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はじまりの右近〜キリシタン史逍遥

 2008年から長崎に住んでいた。偶然、ペトロ岐部と187殉教者の列福式を現地で体験した。その福者に天正遣欧使節の一人、中浦ジュリアンもいたのであるが、当時はまだキリシタン史に「はまって」いなかったので、イベントとして参加したに過ぎない。
 キリシタン史との本当の出会いは2010年からの大阪住まいに端を発する。当時、高山右近の列福運動がこの大阪で盛んになっていた。私は、当時はこのキリシタン大名なるものに、あまり興味がなかった。名前は分かるけれども、誰がどういう経緯で、またその後の信仰はどうだったかなど、あまり把握していなかった。
 「高山右近か・・・」ちょうどその時、豊中に住んでいて、彼のお膝元、高槻も近い。どういう人物だったのか、知りたくなった。大友宗麟、大村純忠などキリシタン大名と呼ばれる人は多くいるが、高山右近だけがなぜ取り上げられる?

 行きつけだった豊中市の千里図書館で、加賀乙彦先生の「高山右近」があるのを見つけた。早速借りてきて、アパートで頁を開いた。
 
 ここから、私のキリシタン時代はカラー映像になった。キリシタン時代は「沈黙」をはじめとする、隠れ切支丹の迫害のイメージが強く、おそらく誰にとっても暗鬱な時代の印象だろう。しかし、この加賀先生の「高山右近」はキリシタンたちの、まだ迫害が始まる前、そして迫害下での、信仰を生きる輝きも描いている。
 私が心魅かれたのは冒頭の子どもたちの聖劇のくだりである。今となっては戦国時代の武士たちが、能を自ら演じるなど、舞台に立つことが身近であることを知った。しかし、その時の私はそんな戦国時代のありようも知らず、この第二章の「降誕祭」に心が踊ってたまらなくなった。なぜなら、そこに「私」もいたかのように読んだからだ。

 今夜は降誕祭の前々日で、深夜ミサ前にする芝居の稽古のため、この町に沢山ある仏教寺院の晩鐘の音とともに、雪のなかを子供たちが、ジュスト右近の孫たちとトマス宇喜多久閑の息子たちが、集まってきた。クリスマスに聖書物語を子供たちが演じるのは、この地の教徒たちが大切に守ってきた習慣で、(中略)主のご降誕の模様を詳細に再現してみせ、無一物の生れである人が尊いお方になられた話が、貧しい下級武士や百姓たちに大きな感銘をあたえたようであった。

加賀乙彦「高山右近」~2降誕祭〜より

 カトリックの幼児洗礼を受けた者には懐かしい思い出だろう。このクリスマスのお芝居。もちろん教会にもよるだろうが、私の育った三重県の教会ではこの子供のお芝居をしっかりやっていた。地元の劇団で今も活躍するKさんが演出をしてくれたからだ。私は羊飼いの役、天使の出現の際のおびえの演技を今も出来る。また子どものお芝居としては最後になったナレーター役。この時の発声指導をついこの間のことのように覚えている。
 2章で描かれたのは金沢の教会。迫害の手が広がっているなかでの降誕祭。子供たちが演じたのは「ノアの方舟」。右近の孫娘が鳩の役。洪水が終わったことを、オリーブの葉をくわえて方舟に戻り知らせる大事な役だ。この八歳の孫娘はオリーブのかわりに楠の葉をくわえたと描く。なんともかわいいではないか。

 この「高山右近」で描かれるのは、戦国大名としての右近だけでなく、教会のなかの右近、信仰を同じくする者や宣教師たちとの深い信頼と友愛の姿。そして迫害を受ける者として、雪道を歩き、やがて日本を追われていく右近。この作品はその時代と髙山右近をめぐる出来事を宣教師の書簡の形をとって丹念に描いている。
 このキリシタン時代の活写に私は圧倒された。
 もっと知りたい。ここに出てくる、宣教師たちのことも。そしてキリシタンたちが何を見ていたのかを。本に出てくる「スピリツアル修行」、もうこのときに「霊操」の本を手にしていた!今、なんだか怪しげな使い方をされる「スピリチュアル」も、この時にはキリシタンたちが大切に使っていた言葉なのだ。

 私はすっかり「キリシタン史」の虜になった。大阪の土地で開眼したことは好機であった。この時から、高槻はじめ、安土、京都と、キリシタンたちゆかりの地をさまよい歩くことになった。
 私のキリシタン史逍遥のはじまり、そのきっかけがこの一冊「高山右近」なのだ。

 追記 あまりにもこの加賀乙彦先生の「高山右近」が面白かったので、実家の父にすすめたら、「家にあるで」とのこと。おそらく次兄の本だろう。こんなに面白いなら、兄貴も教えてくれたらいいのに!と理不尽に腹を立てた。もちろんこの本は実家から私が拝借した。大切な愛蔵本として手元にある。

(出典・写真は「髙山右近」加賀乙彦 著 /  講談社 刊)
 


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