見出し画像

終末論と週末の過ごし方



ノストラダムスの大予言


僕は少年の頃、ノストラダムスの大予言を信じていた。ノストラダムスの大予言というのは、16世紀のフランスで活動していた、予言者のノストラダムスが書いたとされる未来の予言集のことで、この予言集には、未来の出来事が詳細に書かれていると言われ、多くの人々がその予言を読んで解釈しようとしてきた。しかし、ノストラダムスの大予言は非常に難解で、どの出来事がどの予言に該当するのかが明確ではない。そのため、予言が実際に当たったのかどうかは意見が分かれているのだ。 例えば、「ノストラダムスの大予言には、2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロのことが書かれていた」といった話があるが、これはあくまで解釈の一つであり、確かなことではない。 つまり、その解釈や信じるかどうかは個人の意見によるわけだ。


1999年7の月

天から恐怖の大王がやってきて

アンゴルモアの大王を甦らせる

その前後、火星が幸せのうちに統治するだろう

(『百詩篇集』第10巻72番)

MMR


始めてこの予言を目にしたのはMMR(マガジンミステリー調査班だったけ?)という漫画だ。当時週間少年マガジンで連載していた、超常現象を扱う人気作品だ。(ドラマ化されてたよね。)

アンコール刊行なんてあったんだ…
懐かしいな。

世紀末


1990年代の日本は世紀末を目前に、バブルが崩壊し社会が病んでいたように感じる。僕が子供の頃は、インターネット黎明期で、まだ世の中の情報源は、テレビや雑誌が中心だった。そして、当時のテレビや雑誌を賑わしていたのは、宗教、少年犯罪、終末論、超常現象など香ばしい話題のオンパレードだ。(僕にとってはエンタメ)

その中でも、ノストラダムスの大予言はインパクトがあった。これも映画化されてたし、関連書籍もかなり出版されていた。どうやら日本人はどうしてもこの世界を終わらせたいみたいだ…

この予言を目にした僕は当時震え上がった。この予言にとらわれて眠れない事もあった。初めて死と向き合った体験かもしれない…(小学生が死と向き合うな。)さらに、この終末論に便乗して沢山の新興宗教が生み出され、当時のマスメディアも新興宗教の話題で持ちきりだった。見えない不安を煽られた先に救いを求めるのは、大体、神様だと決まっている。うまく出来たシステムだ。

審判の日


そして迎えた、1999年.7の月、僕は毎日空を見上げた。「アンゴルモアの大王」なる者に魂を捧げる時が来たのだ。


しかし、現実は何も起きやしなかった。僕の日常は何も変わらず今も続いていて、辛いこともあるけれど、それなりに楽しい生活を送っている。どうしたって、予測不能な世界なのだから、終末論などという不確かなことにとらわれずに、週末を楽しく過ごせたらそれで良いと思う。「アンゴルモアの大王」に魂を捧げるその日まで。

【追記】


この記事を書いたあと、近所のお寺にて祈願ローソクに火を灯してきた。
妻は風邪気味だし、娘は義母宅に預けているので一人で出かけている。穏やかな日常はとても幸せだ。

交通安全祈願。これ割と大事。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?