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大辻清司に関するメモ(「前衛」写真の精神:なんでもないものの変容)

こんばんは、大井です。

今日は、渋谷区松濤美術館の展示、

「前衛」写真の精神:なんでもないものの変容

を観て参りました。


「前衛写真」
モンタージュ、シュルレアリスムくらいは聞いたことあるけど、その細かいことやら周辺はよくわからない。

わからないけど、
わからないなりに、観てきました。

そして、短期記憶が弱いので、どうにか得た印象を定着液で断片だけでも留めようとメモを残さなければ、と思いました。
最近、忘れっぽいんだよなぁ、30歳…。


この展示には副題があります。

瀧口修造・阿部展也・大辻清司・牛腸茂雄

4人の写真家の名前ですね。

戦前からの時代の流れで、この4人の写真と個性を追っていく流れです。
土門拳や木村伊兵衛の名前は人物交流図で出てきますが、作品としては一切出てきません。

あくまで、この4人の「前衛」に的を絞った展示でした。

その中で特に気になったのが、大辻清司。
手元の「日本写真史」のチャートによれば、「主観主義写真」に分類されるそうです。

大辻は、阿部展也とタッグを組みながら雑誌上で「前衛的」な写真を展開していきます。

ヌードの女性の頭に、メッセージを記した生地を被せて、それを撮る。
その女性をロープで捕縛したり、とにかく「演出」によって新しい表現にトライした。

美術家の肖像(1950)


その他、「物体A」といった、鉄板から切り出したような不思議な立体物の写真を撮ったり。

物体A(1949)


こうして、「これまでにない」表現を次々繰り広げた大辻は、ある時雑誌上でふと呟く。

ーーー「このトロッコから降りたい」

プロ写真家として、雑誌のために写真を撮り続けることに疲れた。
元来、タバコ屋のようにのんびり暮らしたかった。
タバコ屋になるべきだった。
しかし、自分には写真撮る以外のことが出来ない。
だから写真を撮るしかない。
でもトロッコには乗りたくない、降りたい。

本当の写真ってなんだろう、
それは「記録・報道」なんじゃないか。
そして、そこには、その記録に目を向けたカメラマンの主観がどうしたって入る。
詰まるところ、自分を撮影している、ということなのか?ーーー

最後の締めがあやふやで歯切れが悪かったが、大方こんな内容だった。

以降、大辻は「日常の記録」のような写真を撮るようになる。
それも、尋常では気付かないような「生活の断片」に目を向けた。

そのタイトルが秀逸である

・ちり紙に包んであったウイロウの端
・破りすてたあとで拾った大事なデータのある封筒
・無造作にピン止めして置いただけなのに、写真で区切ると意外にいい効果になってる写真
・うまく作ってやろうと思うので、八年たっても手をつけられないプラモデルの写真。

破りすてたあとで拾った大事なデータのある封筒(1974)


うまく作ってやろうと思うので、八年たっても手をつけられないプラモデルの写真。(1974)


撮影技術はさておき、撮っているものとタイトルが現代SNSのそれである。
Twitterに流れてきたら、「はいはいー」って流すと思う。たぶん。

でも、それが当時としては「前衛」だった。
日常の断片の記録が「前衛」となるくらい「前衛」に溢れ過ぎていた。
奇抜なことをやるのがむしろ「平凡」で、「日常」が「奇抜」だったのだ。

「住まいができたら」という作品では、代々木上原の自宅を取り壊すときの写真を撮っている。
それこそ、「記録の写真」である。

大辻の時代から月日は流れ、先述の「日常の断片」がSNSに溢れるようになった。

今の時代、「前衛」とはなんだろう。

そして、「前衛」を行うこと。
その意義って、なんだろう。

なんとなく、答えは浮かんでいるけれど、これはまた別の機会に。

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