草彅主税

◆Book Seller Assist代表◆特定非営利活動法人 本の学校 理事◆青田恵…

草彅主税

◆Book Seller Assist代表◆特定非営利活動法人 本の学校 理事◆青田恵一「書店道場」第1期生◆出版社勤務を経て、2008年、丸善株式会社に入社。お茶の水店など店長を歴任。2015年、株式会社 有隣堂に入社。本部仕入責任者などを務める。

最近の記事

第1回 ほんまる神保町の棚主として

2024年(令和6年)3月15日(金)10時、X(旧Twitter)で、作家の今村翔吾さんが、新たなシェア型書店を始める発表がありました。 僕はこの時、瞬間的に反応して、棚主募集に応募しようと思いました。 理由は明確で、僕は2月29日まで、シェア型書店Books & Coffee 谷中 TAKIBI🔥の棚主でした。しかし、残念なことにTAKIBI🔥は2月末で閉店しました。ここで知り合った棚主の友人たちは、あらたな場を求めて活動しています。数人は、新しいシェア型書店を見つけ

    • 第21回「本を売る」ことに魅せられて 

       2007年7月18日、第137回 直木賞は、松井今朝子『吉原手引草』(幻冬舎)が受賞。芥川賞は、諏訪哲史『アサッテの人』(『群像』2007年6月号)が受賞しました。 7月19日、雑誌の売上が低迷しています。 先般の本の学校のシンポジウムでも「雑誌」の分科会があり、多くの人が聴講してくれました。 日本雑誌協会は「雑誌低迷という言葉に騙されてはいけない。自分の店に合う雑誌を探し出す努力、店頭陳列の工夫、顧客とのコミュニケーションなどで売上は必ず上がる」と言ってます。

      • 阪急ブックファースト渋谷店【その2】酒と本と、ときどき映画な日々

        ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ の続きです。  僕が紀伊國屋書店渋谷店で働きはじめたのは、1984年(昭和59年)9月でした。と言うことは、僕にとって2004年(令和6年)は、業界歴が、ちょうど40周年と言うことになります。㊗️🎊🥂🍾👏 『「本を売る」ことに魅せられて』で書いたとおり、紀伊國屋書店渋谷店は、リニューアル後の1985年(昭和60年)に飛躍的な成長を遂げ、東京旭屋書店渋谷店や大盛堂書店など渋谷の競合店を大きく引き離し確固たる

        • 第20回「本を売る」ことに魅せられて 

           2007年(平成19年)1月8日、志夢ネットのオーナー会議。僕は本部からの報告事項として、①志夢ネットの売上②共同仕入れ・第三商品・共同購入の実績③主要出版社の売上・前年比④契約出版社の実績と報奨金など資料を用いて説明しました。一方、各オーナーからは2006年の総括と2007年の抱負を語ってもらいました。しかし、誰ひとりとして資料の一枚もないって、この方々は本気なのでしょうか?とても不安です。 翌9日は、日本書店大学の新年定例会。近藤さんからバトンを受け取った新幹事長の所

        第1回 ほんまる神保町の棚主として

          『新文化』で紹介されました!

          出版業界唯一の専門紙『新文化』2024年3月21日号の3面に、去る3月12日、本の学校にて講演をした記事が掲載されました。 『新文化』は、コンビニエンスストアのマルチコピー機の「プリントサービス」で購入できます。(800円) よかったら、買ってください。 プリントの手順は下記のとおりです。 3月12日の講演の際に事前申し込みにて、質問をされた件に回答します。 質問①書店員さんにとって、良い書店営業の特徴みたいなものがあれば教えていただきたいです。 答え①自社出版物に限ら

          『新文化』で紹介されました!

          【第24回】本の学校連続講座レジュメ

          演題:「本を売る」ことに魅せられて!を語る講師:草彅主税 略歴 Book Seller Assist代表 ◯特定非営利活動法人 本の学校 理事 ◯青田恵一「書店道場」第1期生 ◯1984年紀伊國屋書店入社、その後出版社勤務を経て、2004年、ブックファースト渋谷店、2008年、丸善お茶の水店店長など歴任。2015年、有隣堂の本部にて、店舗統括、本部仕入の責任者など歴任。 只今、noteにて『「本を売る」ことに魅せられて』を連載中  僕の書店人の人生は、1984年、20歳の

          【第24回】本の学校連続講座レジュメ

          第19回「本を売る」ことに魅せられて 

           2006年(平成18年)春。志夢ネット(株式会社会社 日本書店大学館)は、4期目に突入しました。2月の金沢で行われたオーナー会議の決定事項として、社長が近藤秀二さんから一清堂の清宮英晶さんに代わりました。 そして、懸案事項であった草彅の待遇改善については、常務会では賛成一致であったが、他の4人のオーナーから条件がついたのです。それはアルバイト禁止でした。確かに平日、ブックファーストで働いている時間帯(18時〜23時)は、メールも見れない。携帯電話にも出れません。しかし、この

          第19回「本を売る」ことに魅せられて 

          第18回「本を売る」ことに魅せられて 

           2006年(平成18年)正月。長女は志望していた音大付属の高校への受験をあきらめて、推薦入試で県立高校を受験しました。僕は娘の希望を叶えることができず不甲斐ない気持ちでいっぱいでした。娘は音楽は趣味として続けると言い、大人たちに混ざって、海老名にある吹奏楽団に入団し、ババ(祖母:僕の母)からもらったクラリネットを大事にしてくれたのです。 1月9日、志夢ネットの仕事の後に渋谷のブックファーストに出勤。基本的には夜の出勤者はレジに入ることが多いのですが、メイン担当ではなく、サ

