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レジェンズアルセウス ふるいポエム解説

自分が行うふるいポエムの解釈では、詩の一つ一つから綴られる情景から物語を紐解いてみています。
一風変わった、不思議な解釈をお楽しみください


ふるいポエム1

ふたりのものがいた
ひとりは流れる時をみた
ひとりは広がる世界をみた
ふたりはさらなる未来
そして世界の果てを求め
それぞれの道を往くことにした
シンオウさまと共に

ふるいポエム1

ある2人の人物がいた。
ひとりは時代の移り変わりを見届け、
ひとりは世界の広さを知った。
2人は時代の行く末を、
世界の先にあるものを求め
それぞれ旅立っていった
シンオウさまと共に

ふたりの旅立ち

……筆者は、とある2人の人物の旅立ちを見届けた事を詩にしました。
それ以上でも以下でもない、そのままのうたです。

シンオウさまも二匹いた

この時、2人にそれぞれシンオウさまもお供した事が書かれています。
コンゴウ団とシンジュ団が異なるシンオウさまを崇めていたことにも関係してくるのでしょうか。

ふるいポエム2

地の果てにいるものよ
そなたの気持ちはわからなくもない
わたしが懸想(けそう)する人は
遠い場所に去ってしまった
わたしが共に過ごした人々は
遠い昔に消えてしまった
もう一度会えるならと
かなわぬ思いを抱え続ける
地の果てにいるものよ
そなたの気持ちはわからなくもない
だが永遠の冬を生きるのだ
愛する日々を胸に秘めて

ふるいポエム2

どこかにいったものよ
あなたの気持ちはわからなくもない。
わたしが想っていたものは
遠くへ去ってしまった。
わたしがかつて共に過ごした人々は
遠い昔に居なくなってしまった。
彼らにもう一度会えるならと、
今でも叶わぬ思いを抱え続けるのだ。
どこかにいったものよ
あなたの気持ちはわからなくもない。
しかし、わたし達は同じように孤独に生きていくしかない。
かつての愛する日々を胸に秘めながら。

かつての日々に想い馳せる

筆者は、既に去ってしまった誰かに向けて詩を綴っています。
自らも去っていった者と同様の孤独を味わったことがあり、その者の想いに共感をしています。
そして、かつての幸せだった日々を思い出すのです。

去っていったものも、大切なものを失った?

この地を去ったものは、失った何かを追い求めて去ったようです。
最後の一節から思うに、幸せだった暮らしを追い求めて去ったのでしょうか。

ふるいポエム3

爪も牙も持たぬ
人はあまりにも弱く
ポケモンに勝てなかった
ある日いかづちはポケモンをうった
その数は10となった
いかづちにうたれたポケモンたちは
弱き人の力となった
いかづちはシンオウさまのやさしき思いであろうか

ふるいポエム3

力を持たない
人はあまりにも弱く
ポケモンに勝てなかった。
ある日、10の雷がポケモンに当たった。
雷に撃たれたポケモンたちは
弱い人々に力を貸した。
雷はシンオウさまの優しさがもたらしたものなのだろうか

雷の考察をする筆者

……雷に打たれたポケモンたちの事を、回想を経て筆者が考える詩。
ポケモン達に攻撃をされ、反撃の手段がなく逃げ惑う人々を、ある日雷に撃たれた10匹のポケモンが助けた。
と書いてあります。
そして、「あの日ポケモンたちに落ちたあの雷は、一体なんだったのだろうか?」と筆者なりに考えたようです。

実は奇跡の偶然だった説

黒曜の原野・森キング(バサギリ)戦前イベント

いかづちに撃たれたポケモンはあふれる活力を抑えきれずあらぶる――
かつていかづちに撃たれた10のポケモンも、あらぶったことにより周囲のポケモンを倒したことが偶然人を助ける結果になり、あらぶったポケモンも人の助けであふれる活力が鎮まったために絆が生まれたのかもしれませんね。

ふるいポエム4

古代の英雄に付き従った
10のポケモン
子々孫々 その役目を受け継ぐ
ポケモンの労に報いるため
人 戦場に器を用意し
採れたての好物
きれいな水をそなえ
おおいに感謝したという

古代の英雄を手助けした
10匹のポケモンは
子孫代々その役目を受け継ぎ続けた。
そんなポケモン達を労うために
人々は戦場(いくさば)に器を用意し
採れたての好物や
きれいな水をそなえ
とても感謝したようだ。

