見出し画像

怪物になりたくないオタク🧌


オタクはニーチェが好きである

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ怪物を引用したオタクが学級会を開いて権力者に向かわずオタク同士でいがみ合いながらぐるぐると永劫回帰の如く巡り廻っている。

怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。

善悪の彼岸

Wer mit Ungeheuern kämpft, mag zusehn, dass er nicht dabei zum Ungeheuer wird. Und wenn du lange in einen Abgrund blickst, blickt der Abgrund auch in dich hinein.

Jenseits von Gut und Böse

表現の自由に搦んで「出しゃばることをするから権力者に目をつけられる」といった言説をオタク同士が支持している。

これがルサンチマン(奴隷道徳)なのである。

出る杭は打たれるだからこそ黙っててやり過ごせばいいと思っている。

恐らくだが一度でもオタクが表現の“自由”を掲げて戦ったことは一度たりともないのだろう。

表向きは表現規制に対して反論するくらいだが、その悉くは負けているのである。

東京都青少年健全育成条例改正の時でさえも実際は改正案が通り、それに波及されてコンビニから所謂ビニールテープ閉じ雑誌が撤去されてしまったことは記憶にあるだろう。

何も勝ってないのである。

実際はずっと負けっ放しである。

山田太郎赤松健の二人を送り出したくらいで、齲歯の進行を遅らせたようなものである。

こう言うことになってしまうのも結局は日本をカルト国家にさせたい宗教団体の組織票があるからで、組織票(票の采配が出来ない)のないオタクたちにとってこれが弱点だということが露呈されてしまっているのである。

オタクが完全に勝利するという条件は刑法175条を削除することである。

最高裁ですらわいせつと言うのが認められてしまっているので、この刑法175条さえ削除出来れば国家権力からの干渉を防ぐことが出来る。

正直これしかない。

立ち開かる“敵”というのは以下のもの

  1. 外国勢が干渉するカルト団体

  2. 警察権力

  3. 現実が満たされない中高年を支持層に組み込みたい風前の灯の政治団体

  4. 変化を好まない老齢化したオタク

この四点である。

庶民とか大衆とか親とかクラスメイトとかは関係ない。

結局どこまで行っても政治勢力がモンスター化しているだけである。

実はこの四点というものの正体を探れば、全然大したことがないのは分かって来る。

1のカルトは言わなくても分かるだろう。

統一協会である。

統一協会は家族を金づるにしたいから結婚しないオタクを敵視して表現規制させて合同結婚式に誘わせようとしたいだけである。

カルトの正体が暴かれた今、この団体が活動する場所はない。

わざわざカルトの票を得なくても野党がぼろ負けしているので協力する必要がなくなってしまった。

2の警察権力というのは内務省いや、薩長土肥以来の強権的な力を持った勢力で1と連動していたこともあり永らく盤石を誇っていたが、実は小池百合子が都知事になった途端にその鞏固と思われた力が弱まったのである。

秋葉原での職質も不当だとして訴えた人が勝ったこともあり、それ以来秋葉原でのしつこい職質がなくなったことから権力に立ち向かうにはやっぱり自ら戦うことをしなければならないのである。

そして山田赤松の二人も出したこともあってカルトの力を借りた政治家からの表現規制みたいのがぴったりと已んだ。

一歩一歩ではあったが、その足で歩み続けることで権力からの干渉を受けないようになったのである。

そしてこの3であるが、言ってしまえば共産党である。

元々、表現規制には反対だったらしいのだがどうも山田赤松が自民党から出たこともあって逆張りをしたくて表現規制に鞍替えしてしまった。

最早今の共産党は国民の暮らしをどうにかすると言ったことには興味も関心もなく、組織の維持のみ執心しているだけなので、幸福感を得られない有権者を取り込もうと躍起になっている始末である。

幸福感を得られない有権者とは何か、フェミニズムと言えばいいのだろうがそんなことは一切関係ない。

組織が硬直化した共産党はフェミニズムや多様性に力を入れようとしても相変わらずパワハラセクハラが猖獗を極めており、自浄作用がなくなってしまったのでこれも風前の灯火になってしまっている。

統一地方選挙でさえも敗北してしまったのに幹部や執行部の刷新が図られない。

正直組織としては終わりである。

社民党のような運命を辿る。

最後の4であるが、実はこれこそが目の前の敵なのである。

今まで宮崎勤と同類に思われたくなくて価値相対主義でやり過ごして来た古いタイプのオタクが時代の流れについて来れずに足を引っ張ってしまっている状況を作り出している。

とは言うものの古いタイプのオタクが共産党を支持したつもりでも泥船なのでそのまま沈むだけしかないのである。

目の前とは言っても現実的にはでしかない。

幻、というか幻影をずっと敵と認識していただけである。

異様な恐懼に恃み、怪物を作り出していただけである。

憲法改正の先

さて、こうは言ったがもはや敵なんかいなくなったオタクではあるが先に挙げた175条の改正はどうなるだろうか。

最高裁の判決を支持して刑法175条の改正を行うか、刑法175条そのものを削除するか何れかではあるがそれはいつになるのだろうか。

憲法改正に表現の自由が関与する余地はない。

緊急事態条項を入れろと国民民主党がそんなこと言っているらしいが、これは表現の自由に関わることではないか。

そもそも憲法改正の四つの骨子は以下に纏められている

  1. 自衛隊の明記

  2. 緊急事態条項

  3. 合区

  4. 教育の無償化

その内の下の二つは党利党略でしかないので話にならなくて無視しても構わんが、二番目の緊急事態条項はこれは法律で明記しなくてもコロナ禍で当時の安倍首相が宣言した途端に日本国民の殆どがそれに従ってしまったのでこれも特別に明記する必要はないのではないかと思ってしまう。

最終的な憲法改正議論はこの自衛隊明記で取り敢えずは終わるのだろう。

自衛隊の明記に関してはここでは言わない。

話を戻すが刑法175条はどうなるか、憲法改正よりは後になるのだろう。

カルトに頼まなくても選挙に勝ててしまうので統一協会の解散命令が先に来てから憲法改正議論が進むのだろう。

流石に憲法改正が年内に成立するとは思わない。

その後になるのだろう。

来年以降に果たしてなるかも知れない。

参議院の改選が来るだろうから山田太郎がその時刑法175条の見直し(削除は多分今の情勢からして無理)で再選を目指すのだろうと感じる。

その時、漸く表現の自由を手にすることが出来るのかも知れない。

と、ここまでだがいくらオタクがニーチェを好きだとしても実践しなければ単なる食われるだけの家畜と同じである。

実際コロナ禍でさえも実践すらしなかった家畜の群ればかりだったのである。

ニーチェに憧れても何も出来ない。

超人にもなれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?