来栖微笑

くるすみしょうと申します。ワケあり短歌、ワケなし短歌。落語やもろもろ日記の「天神亭日乗…

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くるすみしょうと申します。ワケあり短歌、ワケなし短歌。落語やもろもろ日記の「天神亭日乗」(歌誌「月光」掲載)、うろうろ旅の記録と記憶など。よしなしごとを書いていきます。

最近の記事

四谷に江戸の風吹かせー春風亭だいえい「四谷だいえい百席」~天神亭日乗19

十月三十日(月)  上智大学四谷キャンパス「四谷だいえい百席Vol.1」  二つ目の噺家、春風亭だいえいさんの母校での独演会がスタートした。昨年の十月、二つ目に上がる直前にもこのキャンパスでお祝いの落語会を開催したが、今回からは定期的な会となる。しかも会の名が「四谷だいえい百席」!「百席」である!このスタートに胸が踊る。  コロナが五類に移行し、私たちの職場の落語サークルの催しも人数制限や学外の方の参加に対する規制が緩和された。これまで年二回、真打をお招きして「宝富万(ほふ

    • たらちねー母と私の「始まり」と「終わり」~天神亭日乗18

      九月十四日(木)  母が危ない状況であると電話が入った。  職場の予定をキャンセルして帰ることにした。母とできれば何とか、最後に言葉が交わせれば。  母の認知症の兆しはかなり前からあったが、コロナでしばらく会わない間に、母は完全な「認知症の人」になっていた。妄想、幻視に彼女は囚われていた。  五月の連休に帰省した。父から様子は聞いていたが、確かにもう目がおかしい。何かぶつぶつ言っている。朗らかだった美しい母がすっかり山姥のようになってしまった。  夕食を食べながら、いつも

      • 私の「東京物語」ー松阪「小津安二郎と東京物語」そして浅草~天神亭日乗17

        九月三日(日)  松阪 クラギ文化ホール 演劇「小津安二郎と東京物語」を見に行く。  この公演は「松阪しょんがい音頭と踊り 文化財指定20周年記念大会」のプログラムの一つ。朝9時から会場ホールで整理券配付と聞き、朝から並ぶ。バスで一緒だったおばちゃんの松阪弁のイントネーションに和んだ。そして列に並ぶとこれまた松阪のおっさんたちのしゃべりに取り囲まれた。耳に馴染む。そうだった。私はこの語りが母語なのだ。四六時中落語を聞いて、すっかり江戸の女のふりしていても、私は伊勢の国の人なの

        • 皐月の空の、一葉と小津安二郎~天神亭日乗16

          五月十四日(日)  雨。台東区立一葉記念館「樋口一葉と和歌—かなの美—」へ。この記念館を訪れるのは久しぶりだ。建替前のことだったので、もう十何年も来ていなかったことになる。  今回の「かなの美」の展示では、一葉の美しい水茎の跡を間近で見ることが出来た。彼女の眼差し、筆を走らせる息遣いを想像しながら見る。また歌塾での一葉の切磋琢磨。歌会での点数の高いこと!〇の数を数え、誇らしげな表情をしていたことだろう。また同門の友との交友関係もほほえましい。同じ「夏子」名の伊藤夏子という友。

        四谷に江戸の風吹かせー春風亭だいえい「四谷だいえい百席」~天神亭日乗19

          春の落語三昧-不二庵落語会「弁財亭和泉独演会」・白鳥の巣・三遊亭白鳥一門会~天神亭日乗15

          四月二日(日)  阿佐ヶ谷不二庵 弁財亭和泉独演会  不二庵は阿佐ヶ谷にある個人宅のお茶室。お席亭ご夫妻がこちらを開放し、定期的に落語会を開催してくださっている。このご夫妻は寄席通いを始めた頃から私にとって、いわゆる「憧れのカップル」的な存在だった。ひょんなことから面識を得て(またこれも一つのドラマがあるのであるが)お二人は今、私の「落語ファン道」の師匠である。どの噺家を聞くべきか、どの会を見るべきか、ご意見を伺い、御指南を仰いでいる。  そんなお二人が席亭の落語会。それが不