戦場にまつわる歴史を筆者が語る詩

10匹のポケモンが古代の英雄に付き従った事、
その子孫が役目を受け継いだ事を筆者が語る一方で、
「おおいに感謝したという」
といっており、人々の行った儀式については詳しくない事もわかります。

現在のしきたりとは少し異なる

天冠の山麓・洞窟を戦場としない洞窟キング

ポエムが書かれた当時は10匹のポケモンすべてに戦場が用意されていたようですが、現在のヒスイには戦場が5つしかなく、一部のキングはその肩書にそぐわない戦場を有しています。
これは推測になりますが、かつてコンゴウ団とシンジュ団の先祖が争ったことのひとつに、戦場の奪い合いがあったのかもしれないですね。

ガチグマを鎮めた場所は元戦場?

紅蓮の湿地・ヘドロ台地 ガチグマを鎮めた場所

戦場はいずれも円形の場が設けられていますが、ガチグマを鎮めた場所も同じような円形の場が設けられています。
この場所も、かつては戦場だったのかもしれません。

ふるいポエム5

昔も昔 カミナギという町があった
いつしか人は消え 町の名も消えた
時がたち シンオウさまをあがめ
海を渡ってくるものがいた
それぞれ異なった
シンオウさまをあがめていた
いさかいが起きた
争いも起こった
おのれの正当性を示すため
どちらもカミナギの民と称した
町の名はよみがえった
だがあのときの心はよみがえらない

ずっと昔、カミナギという町があった。
しかしいつしか町から人が居なくなり、町の名も忘れられてしまった。
時が経ち、シンオウさまを崇め、
海を渡ってくるものが居た。
彼らはそれぞれ別の姿の
シンオウさまを崇めていた。
言い争いが起きた。
そして戦争も起こった。
双方は各々の正当性を示す為、
どちらもカミナギの民を自称した。
町の名前は蘇った。
しかし、あの時の町にあった心はそこにはなかった。

帰らなかった”カミナギの町”

……カミナギの名について筆者が回想する詩。
詳細語り。
竹取物語の冒頭で有名な「今は昔」が「今から見れば昔の事」と解釈されていることから、
「昔は昔」は「昔から見たもっと昔」、つまり「遥か昔」ということ。
「それぞれ」とは"複数のものの一つずつ"という意味であるので、「シンオウさまを崇めるもの」は初めから複数団体であった事もわかります。

かつてのカミナギの町は”あたたかい”町だった

天冠の山麓・カミナギ寺院跡
詩の通りなら、かつては祭りがあれば人々があふれて盛り上がるような、
活気あふれる道であったのかもしれない。

シンオウを崇める団体が来るよりも更に古い時代に、
カミナギと呼ばれる町があった。
しかし、その町から人々が離れてゆき、自然と町の名も忘れられてしまう。
時が経ち、訪れたシンオウさまを崇めるふたつの団体の争いの中でカミナギの名が用いられたが、それは彼らが各々の正当性を主張する為の道具でしかなく、かつての町にあったその心は未だ失われたままであると、筆者が嘆く詩となっています。
筆者の知る当時のカミナギは、争いのない穏やかな町であったことを窺うことができます。


ふるいポエム6

その ポケモンが うまれて
ちしきが ひろがり
わたしたちは ゆたかに なった
その ポケモンが うまれて
かんじょうが めばえ
わたしたちは よろこび かなしんだ
その ポケモンが うまれて
わたしたちは なにかを けついし
こうどう するように なった……

そのポケモンが生まれた事で様々な知識を得て、
筆者とその周りの者は豊かになった。
そのポケモンが生まれた事で感情が湧き出し、
筆者とその周りの者は喜びもしたし、悲しみもした。
そのポケモンが生まれた事で
筆者とその周りの者は何かを決意し、
その為に行動するようになった……

一般的にこのポエムの内容はユクシー・エムリット・アグノムの事だとされています。
しかしこれを一個人の詩と考えた時、自分は筆者が親になったときの詩なのではないかと考えました。

子を得た親の歓びのうた

子供が生まれ、親子で生活するにあたり今まで不要だったもの(知識や道具)が必要になり、色々なものが増えた(豊かになった)。
大人たちは子供に振り回され、幸せだったり(喜び)、子供を心配したり(悲しみ)する事があります。
そして子供が生まれたら"子供の為に頑張ろう"と決意し、行動するものだと、自分は認知しています。

また、この詩が平仮名ばかりなのも、もしかしたら子供が産まれたことを機に文字を覚え、ポエムを書き始めたからなのかも……?

