中学生がnote書くの?末恐ろしいわ。
少しおじさんっぽいことを言わせてくれ。
「最近の若者を舐めちゃいかんな!」
『noteを始めて1年』というタイトルに「歴近いな」と親近感を覚え、読んでみる。
すると2行目にして「当時小学6年生だった私は」という文言が来て愕然とした。
小6でnoteを書いてたの?
僕が小6の頃は家にパソコンはあったけど、スマホは家族の誰も持っていなかった。
だから僕は「ネット」というものをあまり触れておらず、中学受験もしないので放課後は友達を誘って外で遊ぶような子どもだった。
僕の小学生のイメージはこれなのだ。
友達と外で遊ぶ。
もしくはゲームをする。
wiiとかwiiU、3DSもあったかな。
当時の僕の家はゲームに厳しくて、「父親が休みの日に2時間だけ」というルールがあった。
だから平日は、友達と遊ぶか、テレビを見るかの二択で、だいたい友達と遊んでいた。(宿題は選択肢に入りません)
友達が持ってるゲームを借りられるからね。
当時としても、ちょっと時代遅れな小学生だったけど、そんなにあぶれている子ではなかった。
だけど今の時代でこれだったら超厳しい家庭だね。
そう言えるくらい、時代は変わった。
確かに小学生でもスマホを持ってるって話は聞く。
となれば「noteをやってる」という人がいてもおかしくない。
だけどさ、ちょっと聞いてくれよ。
「note始めて1年か、同じくらいの歴だ~」と、同年代がいる安心感を手に入れたようにウキウキして記事をクリックした僕が、「始めた頃は小6だった」なんて文章を見た時の絶望感。
身長を測るようなものかな。
小学17年生ともなると身長はほとんど伸びない。
これから先いくら身長を測ろうとも数字が変わることはなく、自分はこの背の高さで生きていくことが確定する。
「まぁそんなもんだよね」と。
そして隣に来た身体測定1年目の同期は中学生。
これからグングン伸びる歳である。
僕はもう背が伸びないのに、隣の人はこれから背が伸びる。
この例えだと「身長は抜かれないかもしれないじゃん」というツッコミが入るのだが、それが言いたいのでは無い。
これからいくらでも伸びる「伸び代」が怖いのだ。
僕の背はもう伸びない。
毎年誤差の範疇で数字が推移していって、もう少し歳を取れば背が縮んでいく。
一方で中学生ならば、これから「+〇センチ」が続いていく。
必ず差は縮まり、なんなら追い抜かれる可能性すらある。
「年下でも自分に無いものを持っているのなら学びにいけ」
そんな言葉をよく聞くようになった。
僕は僕のことを「若者カテゴリーに入る」と思っている。
が、これはもうすぐ通用しなくなる。
現にこの方以外にも「中学生です」「高校生です」とプロフに書いてあるnoterはいくらでも見てきた。
年下でも「noteの先輩」はたくさんいる。
それを「年下でしょ?」と、なめた口を利いてると成長の機会を失う。
もちろん身長のように抜かされないかもしれない。
ただ文章力や表現力というものは、身長のように遺伝の影響が直撃するものではない。
歴の長さにほぼ比例して上がっていくと思っている。
つまり、年若から始めた方が「伸び代がある」のである。
まぁ、表現というものは競い合うものではない。
「あなたの文章いいね」「僕の文章はどうよ?」と、共生していくようなものである。
だから「抜かれる」「抜かせない」なんて発想は無用である。
そうやって、さっさと降参ポーズを取っておく。
若者の伸び代に怖じけつつ、これからに期待する。
以上!くろだでした。
読んでくれてありがとうございました。
スキやコメント、フォローをよろしくお願いします。
ではまた👋
【あとがき】
本文にも書いたけど、もうスマホを持ってるのが当たり前なのならば、noteを書くことをしていてもおかしくないのだ。
僕だって小学生の頃、家族共用のパソコンでYouTube見てたもん。(wiiスーパーマリオの実況を見てたはず)
その頃からYouTubeを始めようと思えばできたのだ。
が、まぁ機材やら編集やらが必要で、YouTubeは始めるハードルが高い。
その点noteはアカウントさえ作れば、あとは文章を書くだけ。
そりゃやるよな。
発想がユニークな人なら尚更最適な場所である。
別にやめてもいい。
だた「やってみたいかも」という今の気持ちは大切にしてほしい。
おじさんはそう思う。
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