わからないということに慣れる練習が勉強
勉強が将来役に立つのか?と私も昔々に思ったものです。
世の中は分からないことだらけだからこそ、基礎を勉強しておくことはとても大切だと、46歳の今は痛いほど良く分かります。
ただ、私が小学生や中学生の際に勉強の大切さを本当に理解できていたかどうかは甚だ疑問です。。。。
先生がが言うからという意味では分かっていたとは思います。
私の場合でいうと、親から勉強しろと言われた記憶がほとんどありません。それが功を奏したのか、私は勉強することがそんなに嫌いではありませんでした。数学は大嫌いだったですが。。。。
国語は、本をかなり読んでいたのでテストで困ることはありませんでしたし、数学は解き方というテクニックだけは身に着けたのでテストで困りませんでしたが、今となってはその数学の解法は完全に忘却の彼方です。。。
私が好きな教科は、生物と倫理と政経と英語でした。これは教科書を読むのも面白く、分からないことは親に聞いたり先生に聞いたり、本を読んだりして授業と独学をしていたなぁと思います。
特に生物は、ある法則があっても例外が思いのほかある、というところに私にとっての学びがあったなぁと今は思えます。
理解したと思ってもそれは全体ではなく、分からない部分が多くあることを学び、自分が分かっているところと分かっていないところという線引きを自然と考えるようになったきっかけが生物という教科でした。
倫理は先人の考えに触れるのが非常に面白く、政経はこの世界の成り立ちを概観でき視野が広がったように感じ、英語は生まれて初めてしっかりと文法というのを学べて言語への理解が深まりました。
知らないことが出てくると、調べる。それが分かると、嬉しい
この繰り返しは今も続いています。
自分の周りの世界というのは、私たち一人ひとりが作り上げていると私は考えています。自分がこれまでに学び、経験してきたことが土台となって、広い世界も構築可能だと思うと、しっかりと勉強をしていたいなぁと思っています。
この記事を読んでいただいたみなさまへ 本当にありがとうございます! 感想とか教えて貰えると嬉しいです(^-^)