「お金を払う」とは「感謝する」ということ
「経済活動してますか~?」
序盤から謎の問いかけをして始めたが、これを読んでいるほとんどの人が経済活動をしている。
今日食べたものはどこかで買ったものであり、仕事をして金を稼ぎ、家ではネットを使って通信費を払っている。
今、このnoteを読んでいるのが何よりの証拠。
そんな日々行われている経済活動の中で、こんな出来事が起きることもある。
「こっちは金を払ってるんだからしっかりサービスしろ」
これを言う側の立場に立てば、何かの不備があり適切なサービスが受けられなかったことに対する正当な主張である。
しかしこれを言われる側の立場に立つと、「必ずしも正当」とは言いづらくなる。
なぜなら払われる金額以上のサービスを求められることがあるから。
昨日『未熟なふたりでございますが』というマンガの80話81話を読んだ。
このマンガはとある夫婦の日常を描いた作品で、はっきり言ってしまえばハラハラ感無くリラックスして読める癒やしマンガ。
で、昨日読んだ80話は妻側の職場での話。
彼女は養護教諭として高校に勤めており、この日はとある学生の軽い進路相談を受けていた。
「やりたいことがあり、それを学べる専門学校に行きたい」
そんな生徒の背中をそっと押してその日を終えた次の日、生徒の親が学校に来て「うちの子は大学に行くのだ」と。
「生徒さんは」と生徒の意思を伝えようとするも「教師は黙って保護者の言うことを聞け!こっちは給料払ってるんだぞ!!」と怒鳴り散らして学校を出て行った。
その後どうなったかは是非マンガを読んで欲しい。
養護教諭、いわゆる「保健室の先生」は学校の保健に関することを管理する仕事である。
ケガをしたり、体調を崩した時に利用することが主だが、時には話し相手となり「心の保健」も担当する。
そういう意味で言えば「進路相談」も担当外ではない。
しかし学生の希望と親のオススメ、さらには学校の意見が渦巻く「進路」の主戦場には立っていない。
「学校の保険を担当すること」が仕事ならば、立場上不利な学生の”後方支援”くらいが養護教諭の立場だろう。
それなのに「親と連合を組み、前線に立て」という要求はサービスの過剰要求である。
さらに「こっちは金を払ってる」という主張。
そう言われると立ち揺らぐことがわかっているのだ。
しかし考えて見て欲しい。
お金はどういう時に払うのか?
欲しいものを買う時、必要なものを買う時、何かをやってもらう時などなど・・・
人がお金を払う時、それは「感謝をする時」である。
食品を買うとは、それを代わりに作ってくれている人がいるから対価を払う。
それが無いと生活が成り立たないものを作り供給してくれていることに感謝する。
それが「お金を払う」ということである。
つまり「こっちは金を払ってるんだぞ!」という主張は意味がわからないのである。
「感謝してやってるんだからしっかりサービスをしろ」
なんて尊大な態度なんだろう。
そのサービスが気に入らないのなら、そこにお金を払わなければいいのである。
経済活動は需要が先にある。
「欲しいな」という想いがあり、「作ったよ」という供給があり、需要供給のマッチングにより金銭の授受がある。
学校であるならば、「こんな学び舎に通いたい」という需要と、「そんな学校運営していくよ」という供給のマッチングで金銭の授受が決まる。
まぁ実際は受験して学校が定める学力以上が合格するって仕組みだけど、合格=入学ではない。
滑り止めで受ける学校もあるし、直前になって辞退するということもある。
やはり最後は「求めること」と「提供できること」のバランスが払う金額と合っているかで考えるのである。
だからお金を払った後に「もっとサービスしろ」という要求はおかしいのだ。
「お金を払う」とは「感謝をすること」。
親ではケアできない部分を学校が代わりにやるから「ありがとう」が発生する。
とはいえ実際問題、「金払ったんだから後は適当でいい」なんて企業も無くは無いので「正当な指摘」は必要である。
学校の場合は転校するにも試験があったり、また学費を払うみたいな手間も多いから、「できればこの学校で卒業したい。だからここを改善して」と思う気持ちもよくわかる。
今回例に出したマンガでは、生徒と親の関係を見ることで彼女と父親の関係を進展させるもの。
言うなれば「当て馬」的な「人の振り見て我が振り直せ」的な話である。
おもしろいので是非是非読んでみてね。
以上!くろだでした。
読んでくれてありがとうございました。
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