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こころの作り方,ずんだ餡パン,キャラウェイのライ麦パン 魔女暮らし日記 7.31.2021

自然信仰の魔女にとって、季節をお祝いすることはとても楽しい。
畑や庭で採れたハーブや野菜を使ったパンと料理で、自然に存在する目に見えないものやサイクルを確認して、心に留めて生きる。

畑や庭にも、最初の収穫物を置いておく。
それは小さな住人(虫たち)が食べ、やがて土に還り、大地の女神の腹の中でまたサイクルを生む。

勘違いされることがものすごく多いのだが、そんな自然のサイクルが好きで、尊いと思ってやっていることなのだ。
神を盲信するというよりも、自分が自然のサイクルの中の一部だと考えて生きた方がらくだったから、ならば旬のものを食べられることや、季節の行事をお祝いしたいということを考える。
これはやらなければならないという義務感でも、やらなければ神の救済が得られないという妄想でもない。
季節の節目に、ただ自分がそこにいて、目に見えないものの存在を感じる、享受する時間を過ごすだけ。

わたしは魔女をそういうものだと思っている。
友人の魔女たちも、細部の考え方の違いはあっても、根本的には自然のサイクルをだいじにする。

最近はコロナ疲れのせいか、大勢でひとりを吊し上げたり、大勢の利益になるなら他人の努力は無駄になるべきだとデモを行なったり、みんなが苛々して合理的かつ倫理的な判断ができないように思う。
社会性を備えて現実的に生きることができる人は素晴らしいが、わたしはそれがすべてではないと思っている。

仕事で役に立つ勉強や、体を維持する栄養素はもちろんだいじだが、精神やマインド(誤解されるのであまり言いたくないけど、霊や魂なども含めて)、もっと文化的な栄養があってもいいんじゃないの。
劇場や美術館や博物館もそうだし、夏祭りやお盆などの行事も、文化的なものは心を育む栄養だと思う。
その機会がコロナで激減しているから、怒りに狂った日本人が怖すぎる件。(因果関係は不明だけど、これも理由のひとつな気がする)

でも魔女はひとりででも季節の行事ができるので、わたしの心は不安定にならないかも。


「孤独は嫌いじゃない。むしろ好き。孤独だと感じたことがない。
雨の日は外でリストが聞こえるし、台風の日はベートーヴェンになる。
夏の日は虫の混成大合唱で、早朝には野鳥の劇団。
植物とも毎日会話をする」
と楽しげに話したら、「あなたは強い人なのね」と言われた。

「弱い人ほど群がるから、ひとりがきらい」なんですって。
わたしは病気でひとりでいることが多かったから、それが普通すぎて寂しいと感じることはなかったが、なるほどそういうもんかと思った。

もちろんわたしにとって、生きた人間がどうでも良いというわけではない。
ベクトルが同じなら関わればいいし、違うなら関わらなければいいと思っている。
人間社会ではなぜ無理してベクトルが違うのに付き合う人が多いのだろう?と疑問ではあるが、本人たちがそれでいいならいいんだろうと、それはその人たちの自由の権利があるから侵害しない。

もしわたしが誰かに嫌われたとしても、その人はベクトルが合わないと判断したのだろうと思うので、特にショックは感じない。
べつに嫌われてようがそれは相手の主観だからわたしは関係なく、たとえ嫌われていてもわたしが関わりたかったら関わる、そんな感じ。

だいたい顔色で嫌われてることがわかるけど、特に気にしない。
「わたしあなたのこと嫌い!」と面と向かって言われたこともあったが、「わかった。でもわたしは嫌いじゃないから」と言って話しかけたりしてたな。
これを子供の頃からやってたので、空気読めない子認定された。
でも利用してやろうとか、利己的な目的で近づいてるわけじゃない純粋な気持ちが伝わったのか、最終的には仲良くなったっけな。

なにが言いたいかというと、好き嫌い(興味あるなし)がはっきりしていて、「自分のすべきことをやろう」と思うので、その際の他人の感情は関係ないと考えている。
好きでいてくれてもいいし、嫌いになってもいい。
仲良しだからこうする、敵だからこうする、ということはない。
なんに対しても、目には目を歯には歯をの精神で、感謝には感謝を返すし、悪意にはスルーで対応しているつもり。

