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#1 エジプト珍道中 靴を記憶する男

外からやってくる人に目を光らせる男がいる。カウンターに頬杖をついて気を抜いているようだが、眉間には深い皺が刻まれ、眼光は鋭い。

エジプトの首都カイロ、イスラーム地区にあるモスクのひとつ、Al-Rifa'i Mosuqueだ。モスクはイスラム教の礼拝所のことで、いくつかのルールを守れば、観光客も見学することができる。そのルールのひとつは靴を脱ぐというもので、脱いだ靴を手に持ってそのまま中に入ることもできるのだが、エジプトではただでは転ばない。

エジプト人に根ざしたものの考え方に「バクシーシ」というものがある。「喜捨」とも書かれ、富める者が貧しい者に施しを与える習慣のことだ。チップは、ホテルで荷物を運んでもらったときや、レストランで料理を運んでもらったときなどに、サービスの対価として、感謝の気持ちに応じてお金を渡す。一方で、バクシーシは「喜んで捨てる」という字が意味する通り、何もしなくてももらって当たり前、あげて当たり前、お供えや寄付に近い考え方のようだ。

旅の途中で実際に目にしたものを思い起こしてみると、何もせずに要求されたことはなかったが、求めてもいないことを強引にやってバクシーシをねだられたことは何度かあった。遺跡で警備員のようなおじさんが、立入禁止のパーテーションを外して手招きをして、中に入れてやるよ、と言わんばかりの微笑みを投げかけてきたのだが、うっかり中に入ると去りぎわに、入れてあげたんだからバクシーシちょうだいね、とおねだりしてきた。

また空港や駅でぼんやり歩いていると、知らない男がいきなり、転がしていたコロコロの荷物をひったくろうとしてくる。どうやら、勝手に荷物を運んでバクシーシをおねだりしようという魂胆らしい。というわけで、冒頭のモスクの入り口の男も、靴を預かってあげるからバクシーシちょうだいね、というやり口だったのだ。

私も他の人と同じように靴を預けて中をゆっくり見学し、さあ帰ろうというときに、ちょっと待てよとなった。私が靴を預けるときに、男とやりとりした時間は30秒にも満たない。観光客はその後も次々とやってきて、靴箱には常時100を超える、さまざまな国の、さまざまな人たちの靴が収められている。はたしてこの男はそんな一瞬で、誰の靴をどこにしまったかを覚えているのだろうか。

そんなことを思いながら近づいてゆくと、男は私に気づいてちらっと視線を投げ、すぐさま左下の棚に手をのばし、オレンジ色のスニーカーをカウンターに揃えた。間違いない。砂埃に汚れた私の靴だ。

得意そうな視線をスニーカーに落とした男の乾いた手のひらに、私はエジプトポンドの硬貨を一枚のせた。シュクラン。アフワン。

お隣、Mosque-Madrasa of Sultan Hassanのモスクにいる靴預かりおじさん

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