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第12回「本を売る」ことに魅せられて

 2003年(平成15年)夏、僕は39歳になりました。いまじんの近藤さんに仕事のオファーをいただきました。近藤さんは、基本的には、いまじんの本部がある名古屋にいらっしゃる。名古屋に通うのか?いや違う!書店大学と言っていました。
書店大学について説明します。正式名称は、日本書店大学です。かつては、法人登記していましたが、この頃は任意団体でした。もともとは、愛媛県松山市の明屋書店の創業者である安藤明さんが、明屋書店のFC店のオーナー、または2世経営者のためにつくった勉強の場でした。それが明屋とは関係ない書店の2代目、3代目社長たちが交流する場へ発展したのです。毎年、「店長パワーアップセミナー」や、泊まり込みで学ぶ「特訓ゼミナール」を開催していました。僕も明日香出版社の時代にセミナーを何度か受講したことがあります。確か会場は、日本青年館だったと記憶しています。
ところが主催者であった明屋書店の安藤明さんが、一命はとりとめたものの脳梗塞で倒れました。そうなると日本書店大学は、「解散」という話となったのです。
すると、生徒さんの中から「続けて欲しい」という要望があり、自然と人が集まり、いまじんの近藤さんが、幹事長となりました。また大学には、学長が必要だということで、元 旭屋書店の常務で、書店新風会の顧問であった田辺聰さん(田辺聖子の実弟)に、シャッポを被ることをお願いし、できたのが任意団体の日本書店大学でした。

さて、近藤先生は、言いました。近いうちに浦和にある一清堂さんへ行きなさい。そこの清宮社長と話をしてきなさい。と言うのです。
浦和と言えば、須原屋のことは、よく覚えています。そう僕は出版社時代に、全国1,500店舗の書店を直接訪問して知っていました。まして、首都圏にある書店は、400店舗以上まわっていたのです。埼玉県で言えば、東武東上線、伊勢崎線、西武新宿線、池袋線、JRで言えば、埼京線、京浜東北線など、至るところに顔を出していました。だから、この一清堂が漏れるはずはないと思っていましたが、埼京線の南与野駅からバスに乗り、一清堂を見た時、ここに来るのは、初めてだと気付きました。出版営業を15年もやってきたのに、情けない。
しかし、その理由は、すぐにわかりました。
僕は、約束の2時間前に、一清堂に着き、店内を隈なく診てまわりました。

さいたま市 一清堂


少し脱線しますが(笑)僕が書店を訪問して、このように店の隅々を診るようになったのは、名古屋の栄にあった丸善の横井邦光さんと出会い、その考え方に深く共鳴したからです。
横井さんは、2007年3月の『人文会ニュース』100号記念号に寄稿していますが、そこで、自身のことについて触れています。横井さんは、外商出身でしたが、1989年(平成元年)に店舗事業部へ異動しました。『人文会ニュース』を引用します。

当時の弊社名古屋栄店は、理工・医学書及びビジネス書が中心の商品構成の店舗でありました。この様な背景のもとで翌年の東海地区での研修会の折、弊店の人文書の品揃えや分類表示について人文会の皆様からかなり辛辣なご意見を頂きました。その時のショックが私の店舗再生へのスタートとなりました。再生に当たってはまず担当者の人選と育成が課題となります。そこで三省堂書店・中島氏、ちくさ正文館・古田氏にお願い申し上げ、ご快諾のもと月一回の勉強会の場を作って頂き、更に三省堂書店・松原店長には新入社員の実地研修の機会を頂き、書店員としての心構えをご指導賜りました。[中略]その後、引き続き他社書店様のベテラン担当者と研修会の機会を頂き、弊社書店員は仕事への自信が生まれ、大きく飛躍してくれました。専門書の販売には商品知識はもとより、自在に商品を生かす棚担当者の発想と力量が不可欠と思われます。こうして考えますと、弊社の発展には人文会の版元様のご協力と同業書店様の先人のご指導を賜りました事は、私にとっても有意義であったと改めて感謝を申し上げます。

