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水着はないけど、スカボロービーチ  「ホームステイママ②」

セシリーは小さなきみどり色の小鳥を飼っていた。鳴き声が「スイート」と聞こえるのでスイートという名前で呼んで可愛がっていた。関係ないけど向こうの人は本当に子供のことをマイスイートと呼んだりする。

鳥が好きなのか、僕たちホームステイの人たち含め何を養ったりするのが好きだったのかも知れない。オーストラリアにはカラスがいる。日本のカラスよりも少し大きくて鳴き声も少し違う。鳥にも外国語的なものがあるのかもしれない。カラスたちは日本同様あまり好かれておらず、ごみを漁ったりするし、人に攻撃してくることもあった。
オーストラリアについて注意事項を聞いたときにカラスたちのことも結構言われた。奴らは光るものが好きで子供が目をつつかれて失明する事件が起きたこともあったらしい。

怖いなと思ってカラスたちを警戒しながら毎日を過ごしていたがある朝カラスたちの特徴的な声が家の前でした。それも一匹ではなく沢山いるみたいだった。
なんだろうと玄関の前に5羽くらいのカラスが集まって、庭の木にも何羽か止ってこっちを覗き込んでいた。セシリーが餌をやっていたのだ。子供の目をくりぬくカラスにパンを千切りまくっている。僕が驚いてみているとパンをやり終わって手を払いながら帰ってきたセシリーがにこりと笑って、あいつらは危ないから気をつけるのよと言った。なんでそんなものに餌をやるんだろう。彼女の餌やりは日課のようでそれは毎日のように続いた。玄関から戻るときに家に入ってこようとするカラスには蹴りをいれて追い出していたので、やっぱりスイートほど愛しているというわけではないんだなと思った。

彼女には30代の娘と息子が一人づついて娘さんは近くに住んでいるらしくたまに、子供を預けにきていた。セシリーにとって孫あたるその女の子は小学一年生くらいでまっさおな目をしていた。おばあちゃんの家になんだかわけのわからない外国人がいるのには慣れっこのようで、始めましての挨拶をしても特に興味もなさそうに返された。僕は折り紙を作ってプレゼントしたが学校でいつも作ってると、セシリーに箸をあげたときとほぼ同じつまらなそうな顔で受け取られた。日本から何かお土産を持っていく時はみんなちゃんと準備したほうがいい。箸と折り紙は全然センスない贈り物だ。

日本だとアニメといえば2Dの絵が動くアニメだがディズニーとかが最近は3DCGのアニメーションなように、欧米だとリアルっぽい質感のアニメが主流なようで、その子も3Dの車たちが話したり冒険したりするアニメを真剣にみていた。浮世絵と絵画の時代からアジアとヨーロッパには差異があるんだなと思った。相手にされない僕はセシリーと子供について話していた。話すといっても彼女の話すことをなんとなく理解して「アーハン」とか言ってるだけなのだけど、その中で彼女が孫を見つめながら「ビューティフル」と言った。
美しい。僕は少しの違和感を感じながら孫娘ちゃんをみた。広いリビングに、小さな身体で車の玩具にまたがる彼女は差し込む陽光に照らされて透き通るような白い肌、陽の光そのものみたいに輝くやわらかな髪、不思議なほど青い湖のような目。本当に美しい存在だった。神様がいるみたいだった。

日本では子供のことをあまり「美しい」とは言わない。よく言うのは「かわいい」だ。子供はかわいいもの。僕もそう思っていた。でもそう言われると子供は確かに美しいと思った。そのとらえかたの違いは面白いのと同時に多きいなと思った。「かわいい」は愛でるニュアンスもあるが、どこか自分の庇護の下にある自分より小さなものに向けられる言葉のように感じる。「美しい」にはどちらかというと尊敬や畏怖のようなニュアンスがそこにはあるように思う。海外の教育や親子関係についてはそんなにわからないが印象としては親子だろうがフェアに他者として接しているなと思う場面が何度かあった。日本にだってそういう人ももちろんいると思うが、僕にはこの「かわいい」と「うつくしい」という言葉一つに、子供に対する捉え方、接し方の違いがあるような気がした。どっちがいいとか悪いとか言う話ではなく。関係ないけど結局、孫娘ちゃんとは仲良くはなれなかった。

セシリーはオーストラリア人だ。国も文化も僕とは違う。でもどこの国でも同じなんだなと思うことも沢山あった。僕がプール脇の物干しで洗濯物を干していたら、枯葉取りの網(プールに浮いた枯葉を取る)を持った彼女が歩いてきて「マイケルジャクソンって知ってる?」と話しかけてきた。「知ってる」と答えると「彼が死んだ」と言った。驚いて「え!」と日本語で(え。って日本語?)言うと「多分クスリね」と言ってプールに枯葉を取りに帰っていった。クスリかどうかわからないのにそんなこと言うもんじゃないぞと思ったけど、日本のおばちゃんぽくっておかしかった(これも十分偏見)

彼女の作ってくれる料理はどれもとても美味しかった。当たり前だけどお米はあんまりでない。基本はワンプレートで主食にあたるポテトやマカロニやたまにお米と肉やオーストラリアの代表的な料理「マメと野菜と肉を煮込みすぎたやつ」(これはのちのち知り合った日本語が話せるオーストラリア人が教えてくれた料理名)なんかが出てきた。そのなかでも僕が気に入ったのはキッシュだ。あまりにおいしすぎて、普段は自分からあまり話しかけられない僕が勇気を出してどうやってつくるのかレシピを聞いたくらいだった。(くらいって言われてもそんくらい普通に聞けよと今では思うけど。)彼女はバターを沢山使うからあんまり身体によくないよ?とけげんそうな顔をしながらレシピを教えてくれた。本当にバターを沢山使うのにビビッて結局一度も作ったことはないけど、そのレシピは今でも大切に持っている。

まもなく一ヶ月がくるころ、僕は引越しすることに決めた。すごく居心地がよかったけど全然別の場所に暮らしてみたかった。全然知らない人たちともっと出会ってみたかった。パースににはあらゆるところに掲示板があり、そこに行くとボードに入居者募集や、アルバイト募集の紙がベタベタと貼り付けてある。中には行方不明者捜索のものや、車でどこに行くから一緒に行くヤツはいないかといったものまであった。
いきなりネイティブや、日本語の通じない人たちの中にいくのは怖かったので、とりあえず日本人の暮らすシェアハウスを見つけて連絡を取ってみた。オーストラリア人がオーナーの日本人ばかりが暮らす一軒やで今の家よりおパースに近いところであっという間に入居が決まった。
お別れの朝、セシリーは珍しく朝からどこかに出かけるようでめかし込んで僕よりも先に家を出るようだった。
今日で家を出るよ。今までありがとう。というようなことを言った。オーストラリアでの初めての家で、安心できる場所を提供してくれた彼女には本当に感謝していたし、僕はちょっとセンチメンタルになっていた。でも彼女はそんなの慣れっこで以外なほどあっさりとバイバイーユーと笑って手を振った。海外っぽく頬にキスをしてくれてあなたの滞在がよいものであるように祈ってると言って出かけていった。
正直これから本当にやっていけるのか一気に不安になったが出ると決めたんだ。パッケージをして部屋を綺麗に片付けて、あまり話せなかった中国人の男の子と「頑張ってね」「お互いね」と言い合って彼女の家を後にした。もう駅前の原色インコも珍しくなかった。
彼女は今でも元気だろうか。


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