ただ端から見ていて、もっとシンプルに生きてもいいんじゃないかって思ってしまう。
わたしは極論かもしれないけど、日本人の人付き合いは面倒が多そう。
もしその動機が孤独からきているのなら、自然に生きることを教えてくれるサバトはとても素敵。魔女の思想は悩みがなくなる。

ま、つまるところ、魔女いいよ!と言っている(長い)w
そんな前置きから強引に、パン焼いてた。
8月1日(明日)の夜に、ルーナサ(Lughnasadh)というサバトがある。その準備。
ルーナサは第一収穫祭。夏の収穫祭なので、地区によっては夏祭りを祝う行事になっていたりする。
うちでも畑で採れたものを、畑と祭壇にお供えする。

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昨日の夜に、冷凍していた去年の枝豆を茹でて、潰してずんだを作る。
今年はトウモロコシが早く終わってしまったので、お盆過ぎに収穫を迎える枝豆メインでお供えすることに。
ずんだをつく作業は、めちゃくちゃダイエットになる。二の腕~!

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砂糖と醤油と塩で、薄めに味付けしたずんだ。
味見がとまらない〜っ。これだけでも美味しすぎる。
これを贅沢にあんぱんの要領でつめて…

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ずんだパンに!ぷっくり~!
ふわっふわで、ずっしりな、畑の味がする。
これはすぐになくなる、夏の定番メニュー。
今年の枝豆が採れたら、あと何回か作るかもしれない。

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ぎっしりつまったずんだ100%。
この枝豆は自分たちで無農薬栽培したもの。
自分ちで育てて、収穫して、それを調理するのは時間がかかる作業だが、暇な時間に実にならないこと(文句とか愚痴とか想像上の不安とか)を考えて過ごすよりもよっぽど有意義な時間だと思うのよ。
ある意味、便利な社会になって時間がありすぎるんだろうね。

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こちらはキャラウェイのライ麦パン。
ほんとうはライ麦入りの生地で人型に成型しようと思ったが、やっぱり無理だった。やわらかすぎ〜

キャラウェイシードを結構入れたが、この独特の風味が癖になる。
美味しい。ポテトサラダを挟んでお昼のサンドイッチにした。

キャラウェイ…
アダムの最初の妻・闇落ちリリスの邪悪な煩悩から身を守るといわれている。現代だと特に人間関係における魔防に効果的。
嘘つき、悪口、敵意、攻撃性のある人からの行為など。それがたとえ無自覚であってもその人から身を守り、遠ざける。
また新たな友人を呼び込むとも言われる。

料理では、パンやケーキなどによく使われる。
緊急の場合は噛んでもいい。
持ち歩いてお守りにする場合もある。

さて、肝心の人型パンがないとルーナサにならないので、もう一種作ることに。
今度は成型しやすい生地にしないと。いつものパンの生地にしてみた。

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いいかんじー!
目にはチョコチップ、心臓にクランベリーを差し込んでみた。(焼く前はベイマックス感があった)
この人型は、太陽に見立てた男性神を模しているが、毎年女神っぽくなってしまう。
下半身?足?が太いからかな?まあいいか。

こちらも安定のいつもの味で、ふわふわで美味しくできあがった。
明日のルーナサでお供え。うーん、楽しみだなあ。ワクワク!

なんだか話はうまくまとまってないけれど、なんというか、人のことをあれこれ気にしたり取り繕ったりするよりも、自分がなすべきことをする方が、有意義な時間だよね…と言いたかった。
時間は有限だから、何に時間を使うのか、どんな人と関わるのか、自分がどんな人間でいるのかは、ぜんぶ自分次第。

今日も善い一日を。



モーツァルトの魔笛から「Der Hölle Rache kocht in meinem Herzen(復讐の炎は地獄のように我が心に燃え)」
第14曲にて、夜の女王(ソプラノ)が歌うアリアは、画面越しでも迫力あるから好き。
こういうのを見に行ったり、知ることって「心の栄養」になると思うんだ。一度聞いて、ソプラノ、ビビる!

シェイクスピアのハムレットリア王、テンペストも好き。
アバタローさんがわかりやすくあらすじ話してくれていた!


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