ふるいポエム7

純白の凍土にある湖
叡智があふれる湖
湖に現れるポケモンに
問題解決の知恵を授かろうと
願いを訴えるもの多し
されどもその話が伝わらないのは
湖のポケモンの問いに答えられず
記憶を消されてしまうため
純白の凍土にある湖
叡智が沈む湖

エイチ湖
それは叡智があふれる湖。
湖に現れるポケモンに
抱えてる問題を解決する手段を求めて
ポケモンにお願いするものが沢山いた。
だけどそんな多くの人が来ていた、という話が他の誰にも伝わらないのは
湖のポケモンの問いかけに対し答えられられず、
記憶を消されてしまう為。

エイチ湖、
それは叡智が沈む湖。

エイチ湖に存在する奇妙なできごと

……エイチ湖に起きていたできごとを語る詩。
人々は悩みを解決しようと湖のポケモンにお願いしようとする者が後を絶たなかった。
しかしそんなにも多くの人が来ていながら人々が絶えず訪れるのは、訪れた誰もがポケモンの問いかけに答えることができず、エイチ湖に来たことを忘れさせられてしまう為だ。
というのが概要。

おそろしい しんわ

その ポケモンの めを みたもの
いっしゅんにして きおくが なくなり
かえることが できなくなる

その ポケモンに ふれたもの
みっかにして かんじょうが なくなる
その ポケモンに きずを つけたもの
なのかにして うごけなくなり
なにも できなくなる

ポケットモンスターシャイニングパール ミオ図書館3F 右下真ん中の本棚「おそろしい しんわ」より 

エイチ湖と言えばユクシー、
ユクシーといえばその目を見たものは記憶がなくなってしまうというおそろしいしんわの一節を同一視する見方もありますが、このポエムの一節では問いかけに答えられなかったものの記憶を消すとあり、記憶を消されるときのきっかけが異なるのでこのポエムとおそろしいしんわは同じポケモンのしわざとは言い切れません。

湖に訪れたものの記憶を消したのは…

湖の試練の問いかけに間違えたところ。可愛く驚いた後に再回答を求められる。

ポエムでポケモンに記憶を消されるとありますが、それを行ったのは果たしてどのポケモンなのでしょうか?
真っ先に浮かぶのはユクシーですが、ユクシーの問いに間違えた際は「ただしい こたえを しめせ」と言われるだけで記憶を消されるわけではありませんでした。
それ以前に、主人公が入り口を開けるまでユクシーと会うことも叶いません。
なので詩の文脈の通りにユクシーが多くの人々のお願いを聞こうとしたとはちょっと考えにくいです。

そういえば、エイチ湖の周囲にはチリーンやユンゲラー、ドーミラー、ドータクンなど、
エスパータイプのポケモンが多数生息しています。
エスパータイプと言えば催眠術……あれ?
もしかすると、問題解決の為に訪れたものはみなこの周囲のエスパーポケモンに催眠術で眠らされ、テレポートで近くに飛ばされていたのかもしれませんね。

R団のニャースが関与していた?

もうひとつ忘れてはならないことがあります。
それは、この話は「筆者の視点でそう見えた」ということ。
もしかしたら「問いかけ」そのものが筆者には伝わるけど、問題解決を望んだ人物には伝わらない言語で行われていた、という可能性もあります。
英語のわからない人が外国人に道を尋ねられたときのような感じ。
要は、筆者がポケモンの言葉と人間の言葉の両方を理解できる存在である可能性です。
つまり、ふるいポエムの筆者はR団のニャースだった……?(絶対違う)
もしかしたらふるいポエムを書いたのは、実はとあるポケモンだったんじゃないか?という説が浮上する詩です。

ふるいポエム8

ヒスイに散らばるプレート
様々な力を宿したプレート
未来永劫 残るものとして
永遠の 祈り 言葉を刻む
いつまでも どこまでも
秘めた思い 広まるように

ヒスイに散らばるプレートは、
様々な力を宿している。
この先の未来まできっと残り続けるものと思い
ずっと願っていた事を想いながら、言葉をプレートに刻む。
いつまでも、どこまでも、
この刻んだ言葉に秘めた思いが広まるように。

プレートに刻まれた思い

……ヒスイ(シンオウ)地方のあちこちにある様々な力を宿したプレートに刻まれた言葉には、筆者が抱いていた想いが刻み込まれていたようです。
自分の持つこの想いが、後世の多くの人々に伝わりますように、と。

プレート≠巨人伝説?