名古屋・栄の丸善


僕は1990年(平成2年)横井邦光さんが名古屋栄店の店長の時にはじめてお会いしました。その後、横井さんは東京の本部へ異動となったので、すぐに日本橋本店にてお会いしましたが、開口一番に仰ったのは「草彅さん、丸善の悪口を言ってくれ」でした。横井さん曰く、版元が直接、丸善に言わずに、他の書店で悪口を言っていると言うのです。版元あるあるですね。面と向かって批判するのではなく、陰口をたたくのは。そこで僕は日本橋本店について以前から思っていたことを指摘させていただきました。横井さんは、「ありがとう」と言って、早速改善に取り組んでいました。その後も横井さんは、岡山シンフォニービル店がオープンすると自ら店長として赴任して人材の育成に力を注いでいました。僕も追いかけるように出張で岡山へ行き、気がついた点を申し上げました。横井さんは、また本部へ戻り、新たな店舗の出店を計画し、次は福岡ビル店オープンに際しても店長として赴任しました。ひと月とたたず、僕は福岡へ飛びました。そして、お約束の2時間前に店舗へ伺い隅々まで店舗を診ました。横井さんは、お会いすると開口一番「診てくれましたか」と仰る。僕が棚を診断することは二人が会う前提条件なのです。そして、僕の異見に耳を傾けてくれました。横井さんは福岡ビル店を軌道にのせて、みたび本部へ戻って行ったのです。


話を2003年に戻します。一清堂の社長・清宮英晶さんに挨拶すると「飯まだだろう。食べに行こう」と言って、清宮社長が運転する車に乗って、近くの日本食レストランに行きました。そこで清宮社長から日本書店大学の加盟店が、なぜ共同の仕入会社を創ったのか説明を受けました。よく聞く話ですが、1996年を境目として出版業界は右肩下がりとなり、既に7年というタイミング。出版社は確実な売上を獲るために大型書店やナショナルチェーンに配本を絞りはじめていました。当時、一清堂も含め、共同仕入に参画した書店には、POSレジがなかったのです。
一清堂の存在に僕が気づかなかった所以です。売上データがなければ、その存在は認められません。
1995年のWindows95のリリース、インターネットの普及と同時期に、パブラインを開発した紀伊國屋書店を筆頭にナショナルチェーンにPOSレジが導入されていきました。自社開発ができない中小書店は、取次店が開発したPOSレジを選択していましたが、リース料が高く、導入を見送っている書店もありました。
日本書店大学の共同仕入会社(登記簿では、株式会社 日本書店大学館、通称は、志夢ネット)は、2003年4月に設立。最初の仕事は、同じPOSシステムの導入であり、そのデータをダイヤモンド・コンピュータ・サービスやインテージを経由して出版社へ売上データを配信することだったと清宮社長は、教えてくれました。
参画した書店の書店員にとって、自店だけではなく、資本的には一緒ではない他店の売上データを共有できることは、大きな気づきとなり、武器となりました。
清宮社長とは、僕が今後どのような形で関わるか、まずは僕自身が考えをまとめて、提案することとして、その日は帰路につきました。帰りの電車の中で、さまざまなアイデアが浮かび、家に着くとパソコンをひらいて、思いついた事を次々と打ち込みました。



閑話休題

さて、2003年の世の中の動きですが、この年の11月に衆議院選挙があり、与党が絶対安定多数を確保。第2次小泉内閣が発足されています。そして、米国の大統領は、ジョージ・ブッシュ。イラクのサダム・フセイン政権が、国連の求めた大量破壊兵器の査察に非協力的だったため、米英軍はバグダッドを空爆し、イラク戦争がはじまった年でした。

引き倒されるフセイン大統領像


六本木ヒルズがグランドオープンしたのが4月、小惑星探査機「はやぶさ」が5月に打ち上げされました。(帰還は2010年)

六本木ヒルズ

2001年公開の宮崎駿監督「千と千尋の神隠し」が2003年3月の第75回アカデミー賞長編アニメ映画賞を受賞。

また北野武監督・主演の「座頭市」が、第60回ベネチア国際映画祭で銀獅子賞を受賞しています。
2003年公開の映画で、僕のベスト3は、「パイレーツ・オブ・カリビアン」(監督:ゴア・ヴァービンスキー 主演: ジョニー・デップ)

