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就職してジェンダーフルイドの自分に気づいた話【前編】

こんにちは。私は大人になってから性的少数者である「ジェンダーフルイド」を自覚した者です。今は周囲にカミングアウトをしないまま、首都圏で会社員として生きています。

私は社会に出てから自分の性別の違和感が「一時的な妄想や願望ではなく、自分の身体や心に備わった現実である」ことに気づいたのですが、その大きなきっかけが、日本の一般企業で働くに当たり、自分の服装の違和感に気づいたことでした。

ここから書かせていただくのは、あくまで私個人の経験や見解ですので、すべてのジェンダーフルイドに当てはまることではありません。その上で「興味があるよ」という方は、どうぞ先にお進みください。「怖いけど、おっかなびっくり」という方は、どうぞ無理をなさらず。


ジェンダーフルイドに無自覚だった学生時代

10数年前から、LGBTや性的少数者(ジェンダーマイノリティ)といった言葉を日本でもよく聞くようになりました。最近ではそうした言葉も、LGBTQ+やLGBTQIAといった形に更新されつつありますね。

学生の頃、私はこうした言葉こそ知っていましたが、自分がその当事者であるとは思っていませんでした。今なら分かりますが、ジェンダーフルイドの「揺れ動く」という特性で、自分にとって当てはまりそうな項目(例えばノンバイナリ、シスジェンダー女性、トランス男性、ジェンダーノンコンフォーミングなど)が時によって微妙に違っていたからです。

ただ、いずれどこかで働くなら、スーツや制服など、服装に厳しいルールがある職業ではなく、服装がある程度自由に選べる職業でなければダメだろうと、本能的に悟っていました。

その理由は、当時の髪型や服装でした。身体の性に違和感はありませんでしたが、自分にとって自然な格好をしようとすると、とんでもなく見た目に振れ幅があったからです。それだけでなく、決まったジェンダーの格好(つまり男性、女性、中性など)をずっとし続けることが、自分にとってかなりの苦痛になると分かっていたからです。

まず「可愛くする(装う、振る舞う)」という概念が、日によってすっぽりと抜け落ちました。私は髪型も長く伸ばしたり短くしたりと変え続ける方でしたが、ショートカットにジーンズ、メンズサイズのフード付きMA-1ジャケットにスニーカー、メイクは一切なし、という格好をすることもあれば、女性もののレースがついたTシャツにスカート、ヒールのあるサンダルといった、遠目で見ても「女性」と分かりそうな格好をすることもありました。

どの格好をしていても「あえて女性/男性のように振る舞っている」といった意識は一切ありませんでした。その時自分にとって自然な格好をしているだけだったからです。これは、当時も今も意識としては変わりません。

無自覚な自分にヒントをくれた、見知らぬLGBTたち

自分の服装が「普通ではない」ことを大して意識しないままそんなことをしていましたたので、当時はちょっと大変でした。

男性寄りの格好で歩いていたある時は、明らかにペアルックの欧米系のゲイ男性カップルにまじまじと見られ、全く違う場所ですれ違った別のゲイカップルの1人には「なんだ、同じ畑の人かと思っちゃった」と言われました。もっと記憶を遡ると10代初めの頃には、オネェの方に電車の中で困惑顔のまま見つめられたこともありました。

当時は何のことか分からず混乱したものですが、彼らからすれば、おそらく私が一瞬ゲイ男性に見え、とはいえ何だか違和感があって、近付くまで訳が分からなかったのでしょう。(後から、ゲイ当事者の方のブログで「ゲイ同士は目を見れば分かる。だから自分は気になる男性に会ったらまず目を見る」という記述を見て、やっと気づきました)

当時は未熟ゆえに気づきませんでしたが、今ではそうしてヒントをくれた、名前も知らない彼らに感謝しています。考えてみれば、その時の私はジェンダーとして男性、性表現や恋愛対象も男性だったので、身体の性別さえ男性だったならゲイ男性で通っていたでしょう。

また、学生の頃、ある教授には「君は、服装によって雰囲気がガラリと変わるな」と不思議そうに指摘されたことがありました。今考えると、自分のジェンダーに合わせて服装が変わっていたことが、教授に「雰囲気が違う」と感じさせたのかもしれません。

就職活動では、無意識に自分を守っていた

日本の大卒むけの就職活動では、「新社会人として適切な」スーツや髪型、女性ではメイクに至るまで指南がありますよね。それは決して悪いことばかりではないと私は思いますが、上のような事情で、私は日本で普通の就職活動を乗り切る自信がありませんでしたし、無理をして乗り切ったとしても、その後うまくやっていけるかどうか分かりませんでした。

そのため、就職活動では、自分のスキルをピンポイントで売り込めそうで、かつ服装の自由がある企業を探して履歴書を送りました。つまり、自分の服装や格好を理由に落とされたり、入社できたとしても後で貶められることがありそうな企業を、候補から外したのです。

この時点では意識していませんでしたが「自分は普通とは違う。だから、自分のスキルや成果物を高く買ってくれそうな企業で、人前に頻繁に出なくても済む職種に応募しよう。そうすれば、自分が一般的な社会人に見えなかったとしても、ある程度は大目に見てもらえるんじゃないか」という考えが心の底にありました。そのため、大手企業はほぼ対象から外れました。

個人的には、そうした企業を批判しようとは思いません。ただ「自分に合うか、合わないか」を冷静に判断する必要があったのです。また、社会に出た後に改めて気づきましたが「性別や年齢、プライベート(配偶者や子供の有無など)に関係なく、ひとりの社会人を実力や人間性で評価できる社会」というのは、日本でも欧米でも、実現からはまだ遠い場所にあります。

自立して生きていくためには、社会が自分のような存在を受け入れてくれるのを待つよりも、現実を見て、自分の自由や尊厳を守れるやり方を冷静に考え、実行する必要がありました。

こうして私は、ある程度服装の自由がきく企業に就職します。そこで自分がどうやら本当に性的少数者で、しかもジェンダーフルイドである、とうっすら気づくのですが、その話はまた次回にします。

長々と読んでくださり、ありがとうございました。もしもこの記事が少しでも役に立つことがあったら、いいねボタンを押してください。

それではまた。



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