ポエムに書かれていることを率直に受け止めるとしたら、巨人伝説が噂されるプレートにはその実、もっとささやかな願いが刻まれているのかもしれませんね。
プレートに記載されている言葉は、別記事として書いていく予定です。

10のポケモンにプレートを渡したのは古代シンオウ人

自分の先祖が10のポケモンにプレートを渡したと語るコギト

10のポケモンにプレートを渡したのは古代シンオウ人であることがわかりますが、それ以外の9個はがんせきプレートとこぶしのプレートを除き伝説のポケモンが所持していました。
筆者はそんなプレートに目をつけ、無地だったプレートの裏側に言葉を刻み込んだと書いてますが……
そうなると筆者はアルセウスにすら干渉できるような、すごい存在なのでしょうか?

ふるいポエム9 

ポケモンのほねを
かわにながす
わたしのおもいでも
かわにながす
やがてうみへとながれ
せかいをめぐるのだろうか
これまでに
いくつのほねをながしたことか
これからも
いくつのほねをながすだろうか
ながすたび
わたしのこころもきえてゆく

ポケモンの骨を川に流す。
それと一緒にそのポケモンとの思い出も川に流れていく。
やがてその骨は海へと流れ、生まれ変わったりするのだろうか。
これまでに、いくつのポケモンの骨を流したことか
これからも、いくつのポケモンの骨を流すだろうか。
骨を流す度に、私の心も失われるかのようだ。

仲間たちの死を弔う詩

……ポケモンを水葬していた時の筆者の心境が詩になってます。
沢山の仲間のポケモン達が短い期間で死んでしまったようです。
筆者の非常に辛い思いがこの詩から感じられます。

シンオウ むかしばなし その1との関係

うみや かわで つかまえた
ポケモンを たべたあとの
ほねを きれいに きれいにして
ていねいに みずのなかに おくる
そうすると ポケモンは
ふたたび にくたいを つけて
この せかいに もどってくるのだ

ポケットモンスターシャイニングパール ミオ図書館3F 右手前の本棚「シンオウ むかしばなし その1」より

シンオウ むかしばなし その1に似ている内容のポエムですが、
こちらはだいぶ凄惨な状況のように見えます。

たくさんのポケモンが死んでしまっていること、
そしてこれからも死者が増えることを予見しているので、
このポエムを作った時、現在進行形で数多のポケモンが骨になるような酷いことが行われていたのでしょう。

トバリのしんわとのつながり

個人的には、トバリのしんわと深い関わりがあるのではないかと考えています。

つるぎを てにいれた わかものがいた

それで たべものとなる ぽけもんを
むやみやたらと とらえまくった
あまったので すててしまった

つぎのとし なにもとれなかった
ぽけもんは すがたをみせなくなった

ポケットモンスターシャイニングパール ミオ図書館3F 右奥の本棚「トバリの しんわ」より

数多のポケモンを捕食し、
余った(食べきれなかった肉や骨?)ので 捨ててしまった、と考えると…
トバリのしんわが捕食者視点、このポエムが被害者視点とすると、状況がピッタリ合致します。

この場合も、ポエムがポケモンによって書かれてる事になりますね。
また、ひらがなでポエムが書かれているので、もしかするとふるいポエム6に近いお話なのかもしれません。

原典と童話の関係

シャイニングパール ミオ図書館2Fで不満を述べる少年。主人公も2Fの本は右下から3つめの本棚にある「うみの でんせつ」しか読めない。

おとぎ話はグリム童話イソップ寓話などのように、子供向けにマイルドに改変されることがあります。
もしかするとシンオウ むかしばなし その1は、上記のおとぎ話のように、ふるいポエム9を子供向けに改変したお話なのかもしれませんね。

ふるいポエム10

英雄と呼ばれるものがいた
10のポケモンを従え
深奥に挑んだ
それは人の強さを示す
戦いであった
深奥は人の強さを認め
どこでもない世界に戻られた

本来力を持たない人から現れた英雄が
ポケモンと共に挑む事で力を示せる"何か"に挑戦し、
結果として英雄は"何か"を制し、
"何か"はどこかに消えていった。

深奥に挑戦する英雄

……人とポケモンが共に居る事で得られる力がフォーカスされてますね。ポケモンシリーズでこの条件を満たすのは
"絆"でしょうか。
そうなると見えてくるのが、挑んだ相手は
「ポケモンとの絆の強さが試される場所」
いわばトレーナーとしての強さが試されるという事で、現代で言うところの「バトルタワー」のような場所ではないかと推測できます。

深奥=バトルタワー?

