのような、顧問の先生のような、そんな感じの役割です)
キャプテンは、キャンプの最終日に「こじまちゃんは、アウェイに行ったほうがいいよ」と言いました。
その言葉に背中を押され、「おいでよ」のメッセージに手を引かれ、それでも一人は自信がなく、いけだ、北村、わたしの三人で、えいっとマニラ行きを決めたのでした。(行くか行くまいか、夜中に会議までしました)

マニラでびっくりしたのは、信号機がないことです。結構交通量の多い道路でも横断用の信号がないのです。歩道橋もありません。でも、なんとかみんな渡るのです。そして案外渡れるのです。

日本で生活していくことの基盤にルールやシステムがあるとしたら、マニラには全然違う原理がありました。
なんというか、その、困ったことです。
つまり、わたしが今まで見ていた「生活」は本当にちっぽけで、限定的なものであったことが、はっきりと明確になってしまいました。

家の外には、人がいるだけでなかったのです。
どうやら、くロひげの生活だけを見てるだけでは、埒があきません。
生活を見に、自分たちの家の内から出ていくことをしよう、と思います。
見るってことがどこまで通じるのか、っていう怖さ半分、新しいやり方や見たことのないものを発見するだろうなという、嬉しさ半分といった気持ちで、います。

そんなわけで、わたしは「生活を見る」ってことをやっていて、しばらくは続けることになりそうです。

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