エイプリルフールに本気の話をするやつがいる
今日はエイプリルフール!(執筆時現在)
SNSでは「まるっきり嘘やん」という投稿から「これほんと?」という投稿まで、エイプリルフールを存分に満喫している様がうかがえる。
なら僕も嘘をつこう!
そう意気込んでみるものの、単発でドンと嘘をつくネタが思い付かない。
話の流れの中に嘘を仕込むのは好きなんだけどね。
芸人さんで言うならば、漫才は得意だけど一発ギャグみたいなバラエティー的な笑いは取れない感じかな。
そんな感じなので、特に嘘もつかず、ヌルッと始めていこう。
「毎日投稿365日バッジの獲得」と「フォロワー1000人」を達成する。
noteのプロフィールにそういう文言を書いていたが、消した。
その目標が無くなったわけじゃない。
そうではないのだが、「それが本線じゃないな」と思った。
目標を掲げていた理由は二つある。
一つ目は、単純に”数字”というものがわかりやすいから。
例えばYouTubeで、「チャンネル登録者1万人目指してます」とか「あと100人で10万人登録者なので登録お願いします」とかって言われたら、「まぁおもしろかったし登録しておくか」となるだろう。
もちろん「はっw逆に登録解除したろw」って人もいるはずだし、別に登録するかどうかはその人の判断だ。
ただ、目指している場所とそこまでの距離が可視化された方が、読者の「応援の仕方」も見えやすくなる。
そういう”わかりやすさ”を目当てに掲げていたのが一つ目である。
二つ目はフォロバ界隈へのアプローチ目的。
「くろだ@フォロバ100」みたいなアカウントがたまにある。
だからフォロワー目標を掲げれば、そういう人達に見てもらえるかなと思ったのだ。
結果、特に増えることもなく、なんなら減っている説まであるフォロワー数である。
つまり、特に意味は無かったのだ。
意味の無いものを残しておくほどお人好しではないので、消してみた。
だからといって「フォロワー1000人」という目標が無くなったわけじゃない。
無くなったわけじゃないのだけど、それが本筋ではないことは最初からわかっていた。
それでも寄り道したかったのだ。
フォロワーという母数が増えれば、必然的に読んでくれる人も増えるし、スキも増える。
そうやってどんどん広げられる環境を作りたかった。
だけど、そういう数追いのセンスが僕には無かった。
手っ取り早く数字を得たいなら、極端なことを言って炎上すればいいのである。
「炎上」と言うと聞こえが悪いけど、多くの人が思っていることをわかりやすく言語化して共感を得ること。
この場合は「バズる」と言った方がいいのか。
あとは自分からフォローするとか、スキしに行くとかね。
いろいろ手はある。
だけどそれをしていないということは、そもそも数を得るセンスがないのだ。
センスがない、もっと言うと勝つ見込みがないところであり、勝つ気もない場所で戦っても意味が無い。
だからフォロワーを追いかけるような「1000人目標」というプロフィールは捨てた。
これを書いて気づいたことがある。
すべての手段を尽くしていないな。
「自分からフォローする」とか「人のnote読みに行ってスキする」とか、手段が見えてるのにやってないな。
そもそもなんで1000人フォロワー行きたいのか?
「100人に一人は僕のことを好きになってくれるんちゃう?」という推測の元、10人仲間がほしいなという魂胆のためである。
ゆくゆくはこのnoteで稼ぎを生んでみたい。
そしてコミュニティーを作って、表現活動の仲間にしたい。
稼ぎのためにも、コミュニティーのためにも、そして夢のためにも、「仲間の存在」というものは必要不可欠なのである。
僕の夢はグチャグチャの東京ドームを作ること。
あんなデカい会場で「みんなで一つのことをする」のは無理である。
必ず「?」を浮かばせならが、でも周りに合わせなきゃとする人が出る。
そんなことをお金と時間を使ってまでさせたくない。
一人一人が各々、感じたように表現をしているグチャグチャな観客席。
だけどなぜか一体感がある。
そんな時間を、一瞬でもいいから作りたい。
そしてもっと言うなら、その一瞬から無限の表現を生み出したい。
「くろださんのライブに行ってから表現することの楽しさを知ったので、今この活動をしています」って言わせたい。
一人でできるなら苦労しない。
でも一人でできない、人と関わってやっと成しえることができることだから楽しみなのだ。
よし、やろう。
エイプリルフールとか知らない。
今年中にnoteのフォロワー1000人行きます。
以上!くろだでした。
読んでくれてありがとうございました。
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ではまた👋
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