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自分をみつめて、他者にふれて


かつて好きだと思っていて、多忙でもう会わなくなった先輩のことを思い出して

まだ、中身に触れてないことに気がつく。



能力、活躍、表に出てきやすいものでなんとなく惹かれていた気がする。そしてなんとなく、自分の気持ちが薄かったようなことにも気がついてる。

まだ始まってすらなかった恋だったんだな、と思う。まだ何にもふれてなくて、大分遠いところから見てただけなんだろうな、と。

実るとか実らないとか以前に、多分はじまりもしてなかった。私の中では何かが動き始めてはじまりはしてたかもしれないけど、二人の間には始まる以前の準備段階だった気がする。


ふつうの人間関係も恋も、中身に触れてからがスタートなのかもなと思う。
私は中学生くらいから友達を作ることが苦手になって(友達ってなんなんだ…?どうやって作るの)、そこから表面上の「友達」と呼べるものを作ろうと努力していた。それは友達がいないのがさみしいからとかではなくて、浮きたくないからと言うのが第一の理由。だから新学期にはとにかく1人ポツンとならないよう、とりあえず話せる相手を作ることだけを目指していた。
そうやってできた「友達」も自分の中では実は言葉だけだということに気がついていたんだと思う。逆に、相手も微妙な距離感や空気からそういうのは察してたんじゃないかな。私も心が開けなかったし、相手もなんだか信用してくれなかった。そんな友人関係でも浮くよりはマシだ…と考えて日々をやり過ごしていました。
私はきっとその「友達」のことをよく見ていなかったはず。きっと怖いんだと思う(今も人の心に正対するのは直視するのは、苦手)。嫌われることや失うこと…人間は社会的ないきものだし、そういうこと(馴染めないこと)を恐れる機能がついてるのかも。その恐怖のあまりに、私は心を開くことが苦手だし相手をよぉーく見つめるのが好きじゃない。

恋愛も人間関係も、私は自分の感情が薄いと感じることがたびたびある。相手を「いい人」とか「すき」とか思っていても、それは脳内で起こってるだけで、ぜんぜんそれを感じない
そのときは多分、まだ「相手と私」がスタートしてないのかも知れない。表面に見えるものだけを拾って、脳内で組み立てる。そこで完結してしまいそうな…。そんな状況。

見えないような深いけど本質的なところに触れるとき、どんなふうなのか私には分かりません。無意識的にそういうのができる人も多いのかも(周りにも多いし、そういう方は逆に私の感覚を理解するのが難しいかもしれない)。
でも、"ただ観察してジャッジ(評価)する"だけで終わらずに、少しでもその人の中身に触れられたらいいなぁと思います。言葉通り、たぶん外から見るだけと、やさしいところに触れることっていうのは距離感が大分違うんですよ。

能力が高くて活躍してた先輩(もちろん人間性も周りから評価されるような方でした👀)の、表面からは見えない部分にきっと私は目を向けようとしてなかったんですよね。だから今「あーほんとはどんな人だったんだろ」と思って。もし次の接点があれば、実際どんな人なのか、深いところが見れたらなぁ。




あんまり恋愛話書きたくないけど書きました🤣なんとなく最近似たような事例があって書いてしまった。


余談なんだけど、今日は「〇〇が苦手」という言い方をやめて「〇〇したくない」「〜したい」に変えていくといいと言うのを聞きました。
私は結構「〇〇苦手」という表現に逃げてしまうから、ためしに言い換えてみるとけっこうスッキリします。
他人に向き合うより先に自分に向き合う度胸がつきます。言いにくいと思っていても意外と言ってしまうと平気です(私は1人でいるとき心のなかで言うのもためらった🙄)。逆に、「〇〇やりたくない」とい言おうと思ってもスッと出てこずに「実は……〇〇やりたかった………」というのに気づいたりもしました。曖昧表現つかいがちな方にオススメです🌸🌸


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