筆者はアルセウス(?)を「シンオウさま」と一貫して呼称しているので、「深奥」は別のものであることがわかります。
「どこでもない世界に帰る」
というと『どこかに消えて無くなる』という解釈が想像つきますが、
周囲の景色に溶け込むこと、つまり
世界の一部としてそこに存在しつつづけるようになる
なんて見方も可能です。
それこそバトルタワーやバトルフロンティアなんかがそれそのものです。
発表当時は一大イベントとして注目するけど、一度制覇してしまえば見向きしなくなる人もいるし、制覇したとて色んな形で挑戦し続ける人もいたりと、どちらにおいても"その世界の一つとして溶け込む"ことになります。
深奥とは、一体なんでしょうかね。

ふるいポエム11

天に思いを届けよう
人々はそう語りあい
天の山のてっぺんに石を積む
人 ポケモンとともに石を運ぶ
人 集めた石を掘り
ポケモンの姿を刻む
刻まれた10のポケモン
シンオウ様の光を浴びたもの

シンオウ神殿建造の様子

……現・やりのはしらであるシンオウ神殿の、建造当時の様子を語っています。
人とポケモンが共に協力しあい、神殿や10匹のポケモンの像を建てる様子が書かれています。

ふるいポエム12

ひんやりとおごそかで
なにかしらの力に満ちている
ヒスイの大地は
確かにシントに似ている
古代シンオウ人の生まれた地
わたしはここで悠久の時を過ごす
使命を持ったものが現れるまで

静まり返っており、何か不思議な力に満ちている。
ヒスイの大地は、確かにシントに似ている。
古代シンオウ人の生まれた地、ヒスイ。
わたしはここでずっと待ち続ける。
使命を持ったものが現れるまで。

使命をもったものを待つ

……筆者はヒスイの地がシントの持つ雰囲気によく似ていることを事も書いており、同時にシントからヒスイに訪れている事もわかります。
そして、筆者はヒスイの地で"使命を持ったもの"が現れるのを待ち続ける事を語っています。

コギトはカミナギの民の子孫

先祖の残した真偽もわからぬ伝説を伝承するという役目を背負わされたことにキレるコギト。

「『裂け目が生じたら湖を巡り霧の遺跡にゆけ』という大昔の話を伝承せよ」という役目を先祖代々受け継いできたコギトの一族。コギトがどこから来たかは不明ですが、役目を重荷と受け止めているあたりからは覚悟をもってやっているというよりはやらされてる感はありますね。

赤い鎖を主人公が手に入れたことにより、役目を終えたことに安堵するコギト
先祖の事を話すコギト

このポエムの筆者はシンオウ神殿の建築の様子を知っているので、コギトの先祖、およそ二千年前の、古代シンオウ人がまだカミナギの地にいた時代の人物だと思われます。

ふるいポエム13

ケムリイモを採る
ケムリイモの皮をむく
ケムリイモに火を通す
焼くなり煮るなり好きにしろ
火の通ったケムリイモをつぶす
つぶしたものを練ってこねる
あとは焦げ目がつくまで焼け
ポケモンの技で言うなら
ひのこでよい
かえんほうしゃはやりすぎ
イモモチを好きに食う
一日が過ぎる

……特になんてことは無い、イモモチの作り方が書かれたポエム。
好きな時にイモモチを焼き、筆者なりの好みのイモモチを作り、好きなだけ食べる。
のんびりした日常も垣間見えます。

平凡なひと時

これを書いてる時は特になにか起きてるわけでもなく、平和そのものだったのでしょうね。

ふるいポエム14

アヤシシの背に乗り
原野を駆け巡る
走る友もいる
駆けるポケモンもいる
風が抜ける場所に立ち
あの日々を思い出す
駆け抜けた記憶
場所があの日の思い出をつなぐ
時と場所はまじりあい
わたしの心をつつみこむ

アヤシシの背に乗って黒曜の原野を駆け巡り、その感覚一つ一つに感じる懐かしい記憶に思い馳せる。

バドレックスの詩……?

