第14回「本を売る」ことに魅せられて
2004年(平成16年)5月、どうすれば大手出版社を攻略できるのか?僕は真剣に考えていました。そもそもの話として、中小書店が出版社を訪問しても、なぜ門前払いなのか。門前払いと書くと、ちょっと大袈裟に聞こえるかもしれませんが、実際にアポがないと会えません。或いは、応接室に通されても「何をしに来たのですか?」「目的はなんですか?」
こうした出版社の高圧的な対応は、過去の書店が行ってきた行為に起因があると僕は思っています。
まだPOSが導入されていなかった時代。売上を確認できるのは、本に差し込まれていた売上スリップの枚数でした。このスリップの束を持って出版社に行っては、報奨金を強請る書店や団体があったことも事実です。しかし、出版社もPOSが導入されたことで、スリップによる報奨金の支払いからPOSデータによる支払いに切り替わっていきました。問題はPOSレジを導入できない零細書店があり、その書店たちへの報奨金は、足切りされたのです。(スリップを送ったら支払ってくれた良心的な出版社もありました)なので、書店が徒党を組んでやって来ると出版社も警戒するのです。なんだか百姓一揆でも起こしたように捉えられるのです(笑)
しかし、事実として書店の組合などの中には新年会を帝国ホテルで開催しているところもありました。これは出版社の高額なご祝儀で成り立っているのですが、なんだか政治資金のパー券みたいな話ですよね。
もうひとつ中小書店にはベストセラーが入荷しない問題があります。
このことは、出版社で営業の経験がある僕には理解できることなのですが、出版社はベストセラーだけを欲しがる書店には厳しい態度で臨んでいます。なぜなら出版社は、自社の本を、満遍なく売ってくれる書店を求めているからです。そうなると、自然と配本は大型書店チェーンに集中するのです。
とにかく大手出版社へ突撃訪問をすると「金(報奨金)を無心しに来たのか!ベストセラーが欲しいのか!」と、こっちの話を聞かずに罵倒され、追い返されるのです。この状況を克服するためには、どうしたら良いかを考えました。
そこで近藤先生と相談して、出版社をご招待して、志夢ネットの説明会ならびに懇親会をやろうと言う話になりました。
ときは2004年(平成16年)6月8日、場所は日本出版クラブ(当時は、神楽坂)
とにかく、まだまだ知名度が低い、志夢ネットを理解してもらうためにも、成功させなければならないイベントです。
僕は、これまで訪問した出版社は、もちろん、まだ定期訪問ができていない出版社にも、招待状を送りました。また招待状には、会費無料。ご祝儀等々は、心配ご無用でございます。と記しました。
すると仲の良い版元からは、「会費なしなんて聞いたことないよ。いいの?手ぶらで行って」と確認の電話がありました。「すべて志夢ネットの経費で賄いますので、お気になさらず、当日は、お越しください」と返答しました。志夢ネットは違うんだ。こちらから金(報奨金)を無心したりしない。ベストセラーをくれくれと強請らない組織だということを、わかってもらいたくて、僕はまるで人間と仲良くなりたい「泣いた赤鬼」のような気持ちで出版社からの返事を待ちました。
そして、説明会の前日は、日本書店大学の「店長パワーアップセミナー」が開催され、志夢ネットの店長たちは全員参加。セミナー終了後は、ホテルで深夜まで会議が行われました。
そして、翌日の6月8日、「志夢ネットの説明会&懇親会」の日を迎えたのです。
式次第にそって、参加出版社は、1社づつ壇上にあがって、一言ご挨拶をお願いしました。
秋田書店 村山光麿さん 野中謙一さん
朝日新聞社 小関路彦さん
明日香出版社 石野栄一さん 北岡慎司さん
インデックス・コミュニケーションズ 山本 淳さん
インプレス 吉田和彦さん
オレンジページ 深沢弓彦さん
角川出版販売 伊藤信二さん
河出書房新社 岡垣重男さん
かんき出版 小林清志さん
きこ書房 善如寺正さん
技術評論社 樋田哲夫さん
くもん出版 佐藤伸也さん
光文社 服部泰基さん
実業之日本社 岩永芳輝さん
主婦と生活社 根来豊さん
主婦の友社 大塚泰之さん 高橋政男さん
小学館P・S 福井雄治さん
祥伝社 宮島功光さん
新星出版社 中里伸治さん
スクエア・エニックス 田代完治さん
成美堂出版 小出行雄さん
世界文化社 徳永美佳さん
草思社 鈴木葉子さん
東洋経済新報社 和田明彦さん
ナツメ社 町井充さん
日経BP出版センター 岡部力也さん
日本ヴォーグ社 小川和生さん
日本経済新聞社 橋田祐孝さん
日本文芸社 八巻光行さん
日本放送出版協会 菊島稔さん
PHP研究所 山崎至朗さん
扶桑社 向原明彦さん
双葉社 大杉竜男さん
文化出版局 岡崎成美さん
文藝春秋 濱宏行さん 八丁康輔さん
ベレ出版 小林克美さん
ポプラ社 田中治男さん 後藤敏彦さん
マガジンハウス 稲垣学さん
三笠書房 阪口正夫さん
懇親会の場では、日頃お会いすることのない出版社の方達と店長が名刺交換し、終始和やかな雰囲気でした。
講談社、集英社、岩波書店、筑摩書房は、欠席の連絡がありましたが、39社が参加、取次店、業界誌の方たちを含めると53名出席いただきました。
そして、会も終わろうと、中締めをしたあとに息せき切って、駆け込んできた人がおりました。幻冬舎の花立融さんでした。
これで、参加出版社は40社となりました。
この時、出席していただいた出版社の皆様ありがとうございました。
無事に説明会が終わり、少なくとも、ここに参加してくださった出版社には、毎月訪問して、商談をしなければなりません。僕の仕事も、ますます忙しくなってきていました。しかし、解決しなければならない問題がありました。
