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Guzzle Pittのこと、其の一

Guzzle Pittとは?

うっかりこのページに訪れた私のことを何も知らない方はタイトルのGuzzle Pittって何?と思われたと思います。
Guzzle Pittは福岡のアコースティックバンド。ギターのKURO(私)、パーカッションのpyongchang、ウクレレたまにベースのREOの3人編成。ボーカルは私KUROがとることが多いですが基本的に全員歌います。
ライブによってサポートメンバーを加えて活動しています。
今年で結成23年、一向に楽器はうまくなりませんが、耳に残るメロディーと心に残る歌詞が信条のオリジナル曲多数。以下に関連リンクを貼っておきます。


はじめに

2000年、自分が37歳の時ににGuzzle Pittというバンドを結成しました。そしてそれは今も継続中、もうライフワークみたいな感じですね。
途中いろいろありメンバーが抜けたり、ほとんど活動休止状態の時期もありましたが、また昨年あたりから活動を活発化させています。

今回から何回かに分けてこのGuzzle Pittの歴史や個人的な思い出を書いていこうと思います。よろしくお付き合いください。

昔の話が多く今となっては覚えてない事も多いです。(汗)
メンバーはじめ当時を知ってる関係者で記憶違いに気づかれた方はコメントなどで指摘してくださいね。随時修正しますので。


出会いは行きつけの飲み屋さん

最初は行きつけのFish barという飲み屋の軽音楽部みたいなノリでスタートしました。メンバーはそこの常連さんばかりだったので最初の頃はいつもその店でライブしていました。
ライブハウスとかじゃなく通常のバーなので機材も全部自分たちで用意して持ち込んで演ってましたね。
ちなみにそのお店のマスターが前回のnoteで書いた石垣旅行記に登場したKさん。そしてGuzzle Pittというバンドの名付け親もこのKさんだったりします。恩人です。

結成時、自分はただちょっと参加してみようかな〜という腰掛け気分だったのですが、どうした流れか「バンマス!」などとおだてられ(気が付けばただの雑用係だったのですがw)今に至ります。なんかこういうリーダーみたいなの苦手で、本当は副リーダーみたいな位置から好き勝手に言ってるのが一番楽で好きなんですが、若いメンバーがいたり、同世代のメンバーが狡猾だったせいで、ふと気づくとしてやられてました。

結成当初のメンバーは5人、現在残っているKURO、pyongchang、REOの3人に加えてキーボードの大輔とギター&ベースのnao♪さんという編成。
半年くらいしてもうひとりキーボードのシゲちゃんが加わって6人編成になりこの時代が3年くらい続きます。
自分とpyongchang、nao♪さんの3人がアラフォー、残りの3人が20代半ばというV6みたいな編成でした。(笑)


Fish bar での1st.LIVEのポスター。いきなりワンマンライブって頭がオカシイです。
1st.LIVEの画像、当時のサイトに載せた小さい画像しか残ってなかったけど逆に良かった。いろんな意味で。w

悩めるカバーバンド時代

最初の1年くらいはカバーバンドでした。メンバーそれぞれがやりたい曲を持ち寄り、それをみんなでアレンジして演奏するというスタイル。大人の文化祭活動みたいな感じです。
この頃はライブのたびに全て新曲(カバーですが)を10曲以上やっていて、当時自分が住んでいた長浜の公団にみんな集まって合宿のように練習して、毎回その後は居酒屋や中華屋で飲み会。楽器やバンドをやるのが初めてのメンバーもいて、基礎からだしキツかったけど楽しかった時代です。
オリジナルをやりだしたのは2年目以降かな。私はガズル結成以前にも曲作りはしていましたがとても人前で披露できる代物ではなく、ガズルで使えたのはほんの数曲(歌詞はリライト)。今でもライブでやっている「ストリッパー」は自分が20代中盤に組んでいたバンド時代に作った古いオリジナルでもう35年前の曲。詞、曲ともに手を入れずにGuzzle Pittで採用したのはこの曲くらいです。

Guzzle Pittとして作った最初のオリジナルは「Standard」で、同時期に作ったのが「Home Again」「最果の夜」「Lonely & Lovely」あたりかな。この頃の曲はみんなでアレンジしながら練習して、今でも思い入れが強い楽曲達です。

オリジナル志向のユニットへ

この6人編成時代6人中5人が血液型B型で、最年長のnao♪さんだけがO型。案の定nao♪さんが「やっとられんわ!」と最初に脱退。(笑)
この時点で残ったメンバー5人全員がB型という勝手きままバンドになります。
その次にシゲちゃんが自分の音楽活動に専念するために脱退。この2人は今ではライブ活動、作曲活動、レッスンなど音楽だけでメシ食ってるプロ、まあ辞めるべくして辞めたのでしょう。(笑)ちなみに2人とは今でも仲良くしています。nao♪さんはレコーディングや大きいライブでのサポートメンバーとして、シゲちゃんは飲み友達として。

話は前後しますが、実はGuzzle Pitt結成の言い出しっぺはキーボードの大輔でした。前述の飲み屋で彼が「バンドやりたーい!」と無邪気に言ったのが始まり。
その大輔は転勤の多い仕事で結成翌年に長崎に転勤。それでも長崎だったらまだ九州内だし時々ライブにも参加できてたんだけど、その後東京に転勤。ちょうどオリジナル曲も増えて来て、オリジナル志向になっていた時に、大輔が東京から帰省して久しぶりに一緒にライブしようかと選曲していたら、彼が「簡単な曲しよー。カントリーロードとか演りたーい!」と無邪気に言った事で音楽的な溝を確信。メロウに別れを告げました。
こうして3人が脱退して、現在の3人になったのが2004年だったと思います。

※下の動画は2003年に私とpyongchangとシゲちゃんの3人で当時の新曲「願い」をライブ初披露した時の映像です。この当時の映像はほとんど残っていないので貴重。場所はpyongchangがマスターを務めていたお店plan-bです。懐かしい!


Guzzle Pittお江戸へいく

この頃にはすでにFish barの軽音楽部という枠を飛び越えて福岡市内のいろんな場所でライブ活動をするようになっていました。そんな活動を通じてその後長く音楽仲間となる響子やとんちピクルス松浦氏と知り合います。
当時渡辺通にあって自分たち音楽仲間の溜まり場になっていたジャポニカという居酒屋バーで「ポニカスキップ」というイベントをシリーズ的にやったり、「ピーチパレード」「ぼんやり祭り」というLGBT当事者とノンケさんがごちゃまぜの平和なイベントを天神界隈で数多く一緒にやりました。この空気感が今のブギに引き継がれてる気がします。
ゲイだとかビアンだとかセクシャリティー関係なくフラットに接してくれる友人やお客さんに恵まれてるのは本当にありがたいです。

その後シリーズ化したポニカスキップの第一回ポスター
福岡の鬼才オオクボーTと出会ったピーチパレード
タケダ2000GTや宅嶋淳さんと知り合うきっかけとなったぼんやり祭り

ちょっと脱線しましたが、この時期にそうしたライブイベントで対バンしてた音楽仲間の大悟ちゃんが東京へ引っ越すことになりました。そしてその彼が新宿に新しくできるF.N.Vというライブハウスのスタッフになり、勢い東京遠征ライブの計画が浮上してきます。

東京発進出ライブ。当時のFNVの集客レコードを作ったみたいで期待外れじゃなかったかちょっと心配。

前述の「ポニカスキップ」というイベントをそのまま東京へというコンセプトで「ポニカスキップお江戸へ行く」というイベントを開催することになります。そしてこの時にGuzzle Pittの転機となる大きな出会いが待っていました。

つづく


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