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青空、どこまでも(5)

 ジャンペイくんが積極的になるのに反比例して、キンレーくんとドレイくんは消極的になっていった。僕に協力し始めたジャンペイくんを裏切り者のように感じているのだろう。今はもう、僕の後ろをついてくることさえなくなった。朝六時ぴったりに農場にはやってくるものの、あとはずっと日陰にいて、かんかん照りの太陽の下で汗だくになっている僕とジャンペイくんを眺めている。
 あの日以来、彼らの間には溝ができてしまったようだ。休憩時間に聞こえていた、空を突き抜けるような笑い声もない。ジャンペイくんは、僕と二人で弁当を食べるようになった。
 思い切ってジャンペイくんに二人のことを尋ねてみたのは、そんなある日の休憩時間だった。
 僕は里子が作ってくれた弁当のツェムをつまみながら、湯船に足を入れる前に風呂の熱さを確認するような調子で言った。
「最近、キンレーくんたちとはどんな感じ?」
 僕は口下手だった。もっと遠回しに訊くつもりだったのに、最初から核心に触れてしまった。ちょっとお湯の熱さを確認するはずが、頭から熱湯に落ちたようなものだ。
 ジャンペイくんの右手が止まった。
「……あんまり良くないですよ。見て分かるとおり」
 少しうつむけたその顔には、寂しげな笑顔があった。向こうで弁当を広げているキンレーくんとドレイくんをちらりと見て、ジャンペイくんはため息をついた。
「よく分かるんです。キンレーやドレイの気持ち。ブータンは最近までインドとしか交流がなかったから、インド人以外についていくのは正直怖い。でも、そこで勇気を出さないと国を開いた意味がない。国王も同じお考えだと思うんです」
 江戸時代の日本もこんな感じだったのかな、とふと思った。開国。新しい文化に抱く好奇心。初めて交流する外国人の物珍しさ。変わっていこうとする祖国への期待感。けれどそこには、喜びと同時に不安もあったはずだ。ちょうど、今のキンレーくんやドレイくん、ジャンペイくんと同じように。
 彼らの気持ちは想像できた。その不安を取り除くために、僕に何ができるだろうと考えてみた。以前にも一度考えたことだ。出た答えはあのときと同じだった。いくら言葉を尽くしても意味はないだろう。働くしかない。僕がどれほどブータンを愛しているか。どれほど、ブータンの発展を願っているか。働く僕の背中を見てもらうしかない。

 田植えを始めた。ブータンで僕が一番やりたいと思っていたことだ。
 日本から持ってきた種もみを、縦横一定の間隔で植えていく。これを並木植えというのだが、ブータンでは並木植えは浸透していないようだった。前後左右の間隔を測りながら種もみを植える僕を見て、ジャンペイくんは驚いた様子だった。
「日本ではそんな植え方をするんですか。ブータンでは間隔なんて考えず適当に植えているんですけど、なるほど、これだと苗と苗の間に風が通って、稲の生育が良くなりますね。草取りも楽だ」
 この頃から、僕らの試験農場を近所の人たちが覗きに来るようになった。ブータンに来たばかりの頃、里子が食料を分けてもらったオンディさんとザンモさん夫婦も、散歩がてら毎日足を運んでくれる。
「やってますね。頑張ってください」
 疲れがピークに達する夕方五時くらいに声をかけられると、あともう少し頑張ろうと思えた。
 七月には、苗が十五センチくらいに伸びた。苗が順調に成長していることで調子づいた僕は、勝負に出ることにした。試験農場にロープを持ち込み、そのロープに二十五センチおきに印をつけていく、ジャンペイくんは、この作業の目的が分からず首をひねっている。
「このロープを田んぼに張って、今つけた印の通りに苗を並べるんだ」
 百パーセント日本式の田植えだ。日本のやり方がどこまでブータンに通じるのかが知りたかった。
 いくらしっかりと並木植えを行なっても、天候に恵まれなければその年は不作となってしまう。晴天が続きすぎてもいけないし、雨が振りすぎてもいけない。程良い日光と水が必要だ。幸いにも、今年のブータンの夏は、稲にとってのベストコンディションが続いていた。五月に植えた夏野菜も上々だ。特にダイコンは、ジャンペイくんの度肝を抜いたらしい。その日は一日じゅう、生まれたての弟か妹でも抱くようにしてダイコンを抱えていた。
 さらに嬉しい出来事があった。ドレイくんが、自分も手伝いたいと申し出てきたのだ。
「このでっかいダイコンを見て、日本の農業のすごさが分かりました」
 僕の努力が実った瞬間だった。僕の働く背中が、今確かに一人の少年の心を動かしたのだ。涙がこぼれそうだった。
 二ヶ月前とは打って変わって、やる気に満ちたドレイくんの瞳。それがふっと陰った。
「でも、キンレーを味方にするのはかなり難しいと思います。あいつは、ブータン人とインド人以外は認めないって、毎日のように言ってるから」

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