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フィルター越しに世界を見つめる

例えば今僕が見ている世界とあなたが見ている世界はまったく同じなのでしょうか。今僕が見ている赤はあなたの見ている赤なのでしょうか。こんなもんは散々語られてきて手垢のつきまくった話ではありますが、でもやっぱり気になるものです。だって僕は一生、死ぬまで僕の両目を通して見る世界しか体験できないのですから。逆に言えばあなたは一生僕の見ている世界は見ることは叶わないのです。そう考えるといくら分かり合えたつもりになっても、愛し合っても、結局人は独りなんだな、なんて思ってしまいますよね。おっと、別に暗い話がしたかったワケではないのです。そんなことはどうだっていいのです。そういった自分だけでは見ることの叶わない、他人の目を通して見える世界を覗き見る。創作というものは本来そういうものなのかもしれませんね。
僕が今見ている世界はフィルターがかかっていて、きっとあなたの見ている世界とは違うのでしょう。どんなに晴れていても曇り空のように影を落とし、どんなに空気が澄んでいても遮蔽物が視界を塞ぐ。そんな世界で僕は今生きています。生きるって煩わしいですね。ただ息を吸って吐いて心臓が動いて。それだけでいいのに。

何が言いたいのかというと。
前髪が伸びすぎてて鬱陶しい、という話です。

前髪というか、全体的に髪の毛が伸びに伸びております。最後に切ったのは二か月前だったかな。ちょっと覚えていないのですが、いい加減切りに行かないといけません。わかりやすく言うと鬼太郎みたいな感じに陥っております。原作の方の。鼻息ふんふん出ている方の。昨日なんて毛先が目に入ったり視界を塞がれたりと、あまりに鬱陶しいから応急処置でめったにかけないメガネをかけて前髪の猛威からガードしておりました。我ながら非常に斬新なメガネの活用方法だと思います。

別にいいんですよ。正直。伸ばし放題でも。個人的にはどっちでもいいんです。むしろ冬も本格的に始まりますし、髪の毛長い方が暖かくていいんです。しかし、僕は悲しいかな会社員。それも管理職です。部下がたくさんいます。たまに顔を出して「どうもどうも」つって来る上司が髪の毛ボサボサで目もろくすっぽ見えないようじゃ、かっこつかないじゃないですか。ある程度はビシッとしておかないとさ。

とまぁ、そういったところで。おじさんが髪の毛を切ろうと思っている、という世界でも有数のどうでもいい話でした。どうでもいいと言ってしまえば、そもそも僕が書くものは純度100%のどうでもいい話ばかりなんですけどね。つって。わははー!なんだとこの野郎おもて出ろ。



記念日いきましょ。

★10月27日★
【読書週間】
【文字・活字文化の日】

2005年7月29日公布・施行の「文字・活字文化振興法」(平成17年7月29日法律第91号)によって制定された。文字・活字文化への理解や関心を国民の間に広めることを目的とする。

読書の秋って言うくらいですからね。こういう日もありますよね。しかし文章を書く、文章を読むってのは本当の意味で個人競技というか、競技ではないですけども。ソロプレイの極みですよね。だから僕は辞められないんだろうな。ちなみに僕が活字の魅力に初めて触れたのは確か小学生の頃。母親が買ってきてくれた児童文学作品『ルドルフとイッパイアッテナ』を読んだあの瞬間からです。そのときからずっと今の今まで魅力に取り憑かれたままです。

そしてただ読むだけではなく“書く側”になりたいと思うきっかけになったのは、原田宗典さんのエッセイ『十七歳だった! 』

どちらも真っ赤な表紙。なんたる偶然。これは面白いです。ゲラゲラ笑いながら読めます。「文字だけでこんなに人を笑わせることができるんだ」と衝撃を受けたんです。あの新しい世界が開かれた瞬間は忘れられません。ハッキリ言って僕が書いているのは原田宗典さんの真似みたいなもんなので、僕の文章を読んでいる暇があるなら原田宗典さんの本を読んだ方がずっといいと思います。でもたまには僕のも読んでもらえると嬉しいです。寂しいじゃないですか、だって。見捨てないでよ。ねぇお願い。なんでもするから。なんでもはしないけど。苦しいのと、痛いのと、くすぐったいのと、めんどくさいの以外はなんでもするから。
「それって結局何もする気ないじゃん」ですって?

うーん。まぁ、そうすね……。



御後が宜しい様で。



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