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4. そしてわたしは途方に暮れる

わたしは、泣かなかった。

いけだは泣いたらしい。
取り壊されて、コンクリートの基礎だけになってしまった「おじいちゃんち」を見て、たまらなくなったと言っていた。

秋には、完全な更地になった。
やっぱり、わたしは泣かなかった。

平らにならされた赤い地面は、陽がまっすぐ差し込むせいで明るくて、きれいで、こないだ家が壊されたことなんて気にしてないみたいでした。それを見て、わたしもあっけらかんとしていました。
隣の家は以前のままで、その隣も、お向かいのマンションも同じように人が住んでいて、「おじいちゃんち」のあった部分だけがぽっかり口を開けていました。取り壊されたという現実感はなく、知らないどこかで、家は変わらず上手くやっているような気さえして、

「もしそうなら、ある日突然戻ってくるかもしれない」

と、しばらく更地に通い続けていました。ですが、いつ行っても変わらず口をあけたままで、どうやら「おじいちゃんち」は戻らないらしいのでした。

「おじいちゃんち」は、皆川の祖父の家です。
彼が老人ホームに短期入所している間、わたしたちは一階部分を借りていました。
取り壊しを決めたのはおじいちゃんで、それを止める権利はありません。
だから、前回「おじいちゃんち」では権力が集中している人がいなかったと書いたのは、正確にはちょっと違います。
家を左右する権力は、欠席してただけ。欠席の間、わたしたちはその空白に住んでいたのです。

そのうち、マンションが建ちました。

一度、見に行きました。
駅を降りて、くねくねした川沿いの道を歩く。大きな幹線道路をまたいだら、角度の急な坂道をあがる。道のりは変わらないけれど、「おじいちゃんち」はない。玄関代わりの仏間の掃き出し窓に、素肌にはチクチクして痛い居間の絨毯、朔太郎が寄りかかったせいで壊れた網戸も。
代わりにピカピカとマンションが光っていて、あの家はもうこの世のどこにもないことが分かりました。

家をなくしました。
同時に「正しくない」生活をなくしたことに気づいて、くらりとしました。
家に対して自分で権力を握ってないっていうのは、どうもこういうことらしい。

(次は、もう少し上手くやろう。なくさないように気をつけよう)
(でも、壊されない家なんかあるだろうか、なくならない家は、変わらない家は)
(たとえ上手くやれたとして、戦争や災害は?昔学校で習った文化大革命、明日この国で文化大革命のようなことが起こらない保証は?)
(というか、わたしたちは次の家を探すのか?なくしたからって、次へ、次へと?)

途方に暮れたまま、半年が過ぎました。
積極的に新しい場所を探す気持ちにもなれず、あの不思議な生活を受け容れてくれる空白が、もう一度目の前に浮かび上がってくるのを、ただぼんやりと待っていました。
家のようで、家じゃない。家じゃないのに、家のよう。
そういう場所が、ある日わたしたちの前に姿を現す。
そんな気がしてたのです。

現れませんでした。半年待ったところで、あきらめました。
もう、家を持ってしまうことにしました。
「おじいちゃんち」を勝手につくってしまうことにしました。
そして借りたのが、今のHIGESOです。

HIGESOは6畳と4畳、二間の小さな家です。
北村はこの家を見たとき「家というより、小屋っぽいね」と言いました。「おじいちゃんち」は持っていた家らしさが、HIGESOにはありませんでした。
家具も何もないぽっかりとした部屋を前にして、わたしは再び途方に暮れることになりました。
どうしたものか。

ただこの時は、ひとつだけ心当たりがありました。

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