          春の落語三昧-不二庵落語会「弁財亭和泉独演会」・白鳥の巣・三遊亭白鳥一門会~天神亭日乗15

          愛してるって叫んでよー映画「エゴイスト」~天神亭日乗14

          二月十四日(火)  テアトル新宿 映画「エゴイスト」を見る。  愛について考えることなど久しく無かったが、今回ばかりはさすがに映画館を出てすぐ紀伊國屋書店に走った。  十二月のある休日に同僚AからLINEが送られてきた。一冊の本を薦めている。表紙の写真。「エゴイスト」とある。 ああ、あの映画か、と思った。俳優の鈴木亮平と宮沢氷魚が恋人同士の役を演じたとネットで読んだ記憶がある。 同性愛カップルの映像作品は最近多く目にするが、この二人の配役を聞いて「見たいな」と印象に残って

          愛してるって叫んでよー映画「エゴイスト」~天神亭日乗14

          拝啓、ホイヴェルス先生—能「復活のキリスト」〜天神亭日乗13

          十二月二十五日(日)  宝生能楽堂 宝生流「復活のキリスト」  待ちに待ったこの日。ホイヴェルス先生の書いた能がこの東京で演じられる。  ホイヴェルス先生とは、イエズス会のヘルマン・ホイヴェルス神父である。上智大学の第二代学長であり、聖イグナチオ教会の主任司祭としても長く司牧した。日本の文学や芸術を深く研究され、ご自身も日本語でストレートプレイの演劇はもちろん、能、歌舞伎の脚本も書かれている。また昭和六年公開の映画「殉教血史 日本二十六聖人」の脚本もこのホイヴェルス師の作であ

          拝啓、ホイヴェルス先生—能「復活のキリスト」〜天神亭日乗13

          若き君らに—二つ目応援記〜天神亭日乗12

          十月十六日(日)  文京区駕籠町会館「巣鴨元気寄席vol.122」桂竹千代ネタおろし落語会 桂竹千代さんは落語芸術協会所属の二つ目。明治大学の大学院で上代文学を専攻。専門の古代史や上代文学をテーマにした落語も創られていて「落語DE古事記」の著作もある。しかし古典も熱心に勉強されているのだ。彼の勉強会であるこの「巣鴨元気寄席」の回数に驚く。これだけネタおろしをしてきたということだ。  今回のネタは「三年目」。私が癌闘病の際に志ん朝師匠のCDを聞いて涙した思い出の噺だ。ある会の打

          若き君らに—二つ目応援記〜天神亭日乗12

          夏、プーク寄席と上田・無言館〜天神亭日乗11

          八月十四日(日)  プーク新作落語お盆寄席三日目。新宿に走る。  この会場、新宿のプーク人形劇場は歴史ある「人形劇団プーク」の本拠地。「長澤延子全詩集」でも新井淳一先生が特別寄稿のなかでこの「プーク」の人形劇について語られていた。現在の劇場はビルの階段を下りていく。地下に広がる魅惑の空間だ。  このプーク寄席はお盆と正月に開催される、新作落語の火花散る落語会だ。そしてこの夏の興行は、昨年十一月三十日に亡くなられた三遊亭円丈師匠の初盆の追善興行でもある。  遅れて着いた。ロビー

          夏、プーク寄席と上田・無言館〜天神亭日乗11

          雨―八木重吉と〜天神亭日乗10

          四月二日(土)  久しぶりに中学、高校と一緒だった友に誘われ、代々木上原に行く。彼女の絵の師匠、伏屋美希先生の個展だ。美希先生の色と光の小宇宙に身体か軽くなる思い。その友人との久しぶりの語らいも楽しい時間だった。  この代々木上原は私にとって懐かしい街だ。  この街には兄のアパートがあった。時はバブル。しかしそんな都会の片隅の、本当に典型的な貧乏アパート。四畳半、風呂なし、トイレ共同。外の階段を上がって入る、玄関も共同だ。  私は寮に住んでいたのだが、門限を過ぎる時はよく泊