……ソードのバドレックス(こくばじょうのすがた)の説明に、近しいものを感じさせる内容が書かれています。

出典:ポケットモンスターソード カンムリ雪原図鑑No.210 バドレックス(こくばじょうのすがた)

荒れ地を 緑に するため
絆で 結ばれた ポケモンと
ガラルを 駆けめぐったと いわれる。

ポケットモンスターソード カンムリ雪原図鑑No.210 バドレックス(こくばじょうのすがた)より

絆で結ばれたポケモンと地方を駆けめぐった……
アヤシシに乗り原野を駆けることで、愛馬と共にガラルを駆け巡ったときの事を思い出していたのかもしれません。

根拠としては薄いですが、筆者がバドレックスである可能性が浮上します。
彼は1万年の時を生きている存在であり、かつて隕石を回避するために森ごとテレポートをした事もあります。
また人語への理解も深く、ポケモンでありながら対談も可能。
ポエムの筆者としての要素は十分に揃っているように思えますね。

ふるいポエム15

じかんとは とまらないもの
かこと みらい そして いま……
くうかんとは すべての ひろがり
そして こころも くうかん……

時は残酷にも過ぎていく。
君と過ごした時は既に過去のものであり、想像していた未来の君の姿はもう朧気になってしまった。
そして君はもう居ない事を、現実が突きつけてくる……
全てのことが空虚に感じる。
心にぽっかり穴が空いたようだ……

喪失感をうたう

……これぞポエム、という内容。
大切な存在を失った喪失感を語っています。

ふるいポエム16

天の山
シンオウさまに近い場所
シンオウさまの力
天の山に集い 石となる
石 力を放ち
あたりの磁界をひねる

テンガン山
シンオウさまに近い場所。
シンオウさまの力がテンガン山に集まると、石となる。
石は力を放つと、辺りの磁場を歪めた。

オリジン鉱石のちから?

天冠の山麓・オリジン鉱石

どうやら『あかいくさり』もしくは『オリジン鉱石』に関する記述のようです。
Ptにてアカギによって2本の赤い鎖をやりのはしらで使われた際に周囲の空間が大きく歪められていましたが、状況がその様子を示しているようにも感じます。
また、石の解釈をあかいくさりとした場合、シンオウさまの力とは『ユクシー、エムリット、アグノム』の三体とすることもできますね。

ふるいポエム17

畑の神がいる
春の神がいる
ヒスイの空を飛びまわり
命を芽吹かせる
春の神に問うた
いつもはどこにおるのかと
解はなかったが
寒いのはきらいだとわかった

ランドロスがいる。
ラブトロスがいる。
彼らがヒスイの空をとびまわると、
その地には緑が広がり始める。
緑をもたらすその風に尋ねる。
いつもはどこにいるのかと。
聞こえなかったのかわからなかったのか、返事はなかったが、
暖かくなり始めないと来ないあたり、寒いのは嫌いなのだということはわかった。

春一番

……畑の神(ランドロス)は豊穣の神、春の神は春の訪れを象徴する神。
彼らが飛び回ることを「風が吹き荒れる」と変換すると、春一番を例えるものと考えられます。
ヒスイの地に春の訪れを感じたことを語る、いかにもポケモン世界らしいポエムの形です。

ふるいポエム18

あらゆるものを友とせよ
??を怒らせてはいけない
??を悲しませてはいけない
裂けた大地は戻らない
あらゆるものを友とせよ

"みんなと仲良くしなきゃ
??を怒らせないように
??を悲しませないように
ひび割れた関係は戻らないから
そうならないように何とか取り繕わなくちゃ"

関係を壊さないように必死になる筆者

……筆者が何とかがんばって、対立関係をつくらないよう躍起になってる様子を書いているように見えます。
筆者自身が精神的に追い込まれているようにも感じますね。

ふるいポエム19

昔 この地ができたとき
ポケモンと人は
お互いにものを送り送られ
支えあっていた
そこで あるポケモンは
いつも人を助けてやるため
他のポケモンに
人の前に現れるよう話した
それから 人が草むらに入ると
ポケモンが飛び出すようになった

昔この場所ができた時、
ポケモンと人はお互いものを送り合い、支え合っていた。
そこであるポケモンは、
恩を売るため、他のポケモンに人の前に現れるよう仕向けた。
それから人が草むらに入ると、
ポケモンが飛び出すようになった。

わるだくみをするポケモンがいた?