「ロード・オブ・ザ・リング」(監督:ピーター・ジャクソン 主演: イライジャ・ウッド)「ハリーポッターと秘密の部屋」(監督:クリス・コロンバス 主演: ダニエル・ラドクリフ)の3本です。失業者でしたが、映画は観てましたね(汗)特に「ハリーポッター」は、家族で楽しめる作品です。ただ僕は原作を読んでいないのに対し、妻と娘たちは読んでいたので、会話についていけませんでした(笑)


出版業界は、どうだったか。
石田衣良、奥田英朗、角田光代、京極夏彦、松井今朝子、横山秀夫が候補となっていた第128回 直木賞が「受賞作なし」で、物議を醸し出しました。

片山恭一『世界の中心で、愛をさけぶ』(小学館)養老孟司の『バカの壁』(新潮新書)がベストセラーとなった年でした。
新潮新書は、この年の創刊でしたね。初年度に大ヒットを産み出すとは流石です。

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一清堂から帰った夜、僕はパソコンに向かい必死で文章を書き上げて、近藤さんと清宮さんへ以下のメールを送りました。

草彅です。本日はありがとうございました。
とりあえず、思いつくまま、やりたい事を以下に書き出しました。

日本書店大学館(志夢ネット)でやりたいこと

①広報誌の発刊(出版社向け)POSデータの行間を読む。何が何冊売れたかはお互いにわかっているので、なぜ売れたのか、どこに置いて売れているのか、さまざまな角度で仮説検証を試みる。その結果を出版社へフィードバック、価値ある広報誌として出版社との粘着力を強化。

②直接、出版社を訪問 これから発刊される期待の新刊情報を収集。どのように売れば拡販できるか逆提案。部数の確保。単品のバックマージンを交渉。

③読者向けの情報誌を発刊、新刊情報やイベント情報など(店頭で配布)読者からの投稿も募集、読書感想文や書評、詩や短編小説、マンガやイラストなど自費出版へつなげる。

④セミナー事業。新人研修の請負。開店、開業、リニューアルの相談などのコンサルタント。出張セミナー(店長会議、担当者会議など)本の販売よろず相談所の開設。

⑤書店向けの機関誌の発行 新たな同士の勧誘、セミナーの勧誘。(準会員をつくって、その会費を広報誌や機関誌の制作費、通信費とする)

⑥自費出版の製作請負、発行発売、販売 取次ぎ口座の取得から書店への新刊案内、受注。販促営業。

⑦出版社へ出版企画の売り込み。編集プロダクション的な仕事。

⑧出版物以外の共同仕入れ。異業種との共同開発(限定商品、レアもの)

⑨異業種へ出版物の売り込み。異業種から広告宣伝費をもらう。

⑩共同書店の開店 セレクトショップ、女性専用書店

皆様のご了解をいただければ、すぐに仕事がしたいというのが本音です。(収入もない状況なので…)仕事があれば単身どこへでも参ります。
どうかよろしくお願い致します。


さらに、出版社を訪問するにあたって、気になる事がありました。
それは、僕自身が出版社で働いていた時の嫌な体験です。某書店の本部で、商品の一括注文いただき、喜び勇んで大量の商品を取次に搬入しました。ところが、POSに売上が、上がってこないのです。心配になって、そのチェーン店の、いくつかの店舗を訪問しました。すると、ある店では「本部から何の指示もないので、返品した」と言う。またある店では、ストッカーに入れたまま。ある店長は「本部が勝手に送ってきた商品は、まとめて隅っこの棚に置いてます」等など、いや確かに店舗の了解は、得ていないが、それは、そもそも会社同士で決めたことなのだから、現場は、本部に従ってもらわないと、信用問題になると感じました。某書店は当時、全国に郊外型書店を展開する上場企業でした。どことは書きませんが、他の版元も同じような被害を受けていました。
だから、このような書店本部があるため、本部一括は信用できないという空気が、この頃漂っていたと思います。

