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知的財産、そは己を喰らう

ケヴィン・カーソン氏の「Intellectual Property Eats Itself」の私訳文です。
意訳も有り、正確性の一切に責任は持てません。原文はこちら
原文の著作権は放棄されています。
そして、本記事の一切について、カーソン氏に倣って著作権を放棄します。
最下部にライセンス表記があります、ご自由に盗窃してください。

奴隷制の時代に、その制度を支持する者たちは、奴隷を普通の財産として扱うふりをしていました。しかし、白人が黒人奴隷を所有する自由を単に望んでいるわけではなく、あるいはこの「財産」を自由に処分することを望むだけに留まらず、彼らにとっての真の目的は、制度としての奴隷制が優勢になり、広まることであることを行動で明らかにしたのです。これは、個々の奴隷所有者が自分の奴隷を自由に解放することによって自分の「財産」を処分する権利すら制限することを意味していました。それは、奴隷制を中心とする社会秩序を揺るがすからです。

同様に、著作権ナチスは、企業経済秩序の制度的基礎として「知的財産」を擁護することが真の目的であると明言しています。たとえそれが、自国の法律によって、制度としての知的財産に損害を与える方法で個人が自らの「知的財産」を処分する権利を損ねることを意味するとしてもだ。

ASCAP(The American Society of Composers, Artists and Publishers・米国作曲家作詞家出版者協会)は最近、クリエイティブ・コモンズと電子フロンティア財団に対するキャンペーンの告知を目的とした資金調達のための手紙を送付しました。

『クリエイティブ・コモンズ、パブリック・ナレッジ、電子フロンティア財団、資金力のあるテクノロジー企業を含む多数の勢力が、「コピーレフト」を推進しており、これにより私たちの「著作権」が脅かされています。
彼らは消費者の権利を擁護すると主張していますが、真実はこれらのグループが私たちの音楽の使用料を支払いたくないということに尽きます。
彼らの使命は、「私たちの音楽は無料であるべきだ」という言葉を広めることです。』

うーん、クリエイティブ・コモンズは、著作権者が自らの作品に対するライセンスを選択するための一連のオプションを提供します。クリエイティブ・コモンズの下でライセンスを与えることができるのは、著作権を保有する自分の作品のみです。どうやら、ASCAPは、独占的なビジネスモデルの優位性を脅かされる場合、著作権者が自分の「財産」を自由にライセンスする権利すらも認めていないようです。

この取り組みは、国際知的財産連盟が複数の国を特別301条監視リストに加えるよう米国通商代表部に求めたキャンペーンに続いています。これらの国は、独占的なソフトウェアを購入する代わりにLinuxなどのオープンソースソフトウェアシステムを採用しているためです。すなわちこのような行為を「知的財産」を損なうものであると考えているのです。つまり、著作権ナチス自身の法律によれば、オープンソース・ソフトウェアは、著作権法の条件の下でライセンスされた正当な私有財産の一形態であるにもかかわらず、政府は、プロプライエタリなビジネスモデルを損なうことを避けるために、より高価なプロプライエタリなソフトウェアを購入する義務があるというのだ。(咳払い)デービス・ベーコン法なんて、まるで関係ないですね、ええ(また咳払い)。
(デービス・ベーコン法:連邦政府又は連邦の補助を受けた工事において、その地域における一般的な賃金水準を下回ってはならないとする米国法)

著作権ナチスは、その美辞麗句にもかかわらず、単に「知的財産」を、所有者が自分の好きなように処分したり、自分の好きなように所有や放棄したりできる通常の財産の一形態と考えているわけではありません。それは150年前の奴隷権力(アメリカ南部の奴隷所有者階級が全国的に政治力を及ぼしていたことを表す言葉)が、奴隷制をただ数ある財産形態の中のひとつの標準形として見做していたわけではないのと同じです。

著作権ナチスは、奴隷制主義者と同様に、著作権を社会秩序の制度的基礎と考えており、著作権者個人の「財産」に対する自由な処分権を制限するという犠牲を払ってでも守るべきものと考えています。奴隷制主義者は、奴隷所有者が自分の奴隷を自発的に追放する権利に反対していました。それは、奴隷が通常の財産形態であれば当然自由に差配できるはずにもかかわらず、「奴隷が可処分である」ということが社会秩序の制度的基盤としての奴隷制度を損なうものと考えたからこそです。また、著作権ナチスは、オープンソースライセンスの条件下での著作権の自由なライセンス付与に反対しています。なぜなら、それが独占的文化を基盤とする企業経済システムを揺るがすからです。

EFFへの公然たる挑戦に関して、私はただ言いたい、‘かかってこい’と。今のところ、主流メディアは、ジョー・バイデンの皮肉を交えつつ、MPAA(Motion Picture Association of America・米国映画協会)やRIAA(Recording Industry Association of America・アメリカレコード協会)などの団体の見解だけを報じており、議論が存在することさえ示されていません。差し詰めこう思っているのだろう『「反対側」とは、ただ無料のものを手に入れたいと思っている、ただのタダ飯喰らいの青二才等だ』と。

もしASCAPがこれを戦いとして公表するならば、報道機関は(初めて)戦いがあることを、少なくともそれが何であるかを示す段落をつけて報道する必要に迫られるでしょう。EFFのような、著作権の最大主義的立場に対して、原則に基づいて異議を唱える組織の存在を報道すること自体が、多くの主流ニュース機関にとっては初めてのことです。

これは、いずれ私たちが彼らの首を城壁に飾ることになるだろうと、再び示しています。

"知的財産、そは己を喰らう" Translation: 2021, 
Year of original publication: 2010 by Originally written by Kevin Carson 
and translated by Kuroyuki, is marked with CC0 1.0. 
To view a copy of this license, 
visit http://creativecommons.org/publicdomain/zero/1.0

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