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聞こえる。

 「お父さん」
 という家内の声が聞こえる。
 声をかけてくれたことで、聞こえる自分が「いる」ようになる。
 
 最後に呼ばれたのはいつだったろう。
 それからどのぐらい時間がたったのか、たっていないのか、まったくわからない。
 ずいぶん久しぶりだなとか、今回はまた立て続けにという実感もない。
 でもこうして「お父さん」と呼ばれて、ふと自分が「いる」。
 こうして声を聞いている。

 自分はもうどこにもいない。カラダなんて、もちろんない。だから、意識や思いなんてものもない。
 おそらく何も「ない」。

 いま墓石を開けてももちろん僕の姿はない。家内の声を聞いている自分はどこかに存在しているわけではない。おそらく、どこにもいない。

 でも、家内の声はたしかに届いている。声を聞いている自分が「いる」。

 「お父さん、○○ちゃんが載りましたよ」

 そうか…、と頬が緩むのが自分でもわかった。もちろん頬などないが、そんな感触がある。

 「○○新聞ですよ。お父さん、よく言っていたでしょう。ほら、これ」
 かさかさという乾いた音に続いて、ピシピシっと紙を折りたたむ音がする。

 子供たちがまだ小学生だったころ、僕はよくリビングで新聞の紙面を子供たちに見せながら言った。
 「新聞にはさ、こういうふうに顔写真をどーんと載せたインタビューの記事がよく載っている。書いてくださいと頼まれて、本人が書いていることも多いかな」
 有名人になったりえらくなったりすると、自分の思い出や昔話をこんなふうに載せてもらえる。「だからあんたたちも大きくなってこういうところに顔が載るようになるかもしれないなー」

 長男は「えー、むりー!」と楽しそうに笑い、次男は紙面にアップで写っている背筋の伸びた白髪交じりの女性の落ち着いた雰囲気の笑顔をしげしげと眺め入っていた。

 年に何度かそんなことがあって、やがて長男が中学生になったころ、夕食後に長男がリビングで読んでいた新聞の片隅に同じような記事が載っているのを見つけた僕が、
 「載ったときは、お父さんのお墓の前で、『お父さん、載ったよ』と報告するんだぞ」と言うと、長男は新聞を横にずらしてちらとこちらを見ると、新聞をもどして無表情な顔を隠した。
 家内がためいきのような小さな笑みをもらす。
 次男はゲームに夢中になっていた。
 小心者の僕は、 
「なんていうかさ、高校のときの古文の教師がさ、古文は声に出して読め、仏壇の前で先祖に聞かせるつもりで音読してみることだといっていたんだよ。お父さんも、お墓に入ってからそういう嬉しい知らせが聞こえてくると、きっといいもんなんだろうなと思ってさ」
 などと言って、その場をますます白けさせた。

 子供たちばかりではなく、家内にも同じような話を向けたことがあった。
 子供たちが学校から帰ってくる前の時間、やはりリビングで二人で夕食を終えたあと、家内がテーブルに置いた湯気の立つ湯飲み茶碗の向こうに置かれた新聞が目にとまり、手にとって紙面に鎮座した著名な研究者の顔写真に目をやりながら、 「僕の墓に向かって、報告してくれないかなー」
と独り言のようにつぶやいた。

 あのとき「そんなこと、あるわけないじゃない」とケラケラと笑っていた家内が、いまはすっかり落ち着いた声で続ける。

 「お父さん、○○ちゃんがね、お父さんが言ったとおりに話しましたよ」

 家内が新聞の記事を読んでくれる声が聞こえる。

——父は冗談が好きで、私たち兄弟がまだ小さいころに、よく笑いながら言っていた。いいか、将来大きくなって有名人になると、新聞とか週刊誌からご自身の小さいときの思い出を書いてくださいと言われる。そのときは、お父さんのことを書くんだぞ。うちのお父さんは、大きくなったら新聞にコラムを書くような人物になれとしょっちゅう言っていたと。そしてお父さんのお墓の前で、お父さん、書いたよと報告するんだ。お父さんのことを書いたとお墓に報告しろと父は言っていたということもちゃんと書くんだぞ。
 父は冗談だという体で言っていたが、その割には一年にいっぺんぐらいはそんなことを繰り返して言っていて、つまりけっこう頻繁に私たち兄弟にクギをさしていた。
 私は中学生ぐらいになると、だんだん父のそういう冗談がわずらわしく感じられてきて、無視に近い冷たい素振りをしたこともあった……。

 「これ……、こうして読んでみると、ややこしい話ね」
と家内が小さく笑った。整理記者はカギ括弧をどうつけるか頭を悩ませたことだろう。紙面を見てみたいものだ。

 さすがにこの話ばかりに終始するわけにはいかなかったのか、そのあとは自身が研究者への道を歩むきっかけとなった原体験に遭遇したのがちょうどその頃だったなどという話を続けている。

 墓前での読み聞かせがひとしきり終わったころ、記事になった長男本人のやはり落ち着いた声が聞こえてきた。

 「あのころは、『死んじゃったら何も聞こえないよ!』なんて言い返したな。そう。死んじゃったらもう何もない。そうとしか思わなかった……」

 「え、いまは違うの? あら、あなたもそんなトシになったんだ……」と家内。「四十、五十になると、若いころはそんなことがあるものかと思えていたことに妙に実感が持てるようになるもんだと、お父さん、よく言っていた」

 「僕にはね」という次男の声が聞こえる。「二十代の後半のころ、毎年僕の誕生日になると言っていた。それまで定食屋さんに入ると決まって生姜焼き定食だったのに、三十近くになると刺身定食がなんだか気になるようになる。あんたはまだそんなことはないか、と」
 「結婚したころ、母さんにもよく言っていたよ。人間の感情だとか情緒だとか嗜好なんてものはすべて脳内物質の有り様で説明がつくんだと。トシを重ねて脳内物質のバランスが変わってくると、肉より魚に手が伸びるようになるって」

 「人間なんて所詮は物質なんだとね…」と長男。

 「でもそれって、自分の墓に向かって報告しろというのと矛盾しているよね。死んじゃったら、もう物質も何も残らない」

 次男よ、もっともだ…。

 「願いというものかしらね」

 しばらくして家内がとつぶやいた。「母さんがお父さんに読んで聞かせているあいだ、あなたたちは何を考えていた? 父さんに届いているかな。届いているといいな、届きますように…と願っていたんじゃないのかな」

 空を仰ぎながらつぶやいたのか、「僕もトシをとったのかな」という長男の声が小さくなる。「お父さん自身も『お墓の中で聞こえるといいな』と願ったのかな…」

 いや、父はさしたる思いも願いも確信もなく言っていたのだけれど……。

 「日がのびてきたね」という家内の声がして、自分が静かに遠のきはじめる。

 自分はお墓の中で眠っているわけではない。
 カラダもなくなってしまったし、意識や気持ちのようなものもない。

 そう、「ない」のだ。存在しない。どこにもいない。

 誰かが自分に気持ちを向けると、電球がポッと静かにともるように、自分が「いる」。

 そして、その誰かの気持ちが静かに向きを変えると、自分は静かに「いなくな

 

 


 


 

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