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「教育」から「学問」への移行に立ちはだかる岩盤のはなし

コロナ禍によって、働き方だけでなく、現行の教育システムの綻びも露わになったと思います。多様な個性を持つ子供に対して、一括一律の教育システムはもう次のシステムへのバトンタッチが必要なのだろうと思います。

そして、「教え育む」教育から「学び問う」学問への回帰が大切な方向性なのではないかと思っています。

2021年10月末から「変化を忌避する「教育岩盤」の実態を追う」というテーマで日経新聞で連載がありました。2021年10月25日から10月30日にかけての5回シリーズでした。

教育岩盤
「岩盤」のように変化を忌避する日本の学校教育。新しい試みに背を向けたままでは、国際化やデジタル技術の進展、新型コロナウイルス禍という時代の転換期をけん引する人材は育たない。「教育岩盤」の実態と打破をめざす動きを追った。

子を持つ親としては教育は関心のある分野だと思います。また、こうして大人になってみると、教育のありがたさもまた身に染みて感じることの一つです。

教育改革という言葉が長らく語られてきているものの、改革が進んでいる実感はあまりありません。教育方法の多様性はコロナ禍で進んだようには感じていますが、まだ道半ばです。

今回の「教育岩盤」記事のリンクと冒頭部分の記事を引用し、私のメモを書きます。

第1回:教育の多様性求め旧弊に異議 筆記入試なしの先端大学も

入試で筆記試験は行わず専門性・人間性・国際性を重視する1時間半の面接のみ。1学年300人で海外留学が必修、半数は大学院へ進学――。アスキー創業者で元マイクロソフト副社長の西和彦氏(須磨学園長)はエンジニア育成に特化した日本先端工科大学(仮称、神奈川県小田原市)の2024年開校を目指して奔走する。

日本の入試制度についての異議が唱えられています。

「東大工学部は日本史や漢文ができないと入れない。でも本当にエンジニアに必要な資質なのか?」
東大入試は文系・理系の科目を満遍なく得点する必要がある。エンジニアの才能があっても文系科目が苦手だと積み残される。
「そんな若者にチャンスを与えたい」

旧来の制度を変えて、より良い人材育成のための制度を立ち上げようとする取り組みは現行制度で取りこぼしてしまう人材をしっかりと拾い上げるものとして大切だと思う。ただ、長い人生の中で一つのことに集中したい人もいれば、色々なことをやりたい人もいるので、入学後の多様な教育設計もセットであると個人的には思います。

第2回:教育現場は黒板・紙「信仰」 デジタル社会へ追いつくか

自宅でタブレット端末に表示された問題を解き、解答を送る――。東京都品川区にある私立青稜中学校の今年2月の入試は、こんな光景になるはずだった。試験会場での新型コロナウイルス感染を懸念する受験生向けのオンライン入試だ。

デジタル化への変化は途に就いたばかりの印象ではあります。ただ、以下のように「アップデートされる気配はない」とは言い過ぎだと感じています。

教育界に漂う新しい試みへの拒否感と平等主義。IT(情報技術)で社会が激変しても「黒板とチョーク」「紙とペン」を信奉する学校文化がアップデートされる気配はない。

第3回:枠にはめる教育固執 同調圧力絶ち自由な発想を

「黒い下着は不可」「(頭髪を刈り上げる)ツーブロックは禁止」。栃木県立足利清風高校(足利市)の教室で、風紀委員を務める生徒約15人が厳しすぎると思う校則を次々に上げた。
議論を呼びかけた小滝智美教諭も「下着の色まで指導するのはおかしい」といい、校則変更を支援するNPO法人カタリバの協力を得たうえで今年度中の改定を目指す。

大学では自分が好きなことを学んだ感覚があるが、小中高はこの記事の通り枠にはめる教育を受けてきたなというのが私の感覚です。窮屈に感じることも多々あったので、この流れは歓迎すべきものだと思います。

現場の先生は、教えなくてはいけないことが多くてそれどころじゃないのかもしれませんが、子供にも意見や疑問もある訳で、それにしっかりと答えていく姿勢がこれからの世界で生きていく子供たちには本当に大切だと思っています。

第4回:教育参入阻む「仲間内」の壁 新陳代謝へ脱・前例主義

永守学園(京都市、理事長・永守重信日本電産会長)が運営する京都先端科学大工学部で夏休み前、新入生約100人が3教室に分かれてデザイン基礎の授業を受けていた。使用言語は英語で時折、助手が日本語で解説する。
2018年に就任した永守理事長は19年に法人と大学の名称を現行に改め、私財100億円以上を投じ改革を進める。20年に工学部を新設し、22年にビジネススクールを開設。「英語が話せ、社会ですぐに活躍できる人材」を育てる。

学校設立に立ちはだかる壁の話がこの記事では全部で3校分が取り上げられています。どの学校も個人的には知っていて、いわゆる伝統的な学校とはことなり、新しい考えのもとで新しい試みがなされている学校です。

一方で、許認可する文科省は教育がしっかりとされるのか、組織はどうなっているのかなどを見る役割があるため色々と質問するのも分かる。ただ、新しい学校に対して、これまでの枠組みをはめるのはやはり無理があるとは思うので、海外の色々な取り組みを研究するなどの歩み寄りも大切だと思いました。

新陳代謝なしに、時代に応える教育は生まれない。

最後にこんな言葉で終わっていて、規制側も教育業界もお互い変わり続ける存在であって欲しいなと思わずにはいられませんでした。

第5回:人づくりの目標はどこに 教育改革、骨太な未来図描け

中央省庁の人材供給源といえる東京大学で、霞が関を目指す若者が減っている。キャリア官僚となる国家公務員総合職の採用試験(全区分)の2020年度合格者で東大出身は349人と旧Ⅰ種試験時代の1999年以来最少だった。
官界の重鎮を輩出してきた法学部の学生の就職先も変わった。今では優秀な学生が長時間労働の霞が関より、20代から好待遇で政策立案にも携われる外資系のコンサルティング会社などを選ぶことは珍しくない。

この章は耳に痛い部分だなと思っています。
端的に以下の文で表現されています。

東大出身で元官僚の坂東真理子・昭和女子大総長は言う。「戦前と違い、今の受験エリートは勉強するのは自分のためと教えられて育ってきた。だからノブレス・オブリージュ(高貴さに伴う義務)や社会に恩返しする感覚がない」

「世のため人のため」って最近聞かなくなったなと思っています。私個人は理系出身で、自分が好きなことをしたくて大学に進んで、日米のアカデミアで研究者をして、製薬企業で研究そしてデータコンサルの道に進み、やっと今になって「世のため人のため」に仕事をしていると言えるようになりました。

今、大河ドラマで渋沢栄一のドラマをやっていますが、明治期の方々はこうした公への奉仕という気持ちが強かったように感じます。少し毛色が違うかもしれませんが、学生が就職企業を選ぶときにSDGsへの取組みを意識するというのも、公での貢献という意識が芽生えてきているのかもしれません。

誰かがどこかで書いていたのですが、これまでの教育「教え育む」という上から与えるという傲慢な態度から、学問「学び問う」という自発的でフラットな態度への転換が必要なのではないかとの考えは、これからの「教育」にとって大切な考え方だなと思っています。


たまに連載する教育関連記事はとても勉強になるんですよね。私自身が当たり前と思っていることに疑問が投げ掛けられるというのは本当にありがたいです。

私自身も一人の学ぶものとして、よくよく考えていかなくてはいけないなとまた思いを新たにしました。

#教育岩盤 #教育 #制度 #学問 #変革 #改革

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