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世界は誰のためにも回っていない

夫(なんと呼ぶのがいいのかいつも分からないが、これから夫にしてみる)は時々わたしをじーっと見つめる。なんでもないときに、なんでもないのに、じーっと見つめて、笑っている。「なに?」というと、「別にー。」と嬉しそうにしている。わたしはそれが結構嬉しい。というのはまだ教えない。

他者によって自分の存在が認識されていることになんとなくホッとするのだと思う。

とんでもなく苦しいときに、誰かは笑っていて、とんでもなく楽しい日に悲しいニュースが流れる。ああそうか、世界は自分のためにあるわけじゃないのだなあ、ということを実感する。世界はわたしを中心には回ってくれない。「そんなこと分かってるけど、今日くらいは優しくしてよ。」と思う日は誰にでもあるのではないかと思う。

わたしの勘は当たっていて、友人はまさに泣きっ面に蜂という状態で、いろんなことが重なっているようだった。大人になれば悩み事がなくなっていくのだと、学生の頃は本気でも思っていた。大人になればなるほど、解決できない悩みが増えていく。解決する手段は、壁を乗り越えることではなくて、割り切ること、のほうが多くなっているように感じてしまう。それをとても悲しいことだと感じる。楽になったように見せかせて、何かを押し殺しているようなそんな感覚。それでも私たちはこの世界の生きづらさと戦い続けなければならない。

満員電車で手に持った少し大きめの荷物を荷台に乗せようとした。私の小さな背丈では腕を伸ばしてもギリギリ届かなかった。まして前面にリュックを持ち、人が流れ込んでくる。腕が攣りそうだ、と思ってると、グッと力がかかった。隣にいたおじさんが助けてくれた。満員電車で笑顔になった。電車の中で出してもいいくらいの、出来るだけ大きい声でお礼を言った。

つくづく思う。人はひとりでは生きられない、と。それはすごく当たり前のことで、当たり前ではないこと。それぞれ生まれた人々が、どこかで出会い、人生を重なり合わせていくことは、ほんの一瞬の重なり合いだとしても奇跡のようなことなのだ。ちゃんと思い出さないと忘れてしまうから、ちゃんと思い出さなければならない。

斉藤和義のウェディングソングを歌っているひとの動画を見た。家族を思い出して涙が出た。悲しいときには笑えないのに、嬉しいときには泣ける。涙って人間のすごく大切なところに溜まってるんじゃないかな、と思う。

世界は誰のためにも回っていない。それはきっと、救いだと思う。

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