          雨―八木重吉と〜天神亭日乗10

          花や今宵の―地謡とグレゴリアン〜天神亭日乗9

          三月十三日(日) 観世九皐会 三月定例会「忠度」矢来能楽堂。 毎月の観世九皐会の定例会、三月は春にふさわしく「忠度」がかかると知り、楽しみに待っていた。 この平忠度という名前は平家物語の「忠度の都落ち」の箇所が高校の古典の教科書に採られているので覚えている人も多いだろう。私もこの忠度の名を聞くたびに、女子高の午後の国語の時間を思い出す。   「昔から、キセルのことを『薩摩守』って言いました。さて何故でしょう?」K先生のお茶目な表情も懐かしい。  また、この平忠度

          花や今宵の―地謡とグレゴリアン〜天神亭日乗9

          寄席のお席はどこが好き?〜落語のはなし

           寄席は基本、自由席。ふらりと入って、好きな席に座る。  まだ寄席初心者の頃は、そうっと後ろのほうに座っていた。ただ、慣れてくると仕草や表情もより近くで見たくなる。だんだん前に進出するようになり、一番前に座ってしまうこともある。  しかし一番前は同好の士の皆さんも狙っているので、仕事を終えてから行くと既に座られていることも多い。だが、前でも端のほうは空いてたりするのだ。何度か端の前のほうに座っているうちに、「あれ、ここ、面白いかも」と思い始めてきた  とくに上手(高座向かって

          寄席のお席はどこが好き?〜落語のはなし

          銃声の聞こえぬ夜の落語会―三遊亭白鳥師匠をお招きして〜天神亭日乗8

          二月十八日(金) 「師匠、お願いします」 まさかこんな言葉をこの襖の向こうに呼びかける日がくるとは。  オミクロンの嵐が吹き荒れていた。しかしまだ彼の地での銃声は聞こえぬ、二月の夕暮れのことだった。  落語に嵌まってから6年、とうとう勤務先の大学で教職員サークル「落語愛好会」を結成してしまった。今日はその会主催の落語会なのである。  お客様は教職員と教職員OBOG、そして学生。この状況なのであまり人数を入れられず、40人ばかりがお座敷で開演を待っている。  この会場はかつて

          銃声の聞こえぬ夜の落語会―三遊亭白鳥師匠をお招きして〜天神亭日乗8

          五島灘、その西の涯てより~天神亭日乗7

          九月五日(日)  この日、五島列島の最西端の島を一組の夫婦が島民に送られ後にした。福江島の西北。貝津の港から海を渡る。島の名は「嵯峨ノ島」という。  この島には明治の初め頃、私の父方の祖父のそのまた祖父の代が中心となり、外海(そとめ)から移り住んだと聞く。外海(そとめ)の潜伏キリシタンが明治になって信仰を許され、開拓のためにいろんな地に移り住んだようだが、私の家もそのひとつだったのだろう。しかしわが先祖ながら思う。この最果ての島、ここまで行く?凄いフロンティアスピリットだ。

          五島灘、その西の涯てより~天神亭日乗7

          はじまりの右近〜キリシタン史逍遥

           2008年から長崎に住んでいた。偶然、ペトロ岐部と187殉教者の列福式を現地で体験した。その福者に天正遣欧使節の一人、中浦ジュリアンもいたのであるが、当時はまだキリシタン史に「はまって」いなかったので、イベントとして参加したに過ぎない。  キリシタン史との本当の出会いは2010年からの大阪住まいに端を発する。当時、高山右近の列福運動がこの大阪で盛んになっていた。私は、当時はこのキリシタン大名なるものに、あまり興味がなかった。名前は分かるけれども、誰がどういう経緯で、またその

          はじまりの右近〜キリシタン史逍遥

          小三治待つ間~落語のはなし

           2021年、柳家小三治師匠が逝去された。   寄席に通い出してまだ日の浅い私。しかし、小三治師匠の夏の池袋演芸場のトリの高座には間に合ったのだ。それは何とも幸運なことであった。  あれは2017年だったか、8月の芝居だった。平日昼席。沢山の人が列をなしていた池袋演芸場。私も有休をとって、いざいざいざ!と列に並んだ。  満席の場内。前から3、4列目、下手寄りに陣取った。いろんな世代の客層。働き盛りの年代の男女も沢山いた。  私の隣には70代くらいの女性が座った。おばあ様

          小三治待つ間~落語のはなし