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全国からの寄進揃うこんぴら街道/ゆかりのうちわ製作体験も/丸亀市

「日本の城下町を愉しむ」一覧
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(北海道・東北・関東甲信越)
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★都道府県 香川県
★城郭 丸亀城

 丸亀の港、こんぴら街道出発点には大きな青銅製灯籠が立っている。高さは5メートル余り。蓮の花をかたどっているが、八角形の傘の頂点にある龍の口からは、水流のようなほとばしりがクルリと渦を巻き実に優美だ。大きな石の台座には深々と「江戸講中」と彫られる。
 江戸? 四国の灯籠になぜ江戸の講中、信者寄進と彫られているのか?
 1832年に灯籠の前に新堀湛甫(しんぼりたんぽ)という船溜り造られる。以前の船溜りは金刀比羅詣で客の増加で手狭となり、藩主がより大きな船溜りを作ったのだ。
 新しい港のシンボル・安全のための常夜灯として1838年、今度は商人たちが発起人となって江戸に出向き、1300人以上もの寄進を集めてこの見事な灯籠を造る。最高額は立身出世で有名な本所の塩原太助(しおばら たすけ)で80両。このため灯籠は太助灯籠と呼ばれ、ひときわ大きな字でその名が彫られている。
 金刀比羅大権現は古くから海上守護の神とされており、江戸時代後期から伊勢参りに次いで人気となる。現在は丸亀市となっている沖合の塩飽諸島の海賊たちが、江戸時代に入り海運業者となって全国にその信仰を広めたのだという。
 藩主の京極家も保護し、現在の東京・虎ノ門にあった屋敷に1679年に金刀比羅宮を作る。しばらくするとこれが江戸っ子の評判となり、塀越しに賽銭などを投げ入れる者が続出。その額が馬鹿にならず、縁日には門を開けて町人を参拝させるようになった。藩邸は消えたが金刀比羅宮は今も残り、やは

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