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瞬間移動店員くん

おじさんがブちぎれていた。
店内にあるものすべてが怖い安さでおなじみのスーパーの一角のレジ。ピンクのポロシャツに眼鏡の小太りのおじさんが絵に描いたような青筋をたててどなっている。
怒声の先にいるのは、前髪がバンプオブチキンのボーカルのように目を覆い隠している店員の男の子。
僕はその店の五円コピーを利用していて、用紙が切れたので足してくださいと頼もうかなと思ったところだった。
「俺が間違ってたの?あなたが間違ってたの?どっち?」
「申し訳ありません、こちらのミスです」
「そうでしょ?だったら、今すぐ対応してよ」
「申し訳ありません……」
どうやら以前の会計で七十円ほど多く請求してしまったらしい。ピンクのポロシャツおじさんは、店員くんにお前が立て替えてでも今すぐ払ってくれとまくし立てている。店員くんは確認もあるから、待ってほしいし、自分が立て替えることは出来ないと話は平行線をたどっている。話は平行線だが、おじさんの怒りは一言ごとに増してゆく。
「だからなんでそっちのミスで、こっちがまたなきゃいけねーんだ!!責任者呼べ!」
「今日はいないんです」
「責任者いない店ってどんな店なんだ!」
もうおじさんの怒りはおじさん自身にも収集がつかなくなっている。店員くんはしきりに前髪をかきむしりながら「いや、あの、ですから」と繰り返しす。どう考えても限界だ。割って入ろうにもおじさんは自分で噴射をとめられない消火器みたいに怒りが暴れまわっている。本当になんで責任者がいないんだ。声をかけたほうがいいのか躊躇していたその瞬間、レジカウンターに千円札がひらりと舞い降りた。
「ほら、じゃあ千円やるよ」
一瞬の静寂。店員くんがレジから抜き取った千円札をおじさんに向かって投げつけたのだ。
「なんだとお前!!」とおじさんが言うやいなや、
「本当に申し訳ありませんでした」と店員くんは悲壮感ただよう声で頭を下げていた。
一体何が起きたのか。映画をワンチャプター飛ばされたみたいだ。今の今、千円札を洞穴のような目をしてほおった店員くんは、必死に謝っている。獣としての「お前なんかぶっ殺してやる」という怒りと、人間としての「社会性」とのビルのように大きな狭間を店員くんは一瞬で行き来した。瞬間移動だ。
おじさんの怒りは七十円が返ってこないことよりも、千円を投げられたことへ飛び火する。
やっと現れたバイトリーダーと名札に書かれた男はひたすら申し訳ない申し訳ないと謝っている。
店員くんはその後も「俺に関係ねーだろ」「本当申し訳ありません」「千円持って帰ればいいだろ」「すみません」「俺がいつそんなこと言ったんだよ」「土下座します」と感情と社会性の狭間を瞬間移動しつづけた。おじさんは「どういう教育してるんだ」「千円投げて渡されたぞ」「バイトだろうが、プロだろ。自分がやられたらどう思うんだ」と今度はバイトリーダーに怒鳴っている。店員くんはもうバイトリーターに任せればいいのに、しきりに土下座をしますと繰り返している。頑なにそれを拒むおじさん。リゾートに着ていくようなピンクのポロシャツが蛍光灯に映えて痛々しい。
バイトリーダーが対応を約束して一時奥に去ってゆく。おじさんはバイトリーダーが返ってくるまで待っていることになった。
おじさんがレジのそばで待つあいだ店員くんは何事もなかったかのように、並ぶ客の商品をレジに通していく。おじさんはもう店員くんに話しかけないどころか一瞥もしない。さっきまであんなに角を突き合わしていた二人が、今まるで互いが透明人間かのようにそこにいる。
「すいません、コピー用紙が切れちゃって」
やっとのことで、おそるおそる店員くんに話しかけると、「はい少々お待ちください」と丁寧な優しい声で対応してくれた。
バイトリーダーがなんだかの紙を持ってきておじさんと話しをしている。さっきまであんなに怒りを振り乱していたおじさんは納得したのか静かに店を去っていった。なんなんだ。急に我をかえりみたのかもしれない。それとも、店員くんの見幕に恐れをなしたのかもしれない。とにかくおじさんは店を出る時、自動ドアを開ける音以外なんの音も立てなかった。
僕はコピー用紙を補充してもらったので、そのままコピーを続けていた。振り返ると店員の男の子は客のいないレジで、特別なことなんてなにもなかったかのように中空を見つめて立っていた。

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