そこで、僕は版元へのメッセージを考え作成しました。

志夢ネット本部の方針


ナショナルチェーンに限らず、本部で注文のとりまとめを行っている書店チェーンは、たくさんあります。しかし、版元様から喜ばれ強い信頼関係で継続的なおつきあいをされている書店本部は何社ありますか?
「注文の出し方が機械的で、これでは取次のパターン配本と同じ」「一括で入れた商品なのに本部からは、なんの伝達もなく店頭に商品が並んでいない」「延勘でとった商品を即返品している=金融返品」などなど、「本部一括」という無責任なバイイング・パワーに不信感をもっていませんか?

弊社では、本部仕入れについて、以下のように考えております。
①安易な本部一括仕入れは、致しません。本部で勝手にランクを決めた適当な仕入れは、致しません。
②ご案内いただいた商品は、部門別のリーダーと相談し、どこの棚でどのような商品と並べて売るか吟味いたします。
③競合他社商品の売れ行き動向や陳列状況などを情報提供し、販売方法について逆提案いたします。
④本部一括で仕入れた商品は、一定の期間返品しません。また、本部一括で仕入れた商品の販売結果は、必ず報告します。
⑤本部では、新刊や重版商品だけでなく、埋もれている商品の掘り起こし、既刊本の一括仕入れも積極的に行っていきます。
⑥本部では、あくまでも商品を主体に考え、出版社の大小に関係なく仕入れを行っていきます。
⑦本部と各店に対する要望、不満などはご遠慮なくお申し付け願います。

「仕入れる」ことよりも「売る」ことを重視します。


さらに、「私たちが目標とする理想の書店とは」と題して、以下のような説明文を作成しました。

私たちが目標とする理想の書店とは


①地域読者のニーズを100%満足させる書店を目指します。「在庫がありません」「ただ今、品切れです」を恥と感じ、どうすれば迅速に読者の手もとに本が届くかを考える。読者に「この本屋に行けば探していた本に出会える」という感動を与える書店であり続けることを目標とします。

②1冊の本が「なぜ売れるのか」「なぜ売れないのか」その理由を探求します。売れている商品は、なぜ売れるのか?誰が買っているのか?を考え、ひとつの「売り方」に固執しないで、さらに「売る」方法を考案する。売れなかった商品は、なぜ売れないのか?置いた場所が悪くなかったか謙虚に反省し、今一度、誰が買うのかを考え読者との接点を探ります。

③私たちは、本の評論家ではなく、本の販売に携わる当事者であることを自覚し、貪欲に本を売ることを誓います。「売れた」から「売った」を実感し、「本が好き」から「本を売るのが好き」を実感できることを目指します。

④ベストセラーも売りたい・・・でも、その周辺の本も一緒に売る!1冊1冊の本を関連付けて陳列し「棚作り」から「棚創り」へ発展させます。

⑤新刊ラッシュの中、トコロテン式に押し出された既刊本の掘り起こしを積極的に行い、自店発のベストセラー創りにチャレンジします。

全国いたるところでメガブックストアが増加する中、版元様におきましては、社外在庫の膨張や返品増に悩まされている日々が続いていると拝察します。
それは、書店が「巨大化」しても、逆に棚は希薄となり読者との距離が離れているからではないのか?有り余るスペースを有効に使うのではなく、300坪でも実現できる棚構成を、ただ横に伸ばしたような巨大書店が増えていることが一因なのでは?・・・
巨大化だけが生き残りの条件にはならない。小さいながらも無駄なく、無理なく売る。

No.1にならなくてもいい.....
  私たちが目標としているのは、
        Only 1書店です。


近藤さんから「うん。いい文章だ」と返事がきました。

さて、僕の今後の運命やいかに!


それでは、今回は、この歌で終わりましょう。2003年のヒット曲。
SMAP「世界にひとつだけの花」(作詞、作曲:槇原敬之)

小さい花や大きな花
ひとつとして
同じものはないから

No.1にならなくてもいい
もともと特別なOnly one

つづく














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