僕の待遇です。前回書いたとおり、僕は志夢ネットの仕事もやりながら、日本書店大学の事務局も兼務しています。かたちとしては、日本書店大学が志夢ネットに事務局を委託していることとして、日本書店大学から毎月、志夢ネットへ送金があります。僕の給料は、志夢ネットから全額支払われるのですが、これが正直言って、とても生活できるような金額では有りません。一清堂の清宮社長に最初会った時も、「志夢ネットの財政状況は厳しいので、正社員としての採用は出来ないから他の書店でバイトしながら」と言われていました。
そこで、日本書店大学の学長である田辺聰さんに相談しようと、学長の事務所を訪ねました。半蔵門駅から3分くらいの高層マンション。居間にとおされると、皇居や東京タワー、霞ヶ関、東京の夜景が一望できる部屋。こんな世界があるんだ。学長は、作家の田辺聖子の実弟であり、この部屋の持主も、田辺聖子なのです。
どうせダブルワークするならば、渋谷でNo.1のブックファーストでアルバイトをしたい!とお願いしました。店長の隅山泰助さんは、学長と同じく旭屋書店の出身。僕も出版社時代に大阪の旭屋書店本店を訪問すると、いつも隅山さんに、お世話になっておりました。
田辺学長は、その場でブックファーストへ電話をかけて、隅山さんと話しをつけてくれました。
こうして、月・水・金は、夕方18時〜23時閉店まで5時間の勤務。土日は、11時〜20時まで8時間勤務という条件で、ブックファースト渋谷店で働くこととなりました。
ブックファースト渋谷店の入社は7月で、僕は誕生日を迎え40歳になりました。思えば、20年前の20歳の時に、同じ渋谷にある紀伊國屋書店渋谷店で働きはじめたのです。これは、運命なのか?必然の帰結か!しかし、ブックファーストの旗艦店である伝説の渋谷店で働けたことは、書店人としての人生を考えると、恵まれていたと思います。
ここで、ブックファースト渋谷店のプロフィールを、紹介しておきましょう。開業は、1998年6月。地上5階、地下1階の6フロアで、920坪の大型書店です。地下1階は、実用書、芸術書。1階は、雑誌と新刊。2階は、文芸、文庫、新書。3階は、コンピュータ書、理工書、医学書、洋書、語学書 。4階は、ビジネス書、人文書。5階は、コミック、児童書、学参という構成でした。
僕の配属先は、3階のフロアで、昼間は、志夢ネットで働いているので、そのままスーツを着て出勤。上着を脱いで、ネクタイを締めたままエプロンをつけていましたので、よく社員と間違えられていました(笑)
同じフロアで働くアルバイトは、若い女性も多く、みなさん20代でしたね。40歳の僕は、一人で平均年齢を上げていました(汗)
特にお世話になった人は、伊藤 知沙子さん、押川 永さん、河野 裕紀子さんでした。三人は同い年で、仲も良く、仕事が終わってからの課外活動(部活)をされてましたね。僕も時々参加させていただきました。
この頃のブックファーストは、トーハン資本ではなく、阪急電鉄の子会社でしたので、業界では阪急ブックファーストと呼ばれていました。
それにしても、こうして書店のレジに立つのも紀伊國屋書店渋谷店 で働いていた時以来なので17年ぶりなのです。何が変わったと言えば、レジですね。POSをはじめて操作することとなりました。
僕がブックファーストで働きはじめた2004年の時点では、渋谷店のPOSレジは複数の端末をレジカウンターに配置して、この子端末の精算情報を親レジにデータ送信して、釣り銭、レシートは親レジの担当者が捌いていました。子端末でまず、2段バーコードを読み取って、お買い上げ金額を確定して、お客様から現金の場合は、カルトン(釣り銭トレー)にお金を置いて、そのまま親レジの担当者に渡して、釣り銭をもらいます。クレジットカードの場合は、子端末の横にクレジットカードの端末があり、ここでカードの読み取りをしてクレジットのレシートが3枚(クレジット会社分、店分、お客様控え分)出てきますので、お客様のサインをいただき、それを親レジの担当者が金額やサイン漏れの確認をして、お客様控えとともに精算レシートを出して子端末の店員へ返し、お客様へお渡しするという流れです。
POSレジがない昭和時代は、あらかじめ算盤や電卓で合計金額をだして、お客様から金銭を預かり、メカレジ(ガチャレジともいう)を打ち込む人へ「千円14番、二千円15番五千円から」などと口頭で伝えていましたが、POSレジになるとバーコードを読み込むだけで、自動計算されるので、処理スピードは上がりました。
話を本業の志夢ネットに戻します。
2004年(平成16年)7月29日の新文化一面「ひと 仕事」で、取り上げていただきました。下記に転載します。
6月8日の志夢ネット説明会につづき、またまた新文化で、とりあげていただき、感謝感謝です。
さあ『本の海援隊』の航海は、まだ始まったばかりです。まだまだ攻略しなければならない出版社もあります。
そこで、かねてから構想していた広報誌『志夢ネットExpress』を発行することとしました。
創刊準備号です。ジャンル別のベストと、ジャンル別の出版社順位表です。
僕は「編集後記」にこう記しました。
よし!これを持って、出版社へ逆セールスするぞ!
それでは、今日は、この曲でお別れです♪
2004年のヒット曲で、ゆず「栄光の架橋」(作詞、作曲:北川悠仁)
つづく
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?