ギブアンドテイクの関係を築いていた人とポケモンですが、あるポケモンがそれを利用して悪巧みをしたようです。
その悪巧みの結果がどうなったかは書かれていませんが、
少なくとも古代シンオウでは、人が草むらに入るとポケモンが飛び出すようになったのはそのポケモンの仕業であると茶化されているようです。

わるだくみといえば……

ポケモンSVの追加DLC・碧の仮面にそんな逸話のあるポケモンが登場していましたが、何か関係があるのでしょうか?

ふるいポエム20

それは太陽であった
太陽はお隠れになり
みなは嘆き悲しんだ
多くの者が太陽を追い求め
この地を去った
この地に暮らすのは
ポケモンだけとなった

それはまるで太陽のような者だった。
ある時彼はどこかに姿をくらまし、皆は嘆き悲しんだ。
多くの者が太陽を追い求め、この地を去った。
この地に暮らすのは、ポケモンだけとなった。

カミナギの地から人々が去っていく話

……ヒスイから人がいなくなったきっかけは、リーダーが唐突に行方をくらませた事が原因のようです。
リーダーを失った人々は混乱し、新たなリーダーを求めて別の土地に行ってしまった。
この時に人が居なくなった事で、この時には筆者含めてポケモンしか居ない状況が生まれたこともここに書かれています。

太陽はアデク?

https://www.pokemon.co.jp/ex/b2w2/koryaku/koryaku08.html

太陽のような人物と聞いて思い浮かぶのはアデクですが、この詩で消えたとされる人物なのでしょうか?
もしそうだとすると、ウルトラホールに呑まれたために詩のようなことになったと推測できます。
服装のデザインが古代シンオウ人の衣装の面影を残しているようにも見えますが、現在のところ定かではありません。

古代シンオウ人はいずこに?

新たなリーダーを求めた古代シンオウ人たちは、誰を求めていったのでしょうか。
真っ先に浮かぶのは10のポケモンと英雄の話。
英雄に率いてもらうことを求めてシンオウの地を去ったというなら納得できそうです。
しかし詩を見返しても、一見すると彼らがどこに行ったのかはわからないように見えますが、ふるいポエム1にある言葉が書かれています。

ふたりのものがいた
ひとりは流れる時をみた
ひとりは広がる世界をみた
ふたりはさらなる未来
そして世界の果てを求め
それぞれの道を往くことにした
シンオウさまと共に

ふたりはシンオウさまと共に旅立ったとあります。

英雄はふたりいた?

シンオウさまが認めるような人物となると、10のポケモンを従えた英雄以外に考えられません。
となると、この”ふたりのもの”が10のポケモンを従えた英雄であると考えられそうです。

コンゴウ団とシンジュ団のルーツ

リーダーを失った古代シンオウ人は、このふたりの痕跡をたどってシンオウの地を離れていったと考えることができそうです。
ふたりの痕跡が異なる方向なら、おのずと古代シンオウ人も行き先は二手にわかれるでしょう。
異なるシンオウさまを崇めていたコンゴウ団とシンジュ団のルーツは、もしかするとここにあるのかもしれませんね。
カミナギの民であったのは事実だったのでしょう。

ふるいポエム2との関係

地の果てにいるものは幸せだった暮らしを追い求めて去っていったと解釈しましたが、こちらに書かれている”多くの者”も幸せな暮らしを求めて去ったと解釈できます。
ポエム2は、このポエム20の後に書かれたものなのでしょうか。

まとめと推論

以上が、自分がふるいポエムから読み取れた物語となります。

一部のポエムでも関係性に触れましたが、個人的にはポエムを並び替えることで正しい時系列ができあがるのでは?と考えています。
その鍵となるのが、文章の完成度。
平仮名ばかりである詩もあれば、やけに流暢な詩もある。
しかし、そのいずれも筆跡が同じ。
筆跡が同じである事は、即ち同一人物が書いたものであると同義となります。
つまり言葉を覚えた者が"詩を紡ぎ始めてからどうなったのか"という事を念頭に置いて並び替える事で"筆者の過去に起きたできごとを間接的に追うことができるようになる"とも言い換えることができます。
それについては後日触れることにします。
ここまで見てくださり、ありがとうございました。

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