          第18回「本を売る」ことに魅せられて 

          第17回「本を売る」ことに魅せられて

           2005年(平成17年)の元旦を迎えたのは電車の中でした(^◇^;)大晦日に遅番で、ブックファーストに出勤すると、閉店時間は23時。そこから家まで1時間以上かかります。年越しそばもなければ、紅白もない。寂しい正月の始まりです。でも、僕と同じような生活を送っている書店員は多く、除夜の鐘ではなく、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」なのです。 元日だけ休み、2日からブックファーストに出勤。さて、僕が紀伊國屋書店で働いていた昭和時代と異なることのひとつに、問い合わせの対応の

          第17回「本を売る」ことに魅せられて

          第16回「本を売る」ことに魅せられて

           2004年(平成16年)7月11日、日本書店大学の例会で僕は講演をしたのです。演題は「パソコン書の棚作りと売上UPの事例」でした。 米子の本の学校「出版業界人研修 基本教育講座」(通称:春講座)で、2000年〜2003年まで「パソコン書の販売対策」という講座の講師をしていましたので、自己紹介をかねて講演することとなったのです。 当時はパソコン書の売上スリップのボウズに分類記号が記されていました。 現在は、スリップレスの版元が多いので変更されていますので、後述します。

          第16回「本を売る」ことに魅せられて

          第15回「本を売る」ことに魅せられて

           2004年(平成16年)夏、僕は志夢ネットの仕事をメインとしつつ、日本書店大学の事務局の仕事も兼務し、夜は阪急ブックファースト渋谷店でアルバイトをする日々を送っていました。ブックファーストの勤務時間は23時まででした。ピークタイムを過ぎるとお客様の数も減ってきます。レジで待機状態となりますが、カバーを織ったり、備品の補充をするのは、昭和時代と同じです。もっとも異なることは、売上データの確認です。昭和ではPOSがなかったので、売上を確認するツールは、売上スリップでした。お客様

          第15回「本を売る」ことに魅せられて

          第14回「本を売る」ことに魅せられて

           2004年(平成16年)5月、どうすれば大手出版社を攻略できるのか?僕は真剣に考えていました。そもそもの話として、中小書店が出版社を訪問しても、なぜ門前払いなのか。門前払いと書くと、ちょっと大袈裟に聞こえるかもしれませんが、実際にアポがないと会えません。或いは、応接室に通されても「何をしに来たのですか?」「目的はなんですか?」 こうした出版社の高圧的な対応は、過去の書店が行ってきた行為に起因があると僕は思っています。 まだPOSが導入されていなかった時代。売上を確認できるの

          第14回「本を売る」ことに魅せられて

          第13回「本を売る」ことに魅せられて

           2004年(平成16年)は、年初から大騒ぎとなりました。まず第130回 直木賞は、江國香織の『号泣する準備はできていた』(新潮社)と、京極夏彦の『後巷説百物語』(角川書店)のダブル受賞でした。昨年は「該当作なし」『半落ち』の落選で物議を醸し出しましたね。大きな反動です! が、さらに凄いことが!芥川賞も、金原ひとみ『蛇にピアス』(集英社)と、綿矢りさ『蹴りたい背中』(河出書房新社)のダブル受賞だったのです。これには、マスコミも大騒ぎ。金原ひとみ20歳、綿矢りさ19歳で、しか

          第13回「本を売る」ことに魅せられて

          阪急ブックファースト渋谷店【その1】酒と本と、ときどき映画な日々

                         42,682文字 渋谷にあった阪急ブックファーストをご存知でしょうか。当時の渋谷は、大盛堂書店、東京旭屋書店、紀伊國屋書店、三省堂書店、文教堂書店、パルコブックセンターなど競合店がひしめき合う状況でした。その渋谷という街に圧倒的なスケールで降臨したのが阪急ブックファースト渋谷店であり、開業は1998年6月のこと。地上5階、地下1階の6フロアで、売場面積は920坪、70万冊の在庫がある大型書店です。地下1階は実用書、芸術書。1階は雑誌と新刊。2階は

          阪急ブックファースト渋谷店【その1】酒と本と、ときどき映画な日々

          第12回「本を売る」ことに魅せられて

           2003年(平成15年)夏、僕は39歳になりました。いまじんの近藤さんに仕事のオファーをいただきました。近藤さんは、基本的には、いまじんの本部がある名古屋にいらっしゃる。名古屋に通うのか?いや違う!書店大学と言っていました。 書店大学について説明します。正式名称は、日本書店大学です。かつては、法人登記していましたが、この頃は任意団体でした。もともとは、愛媛県松山市の明屋書店の創業者である安藤明さんが、明屋書店のFC店のオーナー、または2世経営者のためにつくった勉強の場でした

          第12回「本を売る」ことに魅せられて

          第11回「本を売る」ことに魅せられて

           2003年(平成15年)38歳の春、僕は会社を辞めて毎日、図書館へ通っていました。 好きな歴史上の人物の本を、手にとり、吉川弘文館の『国史大辞典』を横に置き、大学ノートに書き連ねていく。こんな作業を子どもの頃からやっていたことを思い出しました。何の進歩もしていないのです。 人生におけるLong Vacationを、ひと足先に満喫していると書ければいいのですが、そんな悠長なことは、言えません。 しかし、今は他にやることもなく、やりたいことと言えば、こうして、本を読み、感じ

          第11回「本を売る」